楽曲ガイド 作品と関連記事

チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 Op.64

Symphony No. 5 in E minor, Op. 64(1888)

主調の地図:ホ短調(I)に発し、ニ長調(II)で歌い、下属調のイ長調(III)でワルツを踊り、終楽章でホ短調からホ長調へ抜ける。

出典・底本
主な分析ソース:Joseph C. Kraus, "Tonal Plan and Narrative Plot in Tchaikovsky's Symphony No. 5 in E Minor", Music Theory Spectrum 13/1 (1991): 21–47(JSTOR・査読誌)/Breighan Moira Brown, "Transforming Chaos": Modes of Ambiguity in Tchaikovsky's Symphony No. 5 in E Minor(シンシナティ大学 CCM・修士論文・2007)/Sarah Collins & Jonathan Fitzgerald, "Music ATAR Year 12 — Designated works: Tchaikovsky, Symphony No. 5, 1st and 3rd movements"(西オーストラリア州教育当局 SCSA の指定作品分析・第1・第3楽章のみ。正規の SCSA 側 URL は未確認で、本ガイドは第三者ミラーで閲覧した)/Daniel Robert Wolfe, Popular But Disparaged(ヒューストン大学・DMA 学位論文・2020)/書誌は Tchaikovsky Research(書簡・自筆譜の所在を集めた研究アーカイブ)。
位置の準拠:小節番号による。ただし底本が楽章で分かれる。第1・第3・第4楽章は Breitkopf & Härtel 版フルスコア(図版番号 30388/Part.B. 3347, ca.1930。Dover 1979 が復刻)の印刷値で、この版は各段の冒頭に小節番号を、区分の頭に練習記号を印刷する。第2楽章は、区分の小節境界を示した公刊資料が存在しないため、本ガイドが Brandon Amaro 2025 浄書版(IMSLP)を底本に拍子・テンポの切替点と練習記号を実測して境界を引いた(その旨を当該楽章に明記した)。Breitkopf 版にも小節番号は印刷されているので、同版で採り直せば底本を統一できる(本ガイドでは未実施)。Amaro 版での実測値は、練習記号 A=m.16(国際ホルン協会の抜粋表記「A の7小節前」と一致)、m.158 の Allegro non troppo(Wikipedia)、m.170 の解決(Kraus)の3点で外部資料と照合した。3点の一致であって、全域で番号体系が一致することは確認していない。公刊資料に小節番号のない箇所(第4楽章の全休止 m.471 など)も同様に本ガイドの実測とわかるよう本文に書いた。実測の確かさは一様ではない——第2系統で照合したのは上記3点と、リハーサル番号の読み取り(縮小画像からの一部は±1小節の幅がありうる)だけで、それ以外は単一の読み取りである。楽器編成・強弱・テンポ標語の記述は、人名や資料名を添えていない限り本ガイドの総譜読みによる。したがって編成に関する記述は、本ガイドが読んだ版に限った話である——この曲には1889年のハンブルク上演にまつわる作曲者自身の異同があり、現行の原典版はそれを反映しているとされる(本ガイドは現行原典版を確認していない)。読み取れなかった箇所は本文に「読み取れなかった」と書いた。
参照録音:エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団/ドイツ・グラモフォン(1960年録音)。区分ごとの時間目安(≈mm:ss)は付けていない。特定の録音に紐づけて区分の経過時間を示した公開資料はこの曲に見当たらず、本ガイドでも計測していない。推測の時間は書かない。
本文で言及する論:Kraus(調計画と物語)/Brown(変格的な曖昧さ・拍節のずれ)/Collins & Fitzgerald(第1・第3楽章の区分)/Wolfe(Hepokoski & Darcy のソナタ理論による読み)。分析者で見解が分かれる箇所は本文に両論を併記する。

全4楽章の俯瞰

楽章形式主調拍子位置精度聴きどころ
I. Andante — Allegro con animaソナタ形式(序奏つき)ホ短調4/4 → 6/8小節(資料)低音域のクラリネット2本が葬送行進曲のリズムで動機を出すところから全曲が始まる。速い部分に入っても和音は主音と下属音のあいだを往復するばかりで、外へ出ようとして何度も失敗する。第2主題がニ長調で現れるところが、この楽章のいちばん大きな開き。
II. Andante cantabile, con alcuna licenza三部形式(ロンドとの対話、という読みもある)ニ長調12/8(4/4 を挟む)小節(本ガイド実測)ホルン独奏の歌で知られる楽章。その歌が、全奏の動機に2度断ち切られる。断ち切られ方そのものがこの楽章の設計で、2度目は終止しかけたところを割られる。
III. Valse: Allegro moderato三部形式(A—B—A′+コーダ)イ長調3/4小節(資料)ワルツだが、中間部では16分音符が走り回ってスケルツォになる。最後、イ長調の変格終止の枠のなかにクラリネットとファゴットが動機を持ち込み、次の楽章への橋を架ける。
IV. Finale: Andante maestoso — Allegro vivaceソナタ形式(序奏・コーダつき)ホ長調 / ホ短調4/4 → 2/2 → 6/4小節(資料+実測)序奏でホ長調に変わった動機が堂々と歌われる。速い部分はホ短調に戻り、再現部を締めくくったあとの全休止で客席が拍手を始めることがある。コーダでホ長調の動機が返り、最後は第1楽章の主要主題が長調の行進曲になって鳴る。
