ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調 Op.90 — 全4楽章アナリーゼ
Johannes Brahms, Symphony No. 3 in F major, Op. 90 (1883) 楽曲ガイド
主調の地図:ヘ長調(I)に発し、ハ長調(II)・ハ短調(III)を経て、終楽章はヘ短調からヘ長調(IV)へと還る。F–A♭–F のモットーが全曲を貫き、4楽章すべてが静かに閉じる。短調と長調(A♭ 対 A♮)の闘争が最終コーダでヘ長調へ溶けて解決する。
出典・底本
主な分析ソース:Kelly Dean Hansen「Opus 90 Listening Guide – Symphony #3 in F Major」(学者個人運営サイトの小節単位リスニングガイド・二次資料。本作業時点でライブサイトが不通のため Wayback Machine 2024-12-25 保存版を参照、web.archive.org(KDH Op.90))/英語版 Wikipedia「Symphony No. 3 (Brahms)」。
小節番号は上記 KDH の表記に準拠(区分開始小節の合計が各楽章の総小節数 224/134/163/309 と一致することを検算済み)。底本(楽譜の版)は未確認(KDH が準拠版を明示していないため)。
終止欄は KDH の記述語("full F-major cadence" など)をそのまま訳出する。KDH は PAC/HC などのソナタ理論ラベルを用いないため、形式的終止ラベルはこの資料からは取らない。本文で言及する論:分析者・版で見解が分かれる箇所(シューマン引用の位置など)は両論を併記する。
全4楽章の俯瞰
楽章形式主調拍子形式上の変型聴きどころ
I. Allegro con brioソナタ形式ヘ長調6/4(第2主題は9/4)提示部反復あり・展開部が極端に短い・再現部が属準備なしで噴出冒頭の F–A♭–F モットーを覚えると、英雄的に流れ落ちる弦の主題がそこから生まれるのが見える。最後は意外なほど静かに閉じる。
II. Andante con moto修正短縮ソナタ形式ハ長調4/4コラール風第2主題が再現部で省かれ、終楽章へ持ち越されるクラリネットとファゴットだけで始まる静かな木管コラール。再現が縫い目なく「忍び込む」瞬間に注目。
III. Poco Allegretto三部形式(間奏曲+トリオ)ハ短調3/8再現で主題の担い手がチェロ→ホルン独奏→オーボエと音色を替えるあの有名なチェロの哀切な歌。再現ではホルン独奏が同じ旋律を歌い、色合いが変わる。
IV. Allegro変型ソナタ形式(展開部と再現部を結合)ヘ短調→ヘ長調2/2第1主題が展開部の前に再現・第2楽章コラールが循環主題として3度回帰嵐のような短調の出発。終盤、第2楽章のコラールがヘ長調で燃え上がり、最後は第1楽章主題が静かに還って消える。
楽章をまたぐ仕掛け:①F–A♭–F「frei aber froh(自由だが幸福に)」モットー動機が全曲を貫き、終楽章コーダで原形のまま回帰して第1楽章主題の帰還を呼ぶ。②第2楽章のコラール風第2主題は第2楽章再現部で省かれ、終楽章で3度回帰する(提示部の予示 m.19/展開部頂点のヘ長調凱旋 m.167/コーダの穏やかな別れ m.280)。③終楽章コーダで第1楽章主主題が回帰(KDH「変容(transfiguration)」)。④4楽章すべてが静かに終わる——ブラームスらしい閉じ方。
第1楽章 Allegro con brio
ソナタ形式(提示部反復あり)
主調:F dur拍子:6/4(第2主題に9/4挿入) 総小節数:224mm(KDH) 序奏なし
提示部
m.1–76
展開部
m.77–119
再現部
m.120–182
コーダ
m.183–224
展開部が全体に対して極端に短いのがこの楽章の骨格。提示部は反復される(ブラームス交響曲の第1楽章で反復記号を残した最後の例)。
提示部(Exposition) m.1–76
