Ursa Epicure楽曲ガイド
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68
Johannes Brahms, Symphony No. 1 in C minor, Op. 68(1855–1876)
主調の地図:ハ短調(I)に発し、ホ長調(II)・変イ長調(III)を経て、ハ短調からハ長調(IV)へと登る。各楽章の主調が長3度ずつ上がる連鎖(c–E–A♭–c/C)で、属・下属の圏を避ける(Frisch)。全曲の設計は "Per aspera ad astra"——暗闇から光、苦悩から歓喜、苦闘から勝利へ。半音で這い上がるモチーフX(カルベックが『第5』との類似から「運命の動機」と呼んだ音型)が全曲を貫き、終楽章のアルプホルンとコラール、ベートーヴェン『第9』を思わせる第1主題へと結実する。幅は各楽章の総小節数(KDH)に比例。上枠ボルドー=主調(額縁)。
出典・底本
分析ソースは二本立て。小節単位の区分・調・主題は Kelly Dean Hansen「Brahms Opus 68 Listening Guide」(学者個人運営サイトの小節単位リスニングガイド・二次資料。kellydeanhansen.com(Op.68)。同サイトは HTTP のみで配信。KDH の参照録音はバーンスタイン/ウィーン・フィル)/英語版 Wikipedia「Symphony No. 1 (Brahms)」。全曲の統一構造・解釈・受容史は Walter Frisch『ブラームス 4つの交響曲』(Yale University Press/邦訳)第5章(pp.113–135)を参照した(査読を経た学術単著=一次的な分析資料)。Frisch が本文中に記す小節番号は KDH の同定と広く一致し、二資料が独立に裏づけあう(例:展開部の変ホ短調→ロ長調転調 m.188–189・属音ペダル上のモチーフY m.321・再現部の境界を両資料がともに「曖昧」と明言する m.340・序奏が回帰する Meno Allegro m.495)。
小節番号は上記 KDH のリスニングガイドを参照して同定した(区分開始小節が各楽章の総小節数 511/128/164/457 と整合することを確認)。小節番号・調・総小節数は事実情報として用い、記述・分析の文章は本ガイド独自に書き起こす底本(楽譜の版)は未確認(KDH が準拠版を明示していないため)。
参照録音:ギュンター・ヴァント/北ドイツ放送交響楽団(第2・3・4番のガイドと演奏系列を揃える)。≈mm:ss は未計測のため各区分に付さない(位置は小節のみ)。
分析者で見解が分かれる箇所は両論を併記する——とりわけ終楽章第1主題とベートーヴェン『第9』の関係:Frisch は「歓喜」主題の正統な継承・再加工と読み、ブリンクマンは「第9の撤回(Zurücknehmen)」と読む(pp.133–135)。俗に流布する「ベートーヴェンの第10番」(ハンス・フォン・ビューロー)という評は、Frisch 第5章にも KDH にも登場しない(→参考文献の注)。
全4楽章の俯瞰
楽章形式主調拍子形式上の変型聴きどころ
I. Un poco sostenuto – Allegroソナタ形式(大序奏付)ハ短調6/8半音上昇モチーフXの序奏・提示部反復・再現部の境界が曖昧ティンパニのCペダルの上を半音で這い上がるモチーフXを覚える。この「運命の動機」が全曲の種になる。長調で終わるが、その明るさはまだ弱い。
II. Andante sostenuto三部形式(ABA'+コーダ)ホ長調3/4初演時はABACAロンド、出版直前に短縮・独奏ヴァイオリンの結び「音楽の散文詩」と呼ぶべき自由な歌。最後は独奏ヴァイオリンが、第1楽章から続いた緊張をそっと解いていく。
III. Un poco Allegretto e grazioso間奏曲風(スケルツォ+トリオ)変イ長調2/4(トリオは6/8)スケルツォでなく優美な間奏曲・トリオはロ長調・終楽章主題を予告クラリネットの優美な主題と、それを支えるチェロのピチカート。中間で終楽章の「大きな歌」がちらりと予告される。