楽章をまたぐ仕掛け:冒頭の動機が4つの楽章すべてに現れる。第4番も循環的だが、主題が全楽章に及ぶのは《マンフレッド交響曲》で試した手つきで、この曲がそれを引き継ぐ(英語版 Wikipedia)。Kraus (1991) はこの動機を Refrain と呼び、ホ短調で提示され、第2楽章で強められ、第3楽章で弱められ、終楽章でホ長調の勝利に至る、と筋を描く。その要は第3楽章末で、上方隣接音がここで初めて半音(F♮)になり、全曲の対立軸だったニ調を「長調の主和音」から「短調の下属和音」へ格下げする。終楽章では対立軸そのものがホ調とニ調からホ調とハ調へ移る、というのが Kraus の読み。

第1楽章 Andante — Allegro con anima

ソナタ形式(序奏つき)
主調:e moll4/4 → 6/8 Andante ♩=80全542小節 ティンパニ G, D, E
序奏
mm.1–37
提示部
mm.38–225
展開部
mm.226–320
再現部
mm.321–486
コーダ
mm.487–542
※ 幅は小節数に比例。区分は Collins & Fitzgerald の表による。展開部の開始は m.214 とも読めると同資料自身が留保しており、Wolfe の表もその位置に境界を置く(下の特異点)。
主要主題
動機(Refrain)m.1
実音で G–G–G–A–G–F♯|G–E、続く句は同じ形を4度上げて B–B–B–C–B–A|B–G。m.5 からは4分音符6つが E–D–C–B–A–G の下行6度を描く。イ調クラリネット2本のユニゾン(低音域)、低弦は p pesante e tenuto sempre。付点による葬送行進曲のリズムで、和声は主和音と下属和音の往復(I–IV–I)に終始し、属和音による決着を持たない。
第1主題(P)m.42(上拍から)
上拍の C から E–(休)–E–E–F♯–G–A–G–F♯–E、続いて G の反復から下行。クラリネットとファゴットが提示し、弦が伴奏する。付点8分+16分+8分の執拗な音型で、序奏と同じく主音と下属音のあいだを往復し、ト長調へ抜けようとして届かない(Wolfe)。再現部ではファゴットだけになる。
ロ短調の楽想 m.116
保持された F♯ から G♯–A♯–B–C♯–D–C♯–F♯。先行句はクラリネットの下行5度、後続句は第1ヴァイオリンの A–B–C♯–D–E–F♯ の上行6度で、動機の下行6度をひっくり返した形になる。明確な終止に届かず、霧のまま次へ流れる。
舞曲風の楽想 m.152/154
弦のピッツィカート ff によるイ長調の分散和音に導かれ、D の持続音の上で A–D の反復が回りはじめる。オーボエ・クラリネット・ファゴット・ホルン。第1クラリネットが6度を跳ぶ。Wolfe は木管のドローンをバグパイプにたとえ、この区間を「夢のような状態」と呼ぶ。Un pochettino più animato。
第2主題(S)m.170
(休)F♯–E–D|(休)G–F♯–E|(休)A–C♯–B–B–A–G♯–G。下行する身振りが4小節ごとに上へせり上がる。旋律はヴァイオリン、対旋律は木管、低弦が支える。低弦が 6/8 を刻むのに対し、旋律と対旋律は 3/4 を含意するずれがあり、Wolfe・Oh・Collins & Fitzgerald が独立に指摘する。Molto più tranquillo、ニ長調。
序奏
区分位置調主題内容・聴取ポイント
動機の提示 mm.1–37Andante ♩=80 · 4/4 e moll Refrain イ調クラリネット2本のユニゾンが、低い音域で動機を提示する。Kraus は後半の和声の運びを I(m.21)–VI(mm.28, 30)–V(m.32) と読み、m.26 でハ長調へ逸れ、mm.27–30 に偽終止が置かれると分析する。
→ 聴取:独奏ではなく2本のクラリネットが重なった音であること。音色が一段くすむ。低弦の pesante は「重く」の指示で、伴奏が旋律を持ち上げずに押さえつける。
提示部 mm.38–225
区分位置調主題内容・聴取ポイント
第1主題群 mm.42–115Allegro con anima · 6/8 e moll P クラリネットとファゴットが第1主題を出す。序奏の 4/4 から 6/8 へ移り、以後この楽章は最後まで 6/8 のまま進む。和声は停滞し、ト長調への転調を匂わせては引き返す(Wolfe)。異同:Collins & Fitzgerald は提示部の開始を m.38、その内側の第1主題群を m.42 からとする。Wolfe は第1主題そのものを mm.38–56 とする。
→ 聴取:速くなっても和音がほとんど動かない。前へ出ようとして、そのたび元の場所へ戻される感じが続く。
経過 mm.116–153m.152 に全休止 h moll TM1 ロ短調の楽想。m.152 の1拍目に全休止(grand pause)が置かれ、区分の境目が耳にはっきり刻まれる(Collins & Fitzgerald)。異同:この区間の帰属は割れる。Collins & Fitzgerald と Oh は「経過部」、Wolfe は「第2主題群の第1モジュール」、英語版 Wikipedia は「第1主題群の第2主題」とする。m.115 の区切りの和音も、ロ短調の半終止(Wolfe)/ロ長調(Oh)/嬰ヘ長調(ハセガワ)と読みが分かれる。
→ 聴取:いったん音楽が止まる一瞬(m.152)。その前後で色が変わる。ここを構造の継ぎ目と決めた分析者と、そう決めなかった分析者がいる。
第2主題群(舞曲風の楽想) mm.154–169Un pochettino più animato D dur S1 木管がドローンの上で舞曲風の音型を回す。ニ長調がここで初めて主役として立つ。異同:この区分の開始を Collins & Fitzgerald は m.154、Wolfe は m.152(弦のピッツィカートによる導入を含める)とする。
→ 聴取:低音に置かれた D が動かず、その上を木管が回る。バグパイプのような響き。
第2主題 mm.170–197Molto più tranquillo D dur S2 ヴァイオリンが第2主題を歌い、低弦の 6/8 と旋律の 3/4 が食い違ったまま進む。異同:mm.197–198 の終止を Wolfe は不完全終止と読み、それゆえ提示部は決着に失敗したと論じる。英語版 Wikipedia は mm.194–198 を完全終止とする。
→ 聴取:拍の取り方が上と下でずれている。低弦を追うか旋律を追うかで、拍子が違って聞こえる。