区分小節調性終止(KDH語)主題内容・性格・聴取ポイント
第1主題群 P(モットー) m.1 F dur Motto P-a 木管+高音金管が F–A♭–F モットーを全音符で強奏(F上は長三和音、A♭上は減七)。直後にヴァイオリンが passionato の主題を2つの下降で流し落とす。m.7:4音上行+モットー派生動機(C–E♭–C–E♮、続いて F–A♭–F–A♮)。
→ 聴取:最初の3つの和音 F–A♭–F を耳に刻む。これが全曲の種。長三和音と減七が交替する明暗の揺れがすでに鳴っている
第1主題群 終止 m.11 F dur full F-major cadence P-b シンコペ和音に対し旋律が下降、B♭上のモットーが導音Eへ跳躍、木管が F–A で応答してヘ長調の充実したカデンツに到達。
→ 聴取:英雄的な下降がいったんヘ長調で着地する手応え
移行部 Tr m.15 F→A♭ another F cadence(Tb強調) Tr フルート/クラの「3つのF」に上行Aが応答、付点上行から急速旋回。m.21:F–A♭–F モットーが和声化され、A♭が転調を駆動しはじめる。
→ 聴取:反復するFに上行Aが応える掛け合い。和声化されたモットーが調を押し開く
異名同音転調 m.29 →A dur arrival on A Tr' 巧妙な異名同音転調:A♭ を G♯(E属和音の第3音)と読み替え、m.31 でイ長調へ到達。モットー第3音が高い C♯ になり、第2主題へ減速する。
→ 聴取:A♭ がそっと G♯ に変わり、暗い和音が明るいイ長調へ開く瞬間
第2主題 S m.36 A dur S 拍子が「しなやかな9/4」に変わり、独奏クラリネットが主題を mezza voce で歌う(ヴィオラが重複)。m.40:主題を全合奏で再陳述。m.44:木管主導の快活な応答句、オーボエの下降旋回線、一歩下げて B 長調で反復。
→ 聴取:9/4 で揺れる独奏クラの抒情。拍が大きく伸び、第1主題の緊張がほどける
第2主題 反行・移行 m.47 A cadence in A, 移行で中断 S(反行) 弦(バスなし)が第2主題の近似反行形を下降として提示。m.49:6/4 に復帰、首席オーボエが A 上のモットーを属調の導音へ跳躍させる。m.56:アルペッジョを3拍→2拍に締め、「ずれた6/4の中の3/2」を含意して緊張。
→ 聴取:主題が反転して下りてくる。静かな背景に乗るオーボエのモットーに注目
終結群 K m.59 a moll the climax K m.59 で拍節が復帰し、下降3度→下降2度を叩きつける和音でクライマックス。m.61:イ短調の「憂愁の情熱的な旋律」(フルート・ファゴット・Vn)、クラ/ホルンが A 上のモットーを織り込む。m.65:全木管ユニゾン、弦が力強い対位法を反進行で重ねる。m.70:Vn の下降アルペッジョがモットーを「埋める」。m.71a=第1エンディング(提示部反復へ)。
→ 聴取:モットーを織り込んだ哀しい旋律で提示部が閉じる。反復の有無で曲の長さが変わる
展開部(Development) m.77–119 — KDH「際立って短い」
区分小節調性終止主題内容・性格・聴取ポイント
展開開始 m.77 cis moll S変容 第2主題を 9/4→6/4 に変容、低弦+ファゴット 対 脈打つ Vn。m.90:木管が快活な応答句(m.44由来)を6/4で力強く展開。
→ 聴取:抒情主題が嬰ハ短調で険しく姿を変える
ホルンのモットー旋律(情緒的頂点) m.101 Es dur cadence 中断(m.109) Motto m.94 でト長調に「停滞し漂い」、半音で沈下して変ホ長調を予告。m.101:首席ホルンが G–B♭–G で「モットーへ温かく立ち上がり」、モットーが実際の旋律へ伸びる——KDH の言う「魔法の瞬間」。m.109:モットー旋律が G♭ へ届き、poco rit. で減速。
→ 聴取:輝くホルンが歌うモットー。短い展開部のなかで最も美しい高まり