IV. Adagio – Più Andante – Allegro non troppo, ma con brio変形ソナタ形式(大序奏付・独立展開部なし)ハ短調→ハ長調4/4→2/2アルプホルンとコラールの序奏・独立展開部なし・『第9』を思わす第1主題霧のような序奏を破って、ホルンの山の呼び声とトロンボーンのコラールが射す。その後、ベートーヴェン『第9』の「歓喜」を思わせる大きな主題が朗々と歌い出す。
楽章をまたぐ仕掛け:①"Per aspera ad astra"——第1楽章ハ短調の苦悩からフィナーレのハ長調の勝利へ。多くの評者が本作を『第5』『第9』の系譜に置く(Frisch p.113)。②モチーフX(半音上昇)——カルベックが『第5』の「運命が扉をたたく動機」との類似から「運命の動機」と呼んだ音型。序奏で反行形とともに呈示され、第2・3楽章に浸透し、終楽章第1主題の生成核になる(p.113)。③各楽章の主調が長3度ずつ上がる連鎖 c–E–A♭–c/C——属・下属の圏を避けオクターヴをシンメトリーに区分する(p.113)。④終楽章のアルプホルン旋律(ブラームスが1868年にクララ・シューマンへ贈ったもの)とコラール、そしてベートーヴェン『第9』「歓喜」を思わせる第1主題(p.129)。⑤全曲を貫く主題展開から注意を逸らさぬため、フィナーレは独立した展開部を持たない(p.130)。
第1楽章 Un poco sostenuto – Allegro
ソナタ形式(大序奏付・提示部反復あり)
主調:c moll拍子:6/8(9/8が1小節) 総小節数:511mm(KDH) 序奏:m.1–37
序奏
m.1–37
提示部
m.38–188
展開部
m.189–339
再現部
m.340–473
コーダ
m.474–511
半音で這い上がるモチーフXを、ティンパニのCペダルが底から支える序奏。提示部は反復される。再現部の境界(m.340)は Frisch・KDH ともに「曖昧」と明言する。
序奏(Un poco sostenuto) m.1–37
区分小節調性終止主題内容・性格・聴取ポイント
序奏(運命の動機) m.1 c moll 半終止(トリル) Motto X ティンパニがCをロールし続ける上を、弦が半音で上昇するモチーフXを、木管が半音で下降する反行形を同時に呈示する。カルベックが『第5』の「運命の動機」との類似で名づけた音型(Frisch p.113)。
m.9撥弦の反復音+「ため息」音型。
→ 聴取:地の底から半音で這い上がる旋律と、上から降りてくる旋律を同時に聴く。これが全曲の「運命の動機」
序奏後半 m.21 c moll 属音Gで期待の半終止 X派生 第1主題を予感する分散和音、ティンパニ再開。
m.29オーボエの憂鬱な「彷徨う旋律」。
m.33チェロが継ぎ、属音Gで期待感をためて半終止。
→ 聴取:張りつめた属音の上で、アレグロの噴出を待つ。
提示部(Allegro) m.38–188
区分小節調性終止主題内容・性格・聴取ポイント
第1主題群(a/b/a') m.38 c moll X Y Z 低ユニゾンのCから、上行3半音(X)+回転音型が噴き出す。Frisch はこれをベートーヴェン『第1番』の a/b/a'(1:1:2 のセンテンス)を拡大した構造と読む(a=m.38–51/b=m.51–70/a'=m.70–89、pp.116–117)。
m.42「主和音に決然と降り立ち」、ここでやっと「主題らしきフレーズ」がヴァイオリンに現れる。
m.78a'/3 が下属和音上で開始、iv–V–i(Fm–G–Cm)の大きな終止形へ。
→ 聴取:冒頭は「モチーフのようなもの」で、真の主題は m.42。主題が組み上がっていく工程そのものを聴く
第2主題 m.130 Es dur S 経過部を経て変ホ長調へ。オーボエが下降跳躍由来のはかない旋律を歌い、クラリネットがこだまする。
→ 聴取:嵐の第1主題群のあとの、変ホ長調のつかのまの慰め。この安らぎもすぐ短調に翳る
終結主題 m.157 es moll 変ホ短調の強終止 K 3音の短調下降が積み上がり、m.161 で力強い旋律に発展、運命リズムが打つ。
m.177巨大なクライマックス、ホルンの呼び声とハンマーのような3度。