終結群 mm.198–225 D dur → d moll S1 素材 舞曲風の楽想の素材で提示部を閉じ、長調から同主短調へ落ちていく。異同:Wolfe は終結群を mm.198–213 とし、Oh は提示部の末尾を m.225 とする。この行の mm.198–225 は、Wolfe の始点と Oh/Collins & Fitzgerald の終点を本ガイドが継いだもので、どちらの分析者もこの区間をそのまま主張してはいない。
→ 聴取:明るく閉じきらず、そのまま翳って展開部へ入る。切れ目がはっきりしないのはそのため。
展開部 mm.226–320
区分位置調主題内容・聴取ポイント
主題労作 mm.226–308 転調 P + S1 第1主題と舞曲風の楽想の2つの素材が組み合わされ、調が定まらないまま進む。m.285 でト短調に落ち着き、以後ト短調とニ短調のあいだを往復する(英語版 Wikipedia)。
→ 聴取:ふたつの素材が同時に鳴る場所を探す。提示部では別々だったものが、ここで重なる。
再現部への接続 mm.309–320 ナポリの副次属 → P fff から pp へ12小節で落とし、ホ短調への復帰を用意する(Oh)。ただし属和音を長く持続させて再現部へ橋を架ける通常の手続きを踏まず、ホ短調のナポリの副次属和音(ハ長調の属七の第3転回・低音 B♭)から再現部へ直に入る(Wolfe)。
→ 聴取:再現部の直前に引っぱりが無い。助走なしにいきなり元へ戻る。
再現部 mm.321–486
区分位置調主題内容・聴取ポイント
第1主題群 mm.321–372 e moll → G dur P ホ短調へ戻る(Collins & Fitzgerald と Kraus が独立に m.321 とする)。差異:提示部でクラリネットとファゴットだったところが、ここではファゴットだけになり、響きが痩せる(Wolfe)。提示部では届かなかったト長調に、今度は完全に転調して終止する。
→ 聴取:同じ主題が細い音で戻る。そして提示部で失敗した転調が、ここでは成功する。
経過 mm.373–410 cis moll TM1 提示部の経過部を全音上へ移した形(Oh)。Wolfe は、この再現がもともとの目標だったト長調から三全音離れて始まる点を、失敗の続きとして読む。
→ 聴取:提示部と同じ道筋を、少し高いところで辿り直す。
第2主題群 mm.411–486 E dur → e moll S1 / S2 舞曲風の楽想と第2主題がホ長調で戻る。Wolfe は m.455 の終止もまた不完全終止だとする。ホ長調で凱歌になりかけたところが、すぐ弱まってホ短調へ引き戻される。
→ 聴取:いちど長調で明るくなり、それを持続できずに崩れる。終楽章のホ長調は、この失敗のやり直しでもある。
コーダ mm.487–542
区分位置調主題内容・聴取ポイント
コーダ mm.487–542fff m.503 → ppp m.535 e moll P 第1主題の素材による。全合奏で始まり、少しずつ人数を落として、最後はファゴット・ティンパニ・低弦だけになる(Wolfe)。低音には E–D–C–B の下行が現れる。Wolfe は、旋律句の終わりと一致する満足な完全終止がこの楽章で初めて置かれるのが、ソナタの枠の外側であるコーダだ、と指摘する。
→ 聴取:音が減っていく過程そのものを聴く。最後に残る3つの声部が、そのまま次の楽章の入口になる。
提示部 ↔ 再現部の対比(調性軸)
提示部
第1主題=ホ短調、第2主題群=ニ長調。短調のソナタで属短調(ロ短調)へ向かうのは Hepokoski & Darcy のいう第2の既定で、Wolfe はそれを執拗に否定的な選択と呼ぶ。その道が行き詰まったあと、規範であるト長調ではなく、ロ短調の中音度にあたるニ長調に第2主題の場所が作られる。
再現部
第1主題=ホ短調(提示部では届かなかったト長調への転調がここで成る)。第2主題群=ホ長調。ただし長調は保たれず、終結群でホ短調へ引き戻される。解決は起こりかけて、この楽章では完了しない。
対比の軸は調性。ただしこの楽章で効いているのは「属調 → 主調」の型どおりの解決ではなく、ホ調とニ調の対立のほうで、Kraus (1991) はこれを全曲の大規模調計画の軸として読む。第3楽章末で動機の上方隣接音が半音になり、ニ調が格下げされることで、この対立に決着がつく。
形式上の特異点
  • 第2主題がニ長調。ホ短調のソナタ楽章で、第2主題群が属調でも平行長調でもないニ長調に置かれる。Wolfe はこれを、ロ短調(属短調)へ向かう試みが行き詰まった結果として説明し、Kraus はここに全曲を貫くホ調とニ調の対立の起点を見る。
  • 再現部への入り方に助走がない。属和音を長く持続させて再現部を準備する通常の手続きを踏まず、ホ短調のナポリの副次属和音から直に再現部へ入る。
  • 展開部の開始が資料で割れる。Collins & Fitzgerald は m.226 としつつ「m.214 を開始と見ることもできる」と自分で留保し、Wolfe の表も m.214 に境界を置く形になる。総譜では m.214 に練習記号が置かれ、4本のホルンが舞曲風の音型を引き継ぐ(本ガイドの実測)。境界を1点に決めきれないこと自体が、提示部が閉じきらずに展開部へ流れ込む書き方の反映と読める。
  • 提示部の反復指示がない。該当箇所(mm.207–238)に反復記号も1番/2番括弧も置かれていない(本ガイドの実測)。「反復は無い」と明言した公刊資料は見つからなかったので、実測として書いておく。
  • コーダで初めて終止が決まる。楽章を通じて完全終止が避けられ、旋律句の終わりと一致する完全終止はコーダ(ソナタの枠の外)で初めて置かれる、というのが Wolfe の読み。低音の E–D–C–B の下行はこの楽章に前例がない書き方で、そのまま第2楽章へ引き渡される。

第2楽章 Andante cantabile, con alcuna licenza

三部形式(呼称は資料で割れる)
主調:D dur12/8(4/4 を挟む) ♩. = 54全180小節(異同あり) ティンパニ F♯, G♯, D
A
mm.1–65
B
mm.66–98
動機①
99–107
A′
mm.108–157
動機②+コーダ
mm.158–