再移行(骸骨化した主題) m.112 es→b moll P骨組 「非常に神秘的」:低弦+ファゴットが第1主題の骨組みを無伴奏で這わせ、本来の6/4拍を欠いたまま進む。m.116:低い F 保持+ティンパニ・ロール(この F は B♭ の準備属音で、まだ主音ではない)。
→ 聴取:深部で脈を欠いたまま這う主題。噴出の直前の低い F とティンパニに耳を澄ます
再現部(Recapitulation) m.120–182
区分小節調性終止主題内容・変容・提示部との差異
第1主題再現 m.120 F dur the arrival(属準備なし) P' 「異例に劇的で痙攣的な噴出」。属和音の準備なしにヘ長調が主音として爆発し、モットーを4小節に引き伸ばす。m.124 以降は提示部に一致。差異:属準備を欠いたまま F に激突。モットーが4小節に伸長する
移行部再現 m.136 F→D dur Tr' m.15 と同様に開始。m.142:m.29 に対応する異名同音転調だが、m.21/23 のモットー+移行は省略され、F♯ がニ長調の属音へ向かう(第2主題が4度上の調へ進む典型処理)。差異:到達先がイ長調ではなくニ長調。m.21/23 を省略
第2主題再現 m.149 D dur S' 9/4(m.36対応)。クラリネット+ファゴットsotto voce(提示部の mezza voce よりさらに抑えて)。m.156:弦の第2主題反行形(m.47対応)がヘ長調へ引き込まれる差異:音色変更+一段と弱音。主題反行が故郷ヘ長調へ舵を切る
終結群再現 m.158 F→g/d moll K' m.158:オーボエのモットーが原位置の F 音から。m.162:低弦が予想外にト短調へ跳ね上がる。m.170:第2主題がニ長調だったため、終結主題はその平行短調ニ短調に落ちる。m.174:ホルン応答にトランペットが加わる。差異:KDH は「ヘ長調への迂回は構造上は不要なミスディレクション」と評す。長く抑えられた属音 C はコーダ(m.183)で初めて主張される
コーダ(Coda) m.183–224 計42小節
区分小節調性終止主題内容
コーダ(長短の決着) m.183 F(属C上) P'' 全編成で第1主題を原音高で。ただしバスのモットーは C–E♭–C(F でなく)、第2下降が A♭ でなく A で始まる「重要な変更」——長短の闘争がここで動く。m.195:m.11 の下降を全合奏で強奏し、属(C)と下属(B♭)を交替、F は主にティンパニが受け持つ。
→ 聴取:A♭ が A に替わる一音の違い。明暗の天秤がわずかに長調へ傾く
結尾(静かな閉じ) m.201 F dur cadence gesture(m.209) P(派生) m.201:主題から派生した穏やかな新旋律(旋回+下降4度)で和声がようやく F へ。m.209:木管が退場し、弦が F へ到達、「問いかけるような身振り」をオーボエ→ファゴット→ホルンで受け渡す。m.216:低弦が最終拍に F 長調アルペッジョで割り込み拍節をずらす。m.220:第1主題の最初の下降が楽章を閉じ、弦が急速に減衰、低弦ピチカートの下降が F で消える。楽章は意外にも静かに、変容したヘ長調和音で終わる
→ 聴取:嵐が引いたあとの優しい主題。最後は拍を外したアルペッジョが静かに溶ける
提示部の調性(緊張)
第1主題:F dur (I)
移行部:F→A♭→A
第2主題:A dur(♯3 の遠隔長調)
終結群:a moll(平行短調)
再現部の調性(解決)
第1主題:F dur (I・属準備なし)
移行部:F→D(m.21/23 省略)
第2主題:D dur → 弦反行が F へ志向
終結群:d moll(KDH「不要なミスディレクション」)→コーダで F 確立
軸=調性。提示部の遠隔調イ長調と、再現部のニ長調は、いずれも主調ヘ長調から3度関係で離れる。古典的な V→I の解決ではなく、3度関係の色彩移動で「解決」を作るのがこの楽章の個性。
第1楽章:形式上の特異点(KDH典拠)
  • 拍節の二重性:主題は 6/4 とも 3/2 とも聞こえ、第2主題は 9/4、終結群は「ずれた6/4の中の3/2」。拍の感じ方が絶えず揺れる