m.189a第1エンディング(半音下降でハ短調へピボットし提示部反復)。
→ 聴取:変ホ「短調」で激しく閉じる提示部。長調の第2主題も、結局は短調に呑まれる
展開部(Development) m.189–339
区分小節調性終止主題内容・性格・聴取ポイント
展開開始(3度関係の転調) m.189 →H dur P分散 第2エンディングで全音下降し、変ホ短調からロ長調へ(Frisch が「ブラームスらしさ」の例に挙げる3度関係転調、m.188–189、p.113)。第1主題の分散和音を展開。
→ 聴取:遠いロ長調がふっと開く瞬間。属・下属でなく3度で調が動くのがこの曲の色
台風の目(静寂の瞑想) m.289 bb→c X 音楽が「凪にあったように」止まり、モチーフXの影の上で弦が静かに瞑想する。手本はベートーヴェン『エロイカ』第1楽章の静けさ(Frisch p.118)。
→ 聴取:展開の激しさが、ふいに凪ぐ数小節。静けさを劇的に使うブラームスの手腕
再移行(主題回帰の告知) m.321 G(ペダル) Y モチーフYの尻尾が、心臓の鼓動のような属音Gのペダル上で鳴り、主題回帰を告げる(譜例5-5a、楽章の最高点)。
m.334誰もが「ソ→ドで再現部が始まる」と思うが、ソが半音下のファ#にずり落ちる。以後 Bm→Dm→Fm と3度連鎖で上昇し、その上でXが「正しい足場を探す」(m.335/337/339)。
m.339ド→ド#→レで頂点に達し、Xが「手品のように」主題a/1へ変わる=再現部の開始。
→ 聴取:解決を空振りさせる m.334 のずり落ち。期待を外してから、思わぬ仕方で主題が戻る
再現部(Recapitulation) m.340–473 — 境界は曖昧
区分小節調性終止主題内容・変容・提示部との差異
第1主題再現(曖昧な境界) m.340 c moll P' 再移行の頂点がそのまま再現へなだれ込むため、境界は曖昧(Frisch・KDH がともに明言)。半音音型がモット化し、m.38 冒頭の和音を省いて主題が始まる。差異:明快な「再現の開始点」を欠き、展開から縫い目なく移る
第2主題再現 m.403 C dur S' オーボエの主旋律が、提示部の変ホ長調でなくハ長調で。
m.419ヴァイオリンが上行し短調へ傾く。差異:Es dur(提示部)→C dur(同主長調)。だが束の間で、終結は再び短調へ
終結主題再現 m.430 c moll ハ短調 K' ハ短調の3音下降+ファゴット、m.450 でクライマックス(ハンマー3度)。差異:長調に開きかけた音楽が、ふたたびハ短調へ引き戻される
コーダ(Coda) m.474–511
区分小節調性終止主題内容
コーダ本体(主題の完成) m.474 c moll P完成形 ハンマーの3度、上行3半音が旋律に育つ。Frisch はここ(m.478–495)で「楽章を通じて主題が最も整然とした姿を見せる」と言う(譜例5-6)。コーダ開始を Frisch は m.474、KDH は m.475 と数える(1小節差)。
→ 聴取:ばらばらだった動機が、ここでようやく一つの主題にまとまる。
Meno Allegro(序奏の回帰) m.495 c→C dur ハ長調で静かに終止 Motto X テンポが落ち、ティンパニのペダルとモチーフXの半音が戻る——序奏 Poco sostenuto そっくりに作られた回帰
m.502第1主題の分散和音が失速し、弦がハ長調で分散和音を奏でる。
m.508モチーフZが終止音ドを押しとどめてクライマックスを作り、ゲネラルパウゼの後、静かなハ長調で閉じる。
→ 聴取:序奏が最後に還ってくる。ただしこのハ長調は「よそよそしく冷たい」——真の勝利はフィナーレへ持ち越される(Frisch p.120)
提示部の調性(緊張)
第1主題:c moll (i)
第2主題:Es dur (III)
終結群:es moll (iii)
再現部の調性(解決)
第1主題:c moll (i)
第2主題:C dur (I 同主長調)
終結群:c moll (i)
軸=調性。提示部の変ホ長調(III)は再現部でハ長調(I・同主長調)に置き換わる。だが楽章末のハ長調は「和声的な準備ができていないところで」到達するため弱く、勝利の解決は保留される(Frisch p.120)——それがフィナーレを必要とさせる。