※ 幅は小節数に比例。この楽章の区分の小節境界は、公刊資料に存在しない。上の区切りは、総譜に印刷された拍子・テンポの切替点(m.66 の 4/4 と Moderato con anima、m.99 の Tempo precedente、m.108 の 12/8 復帰と Tempo I、m.158 の Allegro non troppo)を境目として本ガイドが引いたもので、形式区分としてこう述べた資料があるわけではない。帯の幅は本ガイドの実測(Amaro 版の184小節)に基づくので、下の pill と冒頭のスパインが使う180小節(Tchaikovsky Research)とは合計が4小節ずれる。
主要主題
A1(ホルン独奏)m.8
上拍の3音 D–C♯–B が下りたあと長い D を保ち、以後 A–B–C♯、D–E–F♯ と上行3音の梯子を積み上げ、G の反復に達して F♯ へ落ちる。第1ホルン独奏(総譜の指示は Solo/dolce con molto espress.、m.8 に印字。旋律本体は m.9 から)。12/8、付点4分を軸にした緩やかな歌。楽章名の con alcuna licenza(いくらかの自由をもって)が、この歌の歌い方そのものの指示になっている。
A2(オーボエ)m.24
オーボエが F♯–A♯–D♯–C♯ を2回、続けて C♯–D♯–E♯–F♯–A♯–G♯–F𝄪–G♯|B–A♯。ホルンが G♯–D♯–E♯–F♯ で下支えする。半音階的な内声(F𝄪)を含む、嬰ヘ調系の緊張した歌。Con moto(♩. = 60)。
B(クラリネット)m.67
実音で C♯–G♯–B–A–G♯–F♯|E–D–E–D…(反復)…C♯–B–B–C♯–D–F♯–C♯。イ調クラリネットの Solo。4/4・Moderato con anima(♩ = 100)。実音の音組織は C♯ D E F♯ G♯ A B =嬰ヘ自然短音階で、導音 E♯ が出てこない。総譜の調号はニ長調のままで、G♯ は臨時記号で書かれる(本ガイドの実測)。英語版 Wikipedia と Fort Worth SO はこの主題を「嬰ヘ短調の属七の上に始まり、そこに留まって解決しない」と説明する。
A mm.1–65
区分位置調主題内容・聴取ポイント
弦のコラール mm.1–7Andante cantabile ♩.=54 · 12/8 h moll → D dur — ヴィオラ・チェロ・コントラバスの3声だけで p から始まる(div. の指示はなく、和音は重音で書かれる)。第2ヴァイオリンは m.6、第1ヴァイオリンは m.10 まで入らない。チェロの開始和音は F♯ と B の重音で、ロ短調から共通和音でニ長調へ移る(本ガイドの実測。ヴィオラとコントラバスの構成音は読み取れなかった)。
→ 聴取:ホルンが入る前の7小節、鳴っているのは低い弦だけ。ここが暗いほど、次の歌が明るく立つ。
A1(ホルン独奏) mm.8–15 D dur A1 第1ホルンが主題を歌う。国際ホルン協会の抜粋集がこの箇所を「練習記号 A の7小節前から」と表記しており、総譜の A が m.16 であることと合う。
→ 聴取:オーケストラのホルンが独奏楽器になる数少ない場所。伴奏は薄いままで、音色がむき出しになる。
A1 の受け渡し mm.16–32練習記号 A=16 / m.24 Con moto ♩.=60 D dur → 嬰ヘ調系 A1 → A2 m.16 でイ調クラリネットが Solo・sostenuto で引き取り、m.24 でオーボエが A2 を出す(Con moto)。m.28 でファゴットが加わる。
→ 聴取:同じ歌が、ホルン → クラリネット → オーボエと持ち替えられていく。そのたびに光の色が変わる。
チェロ・弦へ mm.33–65練習記号 B=45, C=52 / m.39 Poco più animato / m.59 Più animato D dur A1 m.33 の Tempo I でチェロが molto espress. で旋律を取り、m.45 でヴァイオリンとヴィオラが con noblezza で受け、m.51 で con desiderio と指示される(この楽章で最初の div. も m.51)。animando と riten. が数小節おきに書き込まれ、テンポは絶えず伸縮する。
→ 聴取:楽譜そのものが「速めて/緩めて」を繰り返し指示している。「いくらかの自由をもって」という楽章名は飾りではない。
B mm.66–98
区分位置調主題内容・聴取ポイント
B 主題 mm.66–82Moderato con anima ♩=100 · 4/4 fis moll B 拍子が 12/8 から 4/4 へ切り替わり、イ調クラリネットが新しい主題を出す(Solo の実音は m.67 から)。m.71 でファゴットが Solo。
→ 聴取:揺れていた 12/8 が、角のある 4/4 に変わる。歌の楽章の中に、歩く音楽が入り込む。
B 部の展開 mm.83–98練習記号 E=83 / m.91 F / m.96 Stringendo fis moll B ファゴットの Solo が m.83 に再び置かれ、m.96 の Stringendo から金管が加わって切迫していく(金管は m.95 から参加)。
→ 聴取:ここから3小節ほどで音楽が一気に走り出す。その走りの先に、動機の割り込みが待っている。
動機の侵入① mm.99–107
区分位置調主題内容・聴取ポイント
動機(1回目) mm.99–107Tempo precedente ♩=100 · 4/4 構造的な属 Refrain 全奏が第1楽章の動機を打ち込む。金管5譜表とティンパニが全小節に音符を持つのは mm.99–107(本ガイドの実測。英語版 Wikipedia は動機そのものの長さとして mm.99–103 とする)。木管と弦は fff。Kraus は、この1回目の侵入がニ長調への接続と主題 A1 の再開によって逸らされると読む。Brown はここで動機が入る和音を、先行する和声の文脈ではドイツの増6和音とも読めると分析する。
→ 聴取:歌が力ずくで断ち切られる。そして断ち切ったものが、そのまま歌の復帰を用意する形に転じる。
A′ mm.108–157
区分位置調主題内容・聴取ポイント
A 部の復帰 mm.108–125Tempo I ♩.=54 · 12/8 / 練習記号 G=116, H=124 D dur A1 12/8 と Tempo I が戻る。オーボエの Solo は m.112 から。差異:冒頭ではホルン独奏に置かれていた主題が、ここでは別の楽器で戻り、伴奏も厚くなる。