  • 長短(A♮ 対 A♭)の闘争:F–A♭–F モットー自体に内包(F上は長三和音、A♭上は減七)。コーダ m.183 で下降が「A♭ でなく A で始まる」一音の変更が決定打
  • 準備なしの再現(m.120):属和音の用意なしに F が主音として痙攣的に噴出する
  • 再現部の調的ミスディレクション:第2主題はニ長調、終結主題はニ短調に落ちる(KDH「構造上は不要な手の込んだミスディレクション」)
  • 極端に短い展開部:全曲の簡潔さに呼応する
  • 静かに終わる:pp のヘ長調「変容した和音」で閉じる
  • シューマンとの関係:KDH は第1楽章主題がシューマン「ライン」交響曲(第3番 Op.97)の一節を「ほぼ正確に引用」と記す。Wikipedia はシューマン参照を終楽章末に置く——両論あり(→ 参考文献の注)
第2楽章 Andante con moto
修正短縮ソナタ形式(第2主題を再現で省略)
主調:C dur拍子:4/4 総小節数:134mm(KDH) 木管コラール開始
提示部
m.1–70
展開部
m.71–84
再現部
m.85–121
コーダ
m.122–134
再現部でコラール風の第2主題が省かれ、新しい情熱的な旋律に置き換わるのがこの楽章の核。省かれた主題は終楽章で循環主題として戻る。
提示部(Exposition) m.1–70
区分小節調性終止(KDH語)主題内容・性格・聴取ポイント
第1主題(木管コラール) m.1 C dur P-a クラリネット+ファゴットのみの穏やかな旋律(下降4度で終止)。第1楽章コーダの旋律に似て、m.3 の付点がモットーを想起させる。m.5:付点+低弦エコーがホ短調・ト長調へ和声的に迂回。m.9:イ短調を経てハ長調へ、オーボエが初登場して「心のこもった下降線」。
→ 聴取:弦も金管もまだ鳴らない、木管だけの素朴なコラール。オーボエが入る瞬間に色が差す
第1主題の延長と移行 m.21 C→G leads to a full cadence P-b / Tr m.21:木管が句末を延長し最初の本当の到達。m.24:オーボエの16分装飾、ヴァイオリン初登場、和音交替が拍節を乱しはじめる。m.33:交替和音が「拍節を完全に覆い隠し」、Gの目標がイ短調を経てイ長調終止へ。
→ 聴取:ヴァイオリンが入ると同時に、拍の輪郭がにじんで不思議な浮遊感が生まれる
第2主題(コラール風) m.41 G dur S(循環) 峻厳なコラール風主題=クラリネット+ファゴットの素のユニゾン(付点上拍下拍+三連符)。この主題が終楽章へ持ち越され、循環主題になる。m.46:オーボエ+ホルンが4度上で再陳、第4小節で「全く新しいロ短調」へ。
→ 聴取:剥き出しで神秘的なコラール。ここを覚えておくと、終楽章での再会に気づける
新着想と終結材料 m.51 G→D→G S-b / K m.51:弦の「新しく優しい着想」(semplice)、ト→属ニ、即座に木管が反復。m.63:D が G へ解決、Vn が三連符で装飾、ヴィオラ/チェロ/ファゴットが「主題のより活発な版」を弧状に。m.68:三連符が低弦を影付け、両主題の上拍下拍を回想して展開部へ細る。
→ 聴取:歌うように素朴な応答句。三連符の彩りが増えて音楽が静まっていく
展開部 m.71–84
区分小節調性終止主題内容
展開(短い緊張) m.71 H dur→f/C P断片 m.71:弦のみ、「鮮烈な和声移動」でロ長調へ。m.74:F/D♭ の並置が第1楽章提示部の移行を想起させる。m.77:ヘ短調の属 C 上で減七和音を小節線越しに保持、第1Vn が急降下。
→ 聴取:予想外に明るいロ長調の和音が一瞬差し、すぐに不穏へ落ちる
再現部(Recapitulation) m.85–121 — 第2主題を置換
区分小節調性終止主題内容・変容・差異