第1楽章:形式上の特異点
  • 半音上昇のモチーフX=カルベックの「運命の動機」(『第5』との類似, p.113)。序奏で反行形とともに呈示され、全曲を貫く核になる
  • 第1主題が a/b/a' のセンテンス拡大——ベートーヴェン『第1番』の 1:1:2 を大きく引き伸ばす(pp.116–117)。真の主題到達は m.42
  • 展開部の「台風の目」(m.289)——『エロイカ』に倣う静寂の瞑想(p.118)
  • 再現部の境界が曖昧(m.340)——m.334 でソがファ#にずり落ち、Bm–Dm–Fm の3度連鎖を経て「手品のように」主題へ(pp.118–119)
  • コーダで序奏が回帰する(Meno Allegro, m.495)(p.120)
  • 長調終結の「弱さ」——和声的準備なくハ長調に着くため「よそよそしく冷たい」。真の勝利はフィナーレへ持ち越される(p.120)
第2楽章 Andante sostenuto
三部形式(ABA'+コーダ)
主調:E dur拍子:3/4 総小節数:128mm(KDH) 独奏ヴァイオリンの結び
A
m.1–26
B
m.27–66
A'
m.67–99
コーダ
m.100–128
初演時は ABACA のロンド風だったが、出版直前に3部形式+コーダへ縮小された。「音楽の散文詩」(Frisch)。※区分の頭は Frisch は m.27/m.67/m.100、KDH は m.28/m.67/m.101(1小節差)。
A(音楽の散文詩) m.1–26
区分小節調性終止主題内容・性格・聴取ポイント
主題A(楽想a〜e) m.1 E dur a〜e 弦の主題(ファゴットが重複)、付点、ホルンの低オクターヴが暗い応答へ橋渡し。Frisch は「音楽の散文詩」と呼び、楽想a〜eを関係づけるのが2番目のbだと読む(p.120)。フレーズc(m.4–6)は第1楽章モチーフXの反転から生成され、この楽章は「ハ長調で終わった第1楽章のこだま」として始まる(p.122)。
m.18オーボエ旋律(フレーズe)。
m.22フレーズa再現——オーボエの下降と、帰ってきたa後半が3度で重なり「出会う運命だったかのよう」。
→ 聴取:韻を踏まない散文のように、旋律が息長く続く。その底に第1楽章の動機が谺している
B(発展的変奏) m.27–66
区分小節調性終止主題内容
中間部(葬送行進曲) m.27 cis moll X回想 静かなホ長調から嬰ハ短調へ方向転換し、m.34–35 で「苦しみに満ちた葬送行進曲」に至る。
m.29m.33モチーフXが第1ヴァイオリンで回想される——「発展する変奏」の技法がきわめて洗練された形で現れ、Frisch は「ワーグナーの『転換の技法』へのブラームスなりの返答かもしれない」と言う(p.123)。
→ 聴取:第1楽章の運命動機が、ここで葬送のように回想される。
A'(拍節の置換で入る再現) m.67–99
区分小節調性終止主題内容・変容・差異
再現への経過と主題A' m.67 E dur A' 第1楽章が「属音ペダル上で和声を置換」して再現へ入ったのに対し、ここは拍節を置換する——m.63 で半拍が無音になり、記譜拍子から8分音符ひとつ分ずれて2/4に聞こえる(譜例5-8)。
m.84木管の「この世の物と思えない終止形」——ロマン派の交響曲に紛れ込んだバロック様式(譜例5-9)。差異:第1楽章の「和声の置換」に対し、こちらは「拍節の置換」で再現に入る(p.123)
コーダ(独奏ヴァイオリンの結び) m.100–128
区分小節調性終止主題内容
コーダ(Xの解決) m.100 E dur 絶美の終止 X解決 独奏ヴァイオリンが m.91 から終曲まで持続する。
m.116独奏ヴァイオリンがモチーフXを ミ→ミ#→ファ# で再現し、4小節後に解決。
m.122木管高音部がXを全音階化し(ミ→ファ#→ソ#)、立派に解決する——Frisch は「『トリスタン』最後の『切望』のモチーフに似ていなくもない」と言う(p.124)。
→ 聴取:独奏ヴァイオリンが、第1楽章以来の緊張をそっと解いていく。この解決が、次の楽章が静かに始まれる場を整える