→ 聴取:同じ歌が、いちど壊されたあとで戻ってくる。戻り方が冒頭とどう違うか。
多拍子の区間 mm.126–141m.128 Più mosso(♩ = ♩.) D dur A1 素材 m.128 の段で、フルート・オーボエ・クラリネット・ファゴットは 12/8、ホルンと弦は 4/4 の拍子記号を同時に掲げる(♩ = ♩. の等価指示つき。本ガイドの実測)。以後 m.141 まで、譜表ごとに 12/8 と 4/4 が入れ替わりながら進む。
→ 聴取:木管と弦が違う拍子を刻んでいる。3分割と2分割が同じ速さで重なるので、拍の輪郭がぼやける。
頂点 mm.142–157Andante mosso ♩=♩.=66 · 4/4 / K=151 / m.153 Molto più andante D dur A1 弦の総奏が fff con anima で主題を歌い上げる。木管は上行音型、ホルン4本は16分音符の走句、トロンボーン3本とチューバ、ティンパニ fff(本ガイドの実測)。この楽章でオーケストラが最も厚くなる場所。
→ 聴取:ホルン独奏で始まった歌が、ここで全弦の合唱になる。そしてこの頂点の直後に、2度目の割り込みが来る。
動機の侵入②とコーダ mm.158–
区分位置調主題内容・聴取ポイント
動機(2回目) mm.158–169Allegro non troppo · 4/4 G♯⁷ 上 Refrain 全奏 fff で動機が戻る。金管とティンパニの全7譜表が鳴るのは mm.158–165 で、そこから2譜表まで痩せて m.169 で金管が退く(本ガイドの実測。英語版 Wikipedia は mm.158–166 とする)。Kraus は、1回目が逸らされたのに対し2回目はニ長調の構造的な終止を中断すると読み、mm.158–159 の旋律が短3度上へ反復進行すること、mm.164–169 で D と E が G の上の付加6度和音として縦にぶつかること、m.170 の主和音への解決に 6–5 の掛留が伴うことを指摘する。
→ 聴取:1回目は歌の途中を、2回目は歌が終わろうとするところを断つ。同じ動機でも、割り込む場所が違う。
コーダ mm.170–末尾Tempo I ♩.=54 · 12/8 / m.183 ritenuto molto D dur A1 12/8 と Tempo I が戻り、静かに閉じる。異同:総小節数は Tchaikovsky Research が180小節とするが、本ガイドが実測した Amaro 2025 浄書版は m.184 で終止する(4小節の差)。番号づけは少なくとも m.170 まで他資料と一致することを確認したが、末尾の差は版による小節割りの違いか記載の誤りか判定できなかった。
→ 聴取:断ち切られた歌が、もう一度だけ戻って終わる。勝ち切らずに引く終わり方が、そのまま第3楽章のワルツに引き渡される。
別の見立て:ロンドとして読むと
この楽章の形式呼称は資料で割れている。英語版 Wikipedia は三部形式とし、上の区分表もその読みで組んだ。一方、David Brown(本ガイドが他の箇所で引く Breighan Moira Brown とは別人)Tchaikovsky: The Final Years(1991)は「ロンドとの対話」として、A—B—A′—B′—C—動機—A—A′—B′—動機—B という並びを示す(本ガイドはこの記述を Wolfe の学位論文の文献紹介を通じてのみ参照しており、原著は未確認)。どちらの語彙を使うにせよ、この楽章の骨格が「主題の回帰と、それを断ち切る動機」でできている点は共通する。
三部形式として
A(ホルンの歌)— B(クラリネットの 4/4)— A′(歌の回帰と頂点)+コーダ。動機は A′ の前後を区切る割り込みとして働く。
ロンドとして
A が何度も戻る楽章と見て、B や C をその間のエピソードに数える。動機の2回の侵入も並びの一項目として位置づく。
どちらでも変わらないこと
歌が2度断ち切られること、そして2度目は終止しようとしているところを断たれること。Kraus の指摘するこの非対称が、楽章の設計の中心にある。
形式上の特異点
  • 区分の小節境界を書いた資料が存在しない。第1・第3楽章には小節単位の区分表を持つ資料があり、第4楽章も Kraus の譜例と本ガイドの総譜読みで境界が取れるのに、この楽章だけはどちらも無い。上の表の境界は、総譜に印刷された拍子とテンポの切替点から本ガイドが引いたもので、そう述べた資料があるわけではない。形式の呼称も、三部形式(Wikipedia)/ロンドとの対話(David Brown 1991)/ロンド形式(Steckler)と割れている。
  • 動機の侵入が2回、しかも役割が違う。1回目(m.99)は主題の復帰へ吸収されて逸らされ、2回目(m.158)は終止しようとするところを中断する。Kraus はこの非対称を楽章の要と見て、2つの侵入の旋律がそれぞれ A と B の音から始まり、第1楽章の動機が G から始まったのと対応すると述べる。
  • 木管と弦が違う拍子を同時に刻む区間がある。m.128 の段で木管は 12/8、ホルンと弦は 4/4 の拍子記号を掲げ、♩ = ♩. の等価で走る(本ガイドの実測)。この多拍子が m.141 まで続く。
  • B 主題は調号を変えずに書かれる。実音の音組織は嬰ヘ短調(自然的短音階)だが、総譜の調号はニ長調のままで、G♯ は臨時記号で書かれる。導音 E♯ が出てこないので、属和音の上に留まったまま解決しないという説明(Wikipedia/Fort Worth SO)と符合する。
  • 第1ヴァイオリンは m.10 まで入らない。冒頭7小節はヴィオラ・チェロ・コントラバスの3声だけで、第2ヴァイオリンが m.6、第1ヴァイオリンが m.10 に加わる(本ガイドの実測)。有名なホルン独奏は、この空いた場所の上で鳴っている。

第3楽章 Valse: Allegro moderato

三部形式(A—B—A′+コーダ)
主調:A dur3/4 ♩=138全266小節 ティンパニ F♯, C♯トロンボーン・チューバ tacet
A
mm.1–72
B(スケルツォ)
mm.73–144