第1主題再現(忍び込む) m.85 C dur P' m.80:Vn が主題頭を16分音符で強奏し、ハ長調が徐々に戻る。m.85:「極めて巧妙」に、フルート/クラ/ファゴットが拍をずらし、再現が「忍び込む」。m.86:上拍開始(保持音なし)、展開部の16分音型を弦が継続。差異:再現が縫い目なく忍び込む。冒頭が新しい管弦楽法(弦の16分音型)で戻る
第2主題の置換(新主題) m.105 上昇→頂点 新S m.105:移行と元の第2主題の大部分が、この新材料に置換される。m.108:「極めて情熱的」な新「第2主題」(長音+下降5度の反復)が大クライマックスへ。省かれたコラールの代理差異:コラール風第2主題は再現されず、うねる新しいロマン的旋律が代わりを務める(省かれた主題は終楽章へ)
コラールの残響 m.116 G→C S断片 「元のコラール風第2主題の残り全て」を4度上で——コラールはこの断片だけが生き残る。差異:第2主題はわずかな断片に縮減
コーダ(Coda) m.122–134
区分小節調性終止主題内容
コーダ(変格終止) m.122 f moll→C dur plagal cadence(短調下属) P'' m.122:主題冒頭を原クラリネットで、「頑固な」C ペダル、ファゴットの半音和声(A♭=ヘ短調を示唆)。m.132:ヘ短調アルペッジョが「異界的な最終ハ長調和音」へ=短調下属による変格終止。この F と A♭ が第1楽章モットーを反映する(循環の予兆)。
→ 聴取:頑固な低音の上で冒頭句が戻り、最後は静謐に輝くハ長調和音へ落ち着く
第2楽章:形式上の特異点(KDH典拠)
  • 木管コラールの開始:クラリネット+ファゴットのみ、下降4度。弦も金管もまだ鳴らない
  • 峻厳なコラール風第2主題(m.41)=終楽章へ持ち越される循環主題。再現部では省かれ、終楽章で完成する
  • 「忍び込む」再現(m.85):縫い目なく再現が始まり、聴衆に開始を気づかせない
  • 拍節の隠蔽(m.33):交替和音が「拍節を完全に覆い隠す」
  • 静かな終結=短調下属による変格終止。F と A♭ が第1楽章モットーを反映し、循環を予告する
第3楽章 Poco Allegretto
三部形式 ABA′+コーダ(間奏曲とトリオ)
主調:c moll拍子:3/8 総小節数:163mm(KDH) チェロの主題
A:間奏曲
m.1–53
B:トリオ
m.54–98
A′:再現
m.99–149
コーダ
m.150–163
スケルツォではなく、もの寂しい間奏曲。聴きどころは再現 A′ で、同じ主題の担い手がチェロからホルン独奏・オーボエへと替わる音色の妙。
A:間奏曲(Intermezzo) m.1–53 c moll
区分小節調性終止(KDH語)担い手内容・性格・聴取ポイント
A主題 a(初出) m.1 c moll half-cadence(m.9) Vc 「霊感に満ちた、もの寂しい mezza voce の短調主題」をチェロが付点上拍で歌う。Vn 三連符・ヴィオラの弧・ピチカート低音が支える。m.9:12小節に拡大、五連符の旋回から強い半終止。
→ 聴取:交響曲随一の名旋律。柔らかく切ないチェロの歌。m.9 の五連符のひと振りに注目
A主題 a 反復 m.13 c moll full closure in C minor(m.21) Vn1 第1ヴァイオリンで主題反復、クラリネットが加わる(シンコペ)。m.21:三連符を第2Vn/ヴィオラで分割、半終止でなく完全終止して b 部へ。
→ 聴取:同じ旋律が今度はヴァイオリンで。音色が一段明るくなる
A主題 b(長調の慰め) m.24 C dur Vc 「癒やしの霊薬」のような長調旋律をチェロdolce、再陳で Vn が6度上に加わる。m.32:旋律が B 上で宙づり、チェロ三連符の減七アルペッジョが未解決のまま漂う。
→ 聴取:雲が晴れるように温かなハ長調へ。和声が解決せず留まる浮遊感
A主題 a′(管楽器へ) m.41 c moll→as moll full closure in C minor(m.49) Fl/Ob/Hn 主題回帰、今度はフルート・オーボエ・ホルンのユニゾン。m.49:ハ短調で完全終止したのち、予想外の変イ短調和音(拍節ずらし)でトリオへ突入。