第2楽章:形式上の特異点
  • 初演時は ABACA のロンド風、出版直前に3部形式+コーダへ縮小(p.120)
  • 「音楽の散文詩」——楽想a〜eの、韻を踏まない連なり(pp.120–121)
  • フレーズc が第1楽章モチーフXの反転から生成——楽章が第1楽章の「こだま」として始まる(p.122)
  • 「発展する変奏」の洗練(m.29/33)——「ワーグナーの転換の技法へのブラームスなりの返答」(p.123)
  • 再現部が「拍節の置換」で入る(m.63–66)——第1楽章の「和声の置換」と対をなす(p.123)
  • 独奏ヴァイオリンが m.91 から終曲まで持続し、コーダのXがトリスタン的に解決する(p.124)
第3楽章 Un poco Allegretto e grazioso
間奏曲風(スケルツォ+トリオ・三部形式)
主調:As dur拍子:2/4(トリオは6/8) 総小節数:164mm(KDH) クラリネット主題
A(スケルツォ)
m.1–70
トリオ(B dur)
m.71–108
A'(短縮再現)
m.109–153
コーダ
m.154–164
スケルツォではなく優美な「間奏曲」。均整のとれた対の主題でできており、散文詩調の第2楽章から韻文的な話法へ移る(Frisch)。トリオはロ長調(変イ長調から異名同音の短3度)。
A(スケルツォ) 2/4 m.1–70
区分小節調性終止主題内容・性格・聴取ポイント
主題A(対称の主題群) m.1 As dur A クラリネットの主題を、チェロのピチカートが支える。第2句は第1句の正確な反行。Frisch は「均整のとれた対の主題」(A/B/A'/B'/C/D/C'/D'/A'')と読む(p.125)。
m.19A' では両フレーズが7小節ずつに拡大し、m.30–33 で主旋律ファ→ファ#→ソがモチーフXとの関連を指し示す。
m.45主題C(ヘ短調)。
→ 聴取:クラリネットとチェロpizz.の、対称に折り返す主題。散文の第2楽章から、韻文の均整へ
トリオ(6/8) m.71–108
区分小節調性終止主題内容
トリオ(3度関係の転調) m.71 H dur Trio 変イ長調の Eb を D# と読み替え、ロ長調へ(変イ長調から異名同音的に短3度、m.70–71。Frisch が3度関係の例に挙げる, p.113)。裏拍の反復音+下降分散、跳ねる木管句。
m.79半音下げてニ長調へ。
m.99クライマックス、トランペット参加。
→ 聴取:拍子が6/8に変わり、遠いロ長調が開く。3度で滑る転調が、全曲の調構想を映す
A'(短縮再現) 2/4 m.109–153
区分小節調性終止主題内容・変容・差異
スケルツォ再現(終楽章主題の予告) m.109 as→As dur A' 2/4 へ戻り、トリオの反復音を6/8三連で引きずったまま主題が戻る(pizz下降は終楽章冒頭に酷似)。b部を欠く短縮再現
m.120第2句が一変してヴァイオリンへ移り、終楽章の主要主題(ビッグ・チューン)を予告する(譜例5-10)。
m.148低弦のユニゾンの上で、第1ヴァイオリンが第1楽章モチーフXを引用——「交響曲の真のドラマが劇的に再開される、その直前」(p.127)。差異:b部を省く短縮再現。前後の楽章の主題がここに差し込む
コーダ m.154–164
区分小節調性終止主題内容
コーダ(遅延終止) m.154 As dur 遅延終止 Trio素材 poco a poco più tranquillo。終止を避けながらトリオの三連素材が穏やかに回帰し、遅延終止で静かに閉じる。
→ 聴取:優美な楽章が、名残を惜しむように終わる。次の重い序奏の前の、束の間の安らぎ
第3楽章:形式上の特異点
  • スケルツォでなく優美な間奏曲——「均整のとれた対の主題」で、散文詩調から韻文的話法へ(p.125)
  • 主題Aの2フレーズが互いに反行、主題C'も反行——旋律・和声のシンメトリー(pp.125–126)
  • トリオがロ長調(変イ長調から異名同音の短3度, m.71)——3度連鎖の全曲構想の反映(p.113)
  • A' が終楽章主題(ビッグ・チューン)を予告(m.120, 譜例5-10)し、第1楽章モチーフXを引用(m.148–150)——楽章をまたぐ連関(pp.126–127)