A′
mm.145–212
コーダ
mm.213–266
※ 幅は小節数に比例。区分は Collins & Fitzgerald と Brown (2007) が独立に一致する。B 部の開始は弱起の数え方で m.72 とも m.73 とも書かれる。A′ とコーダの境目も、Collins & Fitzgerald が A′ を m.213 まで、Brown がコーダを m.213 からとするため1小節重なる(帯では 212|213 に片寄せした)。
主要主題
a1(ワルツ主題)m.1
C♯–B–A–G♯|F♯–E|F♯–G♯–A–F♯|B と続く。冒頭の C♯ から E への下行6度が、第1楽章の動機の下行6度(クラリネットの E→G)から派生している、というのが Collins & Fitzgerald の読み。第1ヴァイオリン、伴奏は第2ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスの pizz.。総譜の指示は dolce con grazia。Brown は mm.1–11 で旋律と伴奏の拍節が食い違い、mm.12–19 でそれが解消すると分析する。
a2 m.20
D–C♯–B–A♯|C♯–B|D–C♯–B–A♯|C♯–B–C♯–D、後半は長い下行スタッカート音階。オーボエとファゴットが出し、m.28 でクラリネットへ渡る。a1 の下行形をそのまま受け継ぐ。
a3 m.56
低音部で B–D–C♯|A♯–B–D–C♯ を繰り返す。ファゴット独奏(p から cresc. al f)で始まり、mm.60–63 に大きな跳躍がある。mm.64–72 でフルートとクラリネットが引き取る。異同:Brown はここを「経過部」と呼ぶが、Collins & Fitzgerald と Kraus の譜例は第3の主題として扱う。
b1(中間部主題)m.73
F♯–G♯–F♯–G♯|A–G♯–F♯–E–D–E–D–E–F♯–E–D–C♯ と16分音符が走り続ける。第1ヴァイオリン(arco, p spiccato assai)、のちヴィオラへ。嬰ヘ短調。英語版 Wikipedia は「3/4 の上に 4/4 を重ねたものと見なせる」と説明する。ワルツの内側でスケルツォが鳴っている。
A mm.1–72
区分位置調主題内容・聴取ポイント
a1(提示) mm.1–11Allegro moderato ♩=138 A dur a1 第1ヴァイオリンがワルツ主題を歌い、他の弦が pizz. で伴奏する。mm.9–11 が経過。
→ 聴取:旋律と伴奏の拍がわずかに噛み合っていない。Brown が「拍節の不協和」と呼ぶずれで、mm.12 以降で解消する。
a1(再提示) mm.12–19練習記号 A A dur a1 1オクターヴ上で戻る。mm.12–13 でヴィオラとチェロが反行し、mm.14–15 で模倣、mm.16–17 でフルートとオーボエが加わる。
→ 聴取:同じ旋律の下で低弦が逆向きに動く。単なる繰り返しではない。
a2 mm.20–36 A dur a2 オーボエとファゴットが第2の楽想を出し、m.28 でクラリネットへ渡る。m.35 に半終止(Collins & Fitzgerald)。
→ 聴取:弦から木管へ、旋律の担い手が入れ替わる。
a1(回帰) mm.37–55練習記号 B=37, C=45 A dur a1 クラリネットとファゴットが dolce で、m.45 からフルートとオーボエが引き取る。m.49 に新しい素材、m.56 の直前に半終止。
→ 聴取:ワルツ主題が木管の音色で戻る。弦のときより輪郭がやわらかい。
a3 mm.56–72練習記号 D=55 A dur a3 ファゴット独奏。mm.60–63 の大跳躍が難所として知られる。mm.64–72 をフルートとクラリネットが反復し、m.72 の2拍目に置かれた ff のイ長調和音で唐突に切れる。
→ 聴取:ファゴットひとりの、跳ねまわる旋律。そして楽句の途中のような場所で音楽が断ち切られ、中間部に入る。
B(スケルツォ) mm.73–144
区分位置調主題内容・聴取ポイント
b1 mm.73–88練習記号 E=81 fis moll b1 第1ヴァイオリンが16分音符で走り出す(p spiccato assai)。m.77 の弱起で反復、m.81 でヴィオラへ、m.85 でまた反復。調号は3♯のまま、平行短調へ落ちる。
→ 聴取:ワルツの拍のまま、中身がスケルツォに入れ替わる。拍子記号は変わらないのに、音楽の種類が変わる。
断片化 mm.89–125練習記号 F≈96, G=104, H=118 転調 b1 断片 主題が細かく割られていく。mm.97–105 にヘミオラが置かれ、移行の技法として働く(英語版 Wikipedia)。m.113 で弦が退き、m.119 で戻る。
→ 聴取:3拍子が2拍子に聞こえる区間(ヘミオラ)。ワルツの足取りが一時的に崩れる。
回帰 mm.126–144練習記号 I=142 → E dur b1 m.73 の素材が戻り、m.142 のピッツィカートのホ長調和音まで運ばれる。Brown は mm.138–144 の位相の拡大が再現を準備すると読む。
→ 聴取:ピッツィカートの和音ひとつで中間部が閉じる。そこからワルツが戻ってくる。
A′ mm.145–213
区分位置調主題内容・聴取ポイント
a1 回帰 mm.145–152 A dur a1 + b1 オーボエがワルツ主題をイ長調で出し、その下で中間部の16分音符が走り続ける。差異:A 部では別々だった2つの主題が、ここでは重ねられる。
→ 聴取:ワルツとスケルツォが同時に鳴る。A 部では別々に出てきた素材が、ここで縦に重なる。
A 部のほぼ逐語的な反復 mm.153–213練習記号 K=153, L≈177, M≈187, N=196 A dur a1 / a2 / a3 m.153 から弦が m.12 の素材を再現し、以後 a3 の終結(m.213)まで A 部をほぼそのままなぞる。
→ 聴取:ここから先は一度聴いた道。変化はコーダに置かれている。
コーダ mm.213–266
区分位置調主題内容・聴取ポイント