→ 聴取:主題が管楽器のユニゾンで戻る。最後の暗い和音がトリオへ扉を開く
B:トリオ(Trio) m.54–98 as moll/dur
区分小節調性終止担い手内容
トリオ c m.54 as moll/dur half-close(m.58) Ww/Vc 全体が拍節的に転位(上拍が下拍に)、木管が変イ短調/長調和音を交替、シンコペのチェロが下降4度。m.58:チェロが D♭ で2オクターヴ跳躍。
→ 聴取:拍の位置がずれて足元が不安定になる。木管の和音の揺らぎ
トリオ d(弦のみ) m.70 H dur 全木管が退場し、弦のみが表情豊かな揺れる旋律。頂点でバスが初めて弓奏する。m.79:「故郷」変イ長調へ(短3度下)、ここでの音量は増大でなく後退。
→ 聴取:弦だけが咲く中間部。低音が初めて弓で歌う厚みに注目
再移行(循環の予兆) m.93 as→b→c moll Cl/Bsn/Hn m.93:クラリネット+ファゴットが A 主題の最初の3音を忍ばせ(変イ短調)、変ロ短調へ上昇。m.97:フルート/オーボエの3音図形、ホルンが C 音で入り再現を準備する。
→ 聴取:間奏曲の主題が管楽器にそっと戻ってくる。ホルンの C が再現の合図
A′:間奏曲再現 m.99–149 — 音色を替えて
区分小節調性終止担い手内容・差異(対 A部)
A主題 a(ホルン独奏) m.99 c moll half-cadence(m.107) Hn solo 「鮮烈な変化」:主題がチェロでなくホルン独奏に、フルートがシンコペの脈を添える。m.107:ホルンの五連符旋回が「特に鮮烈」。差異:主題の担い手をチェロ→ホルン独奏に変更。音色が一変する
A主題 a 反復(オーボエ) m.111 c moll Ob オーボエが旋律を担う(A 部では第1Vn の位置)。差異:第1Vn→オーボエ
A主題 b(ファゴット) m.122 C dur Bsn ファゴットdolce の長調旋律(旧チェロ線)、上声はクラリネット。差異:チェロ→ファゴット、上声クラ
A主題 a′(豊かに) m.139 c moll full closure in C minor(m.147) Vn1+Vc 「はるかに豊か」:旋律を第1Vn+チェロが3オクターヴに展開。m.147:ハ短調で終止し、コーダへ直結。差異:3オクターヴに拡張、管の再配置。主題が満ち足りて戻る
コーダ(Coda) m.150–163
区分小節調性終止担い手内容
コーダ(静かに消える) m.150 c moll cadence in C minor(m.159) tutti→pizz m.150:拍節をずらした保持和音がトリオ導入を想起させるが、トリオでなく主題材料がハ短調終止へ解決する。m.159:穏やかな3和音下降、最終ハ短調和音を2小節以上保持、3/8 の脈をピチカートが回復して消える。
→ 聴取:トリオの和音が戻りかけるが、主題が勝つ。最後はピチカートの静かなハ短調へ
第3楽章:形式上の特異点(KDH典拠)
  • 有名なチェロの主題(m.1)=「もの寂しい mezza voce」。交響曲を代表する旋律
  • 再現での音色替え:チェロ(初出)→ホルン独奏(m.99)→オーボエ(m.111)→第1Vn+チェロの3オクターヴ(m.139)
  • 循環的再移行(m.93–97):トリオ末でクラ+ファゴットが A 主題の頭3音を異調に忍ばせる
  • トリオへの不意のピボット(m.49):完全終止の直後に変イ短調和音が割り込む
  • 静かな終結(m.159):保持されたハ短調和音とピチカートで消える
第4楽章 Allegro
変型ソナタ形式(展開部と再現部を結合)
主調:f moll → F dur拍子:2/2(alla breve) 総小節数:309mm(KDH) 提示部反復なし
提示部
m.1–107
展開部+再現部(結合)
m.108–251
コーダ
m.252–309