  • トリオ後、b部を欠く短縮再現
第4楽章 Adagio – Più Andante – Allegro non troppo, ma con brio
変形ソナタ形式(大序奏付・独立展開部なし)
主調:c moll→C dur拍子:4/4(コーダは2/2) 総小節数:457mm(KDH) アルプホルン+コラールの序奏
序奏
m.1–61
提示部
m.62–185
再現部(展開兼)
m.186–366
コーダ
m.367–457
『第9』を手本にした大序奏(Adagio→Più Andante)。独立した展開部を持たず、再現部の経過で展開する変形ソナタ。ハ短調の霧を破って、ハ長調のアルプホルンとコラールが射す。
序奏(Adagio – Più Andante) m.1–61
区分小節調性終止主題内容・性格・聴取ポイント
序奏 第1部(Adagio) m.1 c moll 4音下降 ヴィオラ・低弦の4音下降(ド→シ♭→ラ♭→ソ)が暗い主題を予感させる(この下降は第3楽章でも聴かれた)。奇妙な全弦ピチカートが受け渡され、第1楽章序奏と関連する半音下降の伴奏。
m.12強拍のナポリ六和音=「第1楽章 m.19 をそのまま再現」(Frisch p.128)。
m.24弦の破断的下降がアルプホルン音型を予告、ティンパニ・ロールで新テンポへ。
→ 聴取:霧のように不安な序奏。4つの下降音が、やがて「大きな歌」の種になる
序奏 第2部(Più Andante)— アルプホルンとコラール m.30 C dur Alphorn Chorale ハ長調へ転じ、ホルンがアルプホルンの旋律を歌う(ブラームスが1868年にクララ・シューマンへ贈った旋律、"London chimes")。トロンボーンがここで初登場。
m.47トロンボーンのコラール(終曲末まで再登場しない、厳粛な主題)。
m.52ホルンがアルプホルンを受け渡し、属和音の上で「黄金の瞬間」の休止。
→ 聴取:山の呼び声(ホルン)と、教会のようなコラール(トロンボーン)。この2つの主題を覚えると、終楽章の全体が見える
提示部(Allegro) m.62–185
区分小節調性終止主題内容・性格・聴取ポイント
第1主題(ビッグ・チューン) m.62 C dur Big Tune 「朗々とした第1主題」。ベートーヴェン『第9』の「歓喜」主題を明らかにほのめかす——Frisch はザックスの「Es klang so alt, und war doch so neu(ひどく古いもののように聞こえるが、これはすごく新しいものだぞ)」を引く(p.129)。新しいのは「本来の第1主題として幕を開ける」から、馴染むのは前3楽章に蒔かれた「下降4度・半音4音」からこれが生成されたから(譜例5-11)。
m.78木管主導の対呈示。
→ 聴取:誰もが知る「歓喜」に似た大きな歌。だがこれは引用でなく、全曲が育ててきた主題の到達点
第2主題(4度下降のオスティナート) m.118 G dur S アルプホルン主題が m.114 で戻ったあと、第2主題が属調ト長調で。旋律はアルプホルンのミ→レ→ドから、低音は4度下降ド→シ→ラ→ソのオスティナートから(譜例5-12)。序奏で不安定だった属音「ソ」が、ここでは安らぎの主和音になる。
m.142終結部(ホ短調)。
→ 聴取:山の呼び声が、そのまま歌う主題に変わる。不安だった「ソ」が、ここで安息の地になる
再現部(展開を兼ねる) m.186–366
区分小節調性終止主題内容・変容・差異
第1主題再現=展開の開始 m.186 C→Es dur Big Tune ビッグ・チューンの最後の完全陳述(厚い管弦楽)。だがオーボエがすぐ変ホ長調へ転じ、この再現がそのまま展開でもある——独立展開部を持たない設計(Frisch p.130)。差異:呈示部の主題陳述が、そのまま展開の推進力に転じる
「Per aspera ad astra」の凝縮 m.279 c→C dur Alphorn 再現部の経過部の終わりが序奏 m.21–29 を想起させる。アルプホルン音型の頭が減七和音に崩壊し、m.287 でハ長調のミ→レ→ドに戻る——Frisch は「ほんの数小節の間に、交響曲全体の要旨『不安と焦燥から平和な解決へ(Per aspera ad astra!)』が封じ込められている」と言う(p.132)。