ヘ長調の提示と増6の終止 mm.213–240練習記号 O=219 F dur → A dur a1 素材 m.219 で全合奏が ff・ヘ長調(♭VI)で和声を打ち出す(pesante cresc.)。m.225 で D♯ が加わってイタリアの増6和音になり、mm.225–227 で It+6 → I⁶₄ → V⁷ → I の定型どおりイ長調へ着地する(Collins & Fitzgerald)。
→ 聴取:ワルツが急に重々しくなり、遠い調(ヘ長調)へ振れる。そこから決まった手順でイ長調へ戻される。
動機の侵入 mm.241–255練習記号 P=241, Q=255 A dur(I–IV⁶–I) Refrain イ長調の終止が決まった直後に、クラリネット2本とファゴット2本(pp)が動機を持ち込む。弦は pizz.。訂正:Collins & Fitzgerald は「序奏で動機を提示したのと同じ楽器」と書くが、第1楽章の冒頭で動機を出すのはイ調クラリネット2本だけで、ファゴットは加わらない(本ガイドの第1楽章の記述と照らせば分かる)。ここで戻るのはクラリネットという音色であって、編成そのものではない。旋律は E–E–E|F–E–D|E–(休)–C♯ と続き、この曲で初めて上方隣接音が半音(F♮)になる。Kraus はこの F♮ が D の三和音を短三和音に変え、ニ調を「長調の主和音」から「短調の下属和音」へ格下げすると読み、それが終楽章のホ長調を準備すると論じる。Brown は mm.248–255 のヘミオラも指摘する。
→ 聴取:踊りが終わったあとに、別の音楽が小さく入り込む。第1楽章の冒頭と同じクラリネットの音色で、同じホモフォニックな書き方で鳴るので、気づけば分かる。
終結 mm.256–266 A dur — 主和音の引き伸ばし。属和音から主和音へという型ではなく、主和音と B の半減七和音(付加6度の下属和音と同じ音の集まり)の交替で閉じる(Collins & Fitzgerald/Brown が同じ響きを別の語で記述する)。mm.264–266 に ff の和音が6つ置かれ、最後にフェルマータ。
→ 聴取:決然と終止せず、揺れながら閉じる。次の楽章の序奏がホ長調で始まるための、低い姿勢の終わり方。
形式上の特異点
  • ワルツの内側にスケルツォがある。中間部(mm.73–144)は拍子記号こそ 3/4 のままだが、16分音符の走句で書かれていて、音楽の種類が入れ替わる。英語版 Wikipedia はこれを「3/4 の上に 4/4 を重ねたもの」と説明する。
  • ワルツ主題が第1楽章の動機から派生する。冒頭の下行6度(C♯→E)が、第1楽章の動機の下行6度から来ている、というのが Collins & Fitzgerald の読み。舞曲の楽章が全曲の外にあるのではなく、同じ材料から作られていることになる。
  • 「フィレンツェの街の歌」の逸話には典拠が見つからない。この旋律の出所として「フィレンツェで少年が歌っていた歌」「ソーセージ売りの呼び売り」の二説が流布しているが、いずれも一次資料を示しておらず、互いに食い違う。Tchaikovsky Research の当該ページにも旋律の出所の記述はない。
  • トロンボーンとチューバが一度も鳴らない。この楽章だけ総譜の段構成から外れている(本ガイドの実測)。ティンパニも F♯ と C♯ の2個だけ。金管を抜いた編成が、舞曲の軽さを作っている。
  • 終わり方が変格的。属和音から主和音へ決着するのではなく、主和音と B の半減七のあいだで揺れて閉じる。Brown はこの「変格的な曖昧さ」をチャイコフスキーの様式の標識として論じ、Kraus の変格軸の読みと重なる。

第4楽章 Finale: Andante maestoso — Allegro vivace

ソナタ形式(序奏・コーダつき)
序奏:E dur主部:e moll 4/4 → 2/2 → 6/4全565小節 ティンパニ G, C, E
序奏
mm.1–57
提示部
mm.58–171
展開部
mm.172–295
再現部+全休止
mm.296–471
コーダ
mm.472–565
※ 幅は小節数に比例。展開部の開始(m.172)は Kraus の譜例13b の小節ラベルと総譜の実測が一致する。再現部の開始(m.296)とコーダの開始(m.472)は総譜の表示(Poco più animato / Moderato assai e molto maestoso)で確認した。
主要主題
序奏の動機 m.1
G♯–G♯–A–G♯–F𝄪|G♯–E|B–B–C♯–B–A|B–G♯。第1楽章と同じ動機が、ホ長調で、付点+16分の行進曲のリズムで歌われる。第1・第2ヴァイオリン(mf)が旋律を担い、クラリネット・ファゴット・チェロが補強する。Kraus は和声を I(m.1)–III(m.6)–V(m.8) と読み、第1楽章の冒頭より強くはっきりとホ調を確立すると評する。
第1主題(PT1)m.58
和音の連打。上声は E–D♯–E|B–A–G–F♯|E と動き、下に B や G を重ねる。弦の全奏から始まり、すぐ管が加わる。Allegro vivace(alla breve)𝅗𝅥=120、ホ短調。4分音符の和音を打ちつけ、8分音符で駆け下りる激しい打撃のリズム。
抒情的な第2主題 m.128
全音符から始まり E(保持)|E–D–C♯–B–A と下行音階で降りてくる。フルート2・オーボエ2・クラリネット2(mf espr.)が出し、m.148 でヴァイオリンとヴィオラへ渡る。下では弦の三連符が刻み続ける。第1主題と正反対の、息の長い旋律。この主題の調を明記した資料は見つからなかった。
展開部の動機 m.172
序奏と同じ動機が、ハ長調で金管(トランペット・トロンボーン・チューバ)に現れる。付点2分+8分2つ。Kraus は、ここでは属和音へ続かずホ短調の中音度だけが一時的に主調化されるため、ハ調からホ調への3度が前面に出ると述べ、終楽章の主要な調関係はホ調とニ調ではなくホ調とハ調だと読む。
序奏 mm.1–57
区分位置調主題内容・聴取ポイント
動機(長調化) mm.1–45Andante maestoso ♩=80 · 4/4 E dur Refrain 第1楽章で葬送行進曲だった動機が、ヴァイオリンによってホ長調で堂々と歌われる。Kraus 注44 は、mm.20–21 と mm.43–44 でハ調がト調の下属として強調され、この箇所がそのままコーダに回帰すると指摘する。