KDH は展開部と再現部を一つの大区分にまとめる。第1主題が展開部の前に再現し(m.108)、第2楽章のコラールが循環頂点(m.149→ヘ長調 m.167)として燃え上がる。情緒の頂点はむしろ静かな循環コーダにある。
提示部(Exposition) m.1–107
区分小節調性終止主題内容・性格・聴取ポイント
第1主題 P m.1 f moll P 全弦+ファゴットのユニゾン sotto voce、不気味で嵐めいた長短短リズムと下降旋回。m.9:フルート/クラ/ファゴットが3度6度で和声化(mezza voce)、G♭ のナポリ色を帯びて5小節に伸長。
→ 聴取:静かなのに張り詰めたユニゾンの出発。低く渦巻く主題を覚える
挿入句(循環の予示) m.19 des moll→Des dur 第2楽章コラール トロンボーンが突入し、第2楽章の第2主題(コラール)が初めて終楽章に現れる——第2楽章再現部で省かれた、あの主題。m.23:トロンボーンが膨らみ「前楽章からの奇妙な中断」を閉じる。
→ 聴取:嵐の中に、緩徐楽章から借りた静かな主題が割り込む。循環の最初の予告
移行部 Tr m.30 f→c moll Tr 全合奏の C 上の上拍下拍図形、ティンパニ・ロール。m.42:半音上行+シンコペ、ハ短調の「嘆く下降」を管弦が交替で投げ合う。
→ 聴取:筋肉質に叩きつける身振りと、嘆くような下降の応酬
第2主題 S m.52 C dur S 英雄的な三連符の行進旋律(チェロ/ホルン)が属 G へ強く牽引。m.56:第1Vn+木管に主題、行進するピチカート低弦、ホ短調へ降下。m.66:パターンを反復し終結主題のため変ホを準備。
→ 聴取:暗い出発から一転、自信に満ちた英雄的主題が長調で立ち上がる
終結群 K m.75 c→h moll K m.70:全合奏(トロンボーン・ティンパニ)が変イ長調を強奏し急降下。m.75:第2主題の劇的な短調続編、フルートの叩くシンコペ。m.87:最弱拍を強調する上向図形、「ジグザグの中断」が遠隔のロ短調へ。m.102:主題冒頭断片が Vn/ヴィオラでヘ短調へ、ピチカートが再現を導く。
→ 聴取:英雄性が緊迫した短調へ翳り、上へもがいて遠い調へ転ぶ
展開部+再現部(結合) m.108–251
区分小節調性終止主題内容・変容・差異
第1主題再現(展開部より前) m.108 f moll P' ユニゾンが今度は木管+ピチカートのユニゾン弦で、2小節延長。m.120:オーボエ+ファゴットが冒頭句、「胸を打つ変容」で主題が薄く引き伸ばされる。差異:展開に入る前に、淡い木管+ピチカートで第1主題が戻る(KDH の結合区分)
展開(主題労作) m.134 as→b→c P断片 m.134:Vn が測定トレモロで主題、低 E♭ ペダル上、4小節句を8小節に伸長。m.142:突然の強烈な噴出、下降旋回を急速上行ゼクエンツに、管↔低弦↔ホルンで主題を投げ合う。
→ 聴取:深いペダルの上を漂う遠い主題から、動機が上へ放り投げられる爆発へ
第2楽章コラール回帰(循環頂点) m.149 a moll→F dur 第2楽章コラール 「極めて劇的なゲネラルパウゼ」の後、第2楽章のコラール主題が壮大な変容(apotheosis)として金管/木管/バスで噴出、弦が三連符で渦巻く。m.167:故郷ヘ=今や長調へ到達。KDH「A♭ 対 A♮/ヘ短調 対 ヘ長調の緊張が、ヘ長調と A♮ に決定的に勝利したかに見える」——が直後に A♭ の回帰で「無慈悲に中断」される。
→ 聴取:衝撃の沈黙のあと、緩徐楽章の主題が燃え上がる。ヘ長調の勝利、そして奪われる瞬間
移行部再現 m.172 f moll Tr' 第2楽章主題は既に成就済みのため、ここでは挿入句(m.19)が再現されない。「熱に浮かされた力強い変容」。m.184:m.42 に対応するが4度上、「嘆く下降」が今度はヘ短調で。差異:提示部の挿入句(緩徐楽章主題)を再現しない。役割が反転して激しさを増す
第2主題再現 m.194 F dur S' 第2主題が主調の長調で(m.52 に酷似、同編成)。差異:属調ハ長調(提示部)→主調ヘ長調へ「解決」。英雄的主題が故郷の長調で輝く