m.301アニマート、4音オスティナートがヴァイオリン(意識のレヴェル)から低音(無意識のレヴェル)へ——「交響曲中屈指の場所」(p.133)。
→ 聴取:暗い減七から、ハ長調の希望へ抜ける数小節。全曲の物語がここに凝縮される
コーダ(Più Allegro) m.367–457
区分小節調性終止主題内容
コーダ本体(Più Allegro) m.391 C dur Big Tune 2/2 へ加速。減七和音2つが解決する(m.392 ド-レ#-ファ#-ラ→m.393 主和音)。
ブリンクマンは「第1主題は再現後、原形では二度と現れず、アルプホルン主題(m.285)とコラール(m.407)に置き換えられる=『第9』の撤回(Zurücknehmen)」と読む(pp.133–134)。Frisch はこれに反論:コーダで主導権を取る楽想はリズム型を含め m.62 の第1主題=「曲の生命線」に基づき、置換でも削除でもなく「同じ主題への統合」だと(p.134)。
→ 聴取:「歓喜」の主題が消えたのか、統合されたのか——聴きながら考えたい分岐点。
勝利のコラールと円環の閉じ m.407 C dur ハ長調の強終止(m.457) Chorale コラールが2度目の大々的な登場で勝利を告げる(金管・弦)。
m.417コラールから3音モチーフ ソ→ラ→ソ が抽出される(『第9』の "was die Mode streng geteilt" を想起させる広い3連符)。
m.431ストップ・モーション——ユニゾンの ド→ラ→ラ♭→ファ#→ソ が、実は第1楽章第1主題のフレーズ3(m.48–51)に立ち戻る。頭に「ド」を置いて ド→ソ の4度輪郭を最後に明確化し、全曲の円環を閉じる(p.135)。
→ 聴取:勝利のコラールのあと、第1楽章の主題がユニゾンで戻る。苦悩の出発点に光の中で還り着く(Per aspera ad astra)
終楽章に集まる主題
モチーフX(運命の動機)
第1楽章序奏の半音上昇。第2・3楽章に浸透し(II m.4・m.29/III m.148)、終楽章第1主題の生成核になる(カルベック「運命の動機」)
アルプホルン旋律
序奏 Più Andante m.30。1868年クララ・シューマンへの贈物。再現部 m.285 で減七に崩れ、直後ハ長調のミ→レ→ドへ抜ける
コラール
トロンボーンの厳粛な主題 m.47。序奏で一度きり出たあと沈黙し、コーダ m.407 で勝利として大々的に回帰する
第1主題(ビッグ・チューン)
m.62。ベートーヴェン『第9』「歓喜」の谺。コーダ m.431 で第1楽章主題(m.48–51)に立ち戻り、円環を閉じる
第4楽章:形式上の特異点
  • 「フィナーレ病」への応答——尻重の『第5』『第9』を手本に、ゆっくりした大序奏に賭ける(pp.127–128)
  • アルプホルン旋律(1868年クララ・シューマンへの贈物)と、ギーゼラー・シューベルトの言う「空想のコラール」(p.129)
  • 第1主題がベートーヴェン『第9』「歓喜」をほのめかす——ザックスの「古く聞こえるが実は新しい」。全曲に蒔かれた下降4度・半音4音から生成される(p.129, 譜例5-11)
  • 独立展開部を持たず、再現部の経過で展開する変形ソナタ(全曲貫通の主題展開に注意を集めるため, p.130。同型は弦楽四重奏曲ハ短調 Op.51/1)
  • 再現部 m.279–287 に「Per aspera ad astra」が数小節で凝縮される(悲劇→希望, p.132)
  • 両論併記:ブリンクマンの「Zurücknehmen(第9の撤回)」説に対し、Frisch は「コーダは第1主題=曲の生命線に統合され、ベートーヴェンの衣鉢を正統に受け継ぐ」と反論する(pp.133–135)
  • コーダのストップ・モーション(m.431)が第1楽章第1主題に立ち戻り、全曲の円環を閉じる(p.135)

参考文献

Ursa Epicure 楽曲ガイド | ursaepicure.comガイド一覧