終結群再現 m.217 f moll→h moll K' m.212:「強奏」和音が今度は変ニ上、ヘ短調へ急降下。m.217:終結主題がヘ短調に移調して戻る。m.238:行進する低音が主題の最初の3小節そのもの(原調)に置換=「極めて巧妙な変奏」。m.244:動機が減速し、半音上のロ短調へねじれてコーダを開く。差異:ハ短調→ヘ短調。低音が主題自身に置換される
コーダ(Coda) m.252–309 — 静かな循環の頂点
区分小節調性終止主題内容
コーダ開始(遠隔調) m.252 h moll→f moll P(新版) ヴィオラが全く新しい、緩い三連符変容の主題を開始(コーダの起点としては異例の遠隔調)。m.260:ティンパニ・ロール、m.9 の「伸長した主題」の囁く上行アルペッジョが回帰。
→ 聴取:遠い調の、静まり返った主題の新しい姿。冒頭の囁くアルペッジョが戻る
長調への変容+モットー回帰 m.267 F dur Motto KDH「楽章と交響曲の鍵となる瞬間」。Un poco sostenuto、オーボエが倍音価で主題、ホルンが「温かく気高い和声」。m.271:オーボエが第1楽章の4音版モットーを B♭ 上で奏す。m.275:ホルンがモットーを反復、トロンボーンが「荘厳に入場」。
→ 聴取:短調が静かにヘ長調へ溶ける奇跡。第1楽章のモットーがオーボエとホルンで還ってくる
第2楽章コラール(終楽章3度目) m.280 F dur 第2楽章コラール 木管/金管が第2楽章のコラール主題をヘ長調で、上拍下拍和音が低弦と交替。m.288:「とりわけ心のこもった温かい」第2陳述、F への終止で「実りある主題に別れ」を告げる。
→ 聴取:緩徐楽章のコラールが、最後はおだやかな長調で安らぐ
第1楽章主題回帰(終結) m.297 F dur 最終終止 Motto / 第1楽章P m.297:チェロ/ファゴットが終楽章冒頭旋回、フルート/オーボエ/ホルンが原形の全音符モットーを F・A♭ 上・原和声のまま(交響曲の冒頭そのものへ遡る)。m.301:第1楽章の主主題が回帰——KDH「変容(transfiguration)としか言えない」。輝くトレモロ上に主題、第2音を小節線越しに保持(第1楽章の 3/2 の含意)。m.305:トレモロの下降が静まり、低 F のティンパニ・ロールを2小節保持、ピチカート、最終小節に保持和音。KDH「4楽章すべてが静かに終わる——この傑作が他の終わり方をするなど考えられない」。
→ 聴取:全曲の冒頭の身振りが変容して還り、第1楽章の主題が無重力に漂う。低い太鼓のFで交響曲が静かに息を吐く
第4楽章:形式上の特異点(KDH典拠)
  • 嵐めいたヘ短調の出発(m.1):sotto voce の弦+ファゴットのユニゾン。フィナーレなのに弱音で始まる
  • 緩徐楽章主題の不意の挿入(m.19、トロンボーン主導)=循環の予告
  • 第1主題が展開部の前に再現(KDH の結合区分「展開部/再現部」)
  • 長短(A♭ 対 A♮)闘争の解決:m.167 でコラールがヘ長調頂点に達するが A♭ で「無慈悲に中断」され、真の解決はコーダへ持ち越される
  • 静かな循環コーダこそ情緒的頂点(KDH「楽章と交響曲の鍵となる瞬間」):第1楽章モットー・コラール・第1楽章主題が次々に還る
  • 全曲が静かに閉じる:低 F のティンパニ・ロール、ピチカート、消えゆくヘ長調保持和音
終楽章に集まる循環主題
F–A♭–F モットー
第1楽章冒頭の全音符動機(frei aber froh)。終楽章コーダ m.271/275 で4音版、m.297 で原形が回帰
第2楽章コラール
第2楽章 m.41 のコラール風第2主題。再現で省かれ、終楽章で3度回帰(m.19/m.149→167/m.280)
第1楽章主主題
終楽章コーダ m.301 で回帰し、交響曲を閉じる(KDH「transfiguration」)
静かな終結
4楽章すべてが pp で閉じる。終楽章は低 F のティンパニとピチカートで消える

参考文献