→ 聴取:同じ旋律が長調になるだけで、性格がここまで変わる。第1楽章の冒頭と直接聴き比べたい箇所。
短調への転位 mm.46–57練習記号 C=46 G⁷ → e moll → PT1 mm.46–47 のト長調の属七で主題を閉じ、m.49 でホ短調へ転位する。mm.51–57 は弦の揺れで、続く Allegro を予告する(Brown)。
→ 聴取:長調の行進が、はっきりした切れ目なしに短調へ滑り落ちる。その滑り方。
提示部 mm.58–171
区分位置調主題内容・聴取ポイント
第1主題 mm.58–69Allegro vivace 𝅗𝅥=120 · 2/2 e moll PT1 複縦線と調号の変更を伴って、弦が和音を打ちつける主題を出す。
→ 聴取:序奏の荘重さが一掃される瞬間。拍子も 4/4 から 2/2 へ切り替わる。
第1主題群の続き mm.70–127練習記号 D=70 e moll PT1 素材 mm.70–74 に C の持続音が置かれる。Kraus 注44 はこの箇所が再現部にそのまま戻ると注記する。
→ 聴取:低音に居座る C の音。展開部で動機がハ長調になる伏線が、ここに置かれている。
抒情的な第2主題 mm.128–147練習記号 H=128 資料なし ST フルート・オーボエ・クラリネットが mf espr. で長い旋律を出し、弦の三連符が下を刻む。
→ 聴取:打撃のリズムがいったん止み、木管の歌になる。この楽章で息をつける数少ない場所。
同・弦へ mm.148–171練習記号 I=148 資料なし ST 同じ旋律をヴァイオリンとヴィオラが mf で受け、ホルンが反復音で支える。
→ 聴取:木管から弦へ、同じ歌が持ち替えられる。音の厚みが増して展開部へ雪崩れ込む。
展開部 mm.172–295
区分位置調主題内容・聴取ポイント
動機(ハ長調) mm.172–182練習記号 L=180 C dur Refrain 金管が動機をハ長調で打ち出す(Kraus の譜例13b は 172・180・182 に小節ラベルを付ける)。序奏の長調版が、思いがけない調で戻る。
→ 聴取:展開部の入口で、いきなり動機が鳴る。しかも主調でも属調でもない、遠いハ長調で。
主題労作 mm.183–295練習記号 M=202, N=211, O=230, Q=282 転調 PT1 / ST 展開部は124小節にわたる。Kraus は、この展開部が通常の「区切りの属和音」ではなく下属和音(A)で終わり、そのままホ調の再現部へ直行する点に注目し、終楽章の構造を変格的な軸で説明できると論じる。
→ 聴取:再現部の前に「引き」がない。第1楽章と同じで、助走なしに戻る。
再現部 mm.296–471
区分位置調主題内容・聴取ポイント
第1主題の再現 mm.296–311Poco più animato e moll PT1 長い sempre pp の減衰のあと、ff の全合奏が再突入する。差異:主題の上に新しい対旋律が重ねられる(本ガイドの実測)。
→ 聴取:いちばん静かなところから、いちばん大きな音へ一気に跳ぶ。再現部の入口としてこれ以上ないほど明瞭。
再現の続き mm.312–468m.312 Tempo I / m.426 Poco meno mosso / m.436 Molto vivace e moll PT1 / ST 提示部の道筋をたどり直しつつ、テンポを段階的に上げていく。
→ 聴取:m.436 からの加速。ここから終結までが一続きの追い込みに聞こえる。
ホ短調の終結と全休止 mm.469–471riten. molto → フェルマータ e moll — fff の全奏でホ短調の終結が畳みかけられ、mm.469–470 の riten. molto のあと、m.471 に休符とフェルマータによる全休止が置かれる。曲がここで終わったように聞こえるため、客席が拍手を始めることがある。この小節番号を書いた公刊資料は見つからず、本ガイドの実測による(フェルマータ・複縦線・調号変更という印刷上の事実)。
→ 聴取:ここは終わりではない。沈黙のあと、調号が♯1から♯4へ変わってホ長調のコーダが始まる。
コーダ mm.472–565
区分位置調主題内容・聴取ポイント
動機の回帰 mm.472–503Moderato assai e molto maestoso · 4/4 E dur Refrain ホ長調に復帰し、m.474 から動機が largamente・ff で第1ヴァイオリンほか上声の弦に戻る(Kraus の譜例13のキャプションもこの小節を挙げる)。全奏に支えられ、第1主題の対旋律が重ねられる。
→ 聴取:序奏で聴いた長調の動機が、全奏の厚みで返ってくる。第1楽章のホ短調から数えて、同じ旋律の3つ目の姿になる。
追い込み mm.504–545Presto 𝅗𝅥=144 · 2/2 E dur PT2 テンポが跳ね上がり、p から cresc. で fff へ積み上げる。
→ 聴取:荘重さを捨てて一気に走る。この落差があるから、次の回帰が効く。
第1楽章の主題の回帰 mm.546–565Molto meno mosso ♩.=96 · 6/4 E dur 第1楽章 P 拍子が 6/4 に変わり、第1楽章の主要主題(6/8・ホ短調)が音価を倍にしてホ長調の行進曲になる。トランペットとオーボエが ffff で出し、m.548 でホルン4本、m.550 でまたオーボエとトランペットへ渡る。
→ 聴取:第1楽章で堂々巡りしていた主題が、ここで長調の行進になる。冒頭の動機だけでなく、第1主題まで戻ってくることに気づけるか。
別の見立て:動機を額縁として読むと
この楽章はソナタ形式で書かれているが、耳に残る骨格はむしろ「同じ動機が3回、違う調で鳴る」ことのほうにある。分析者の見立てであって、チャイコフスキーがそう設計したと書き残しているわけではない。
額縁の外枠(前)
序奏 mm.1–45。動機がホ長調で提示される。第1楽章の葬送行進曲が長調に置き換わった姿。
中の柱
展開部の頭 m.172。動機がハ長調で金管に鳴る。Kraus はここに、終楽章の調関係がホ調とニ調からホ調とハ調へ移る証拠を見る。
額縁の外枠(後)
コーダ m.474。動機がホ長調で全奏の弦に戻る。外枠が閉じた後、第1楽章の主題(m.546)がもう一度加わって曲が閉じる。
形式上の特異点
  • 展開部の動機がハ長調。序奏でホ長調だった動機が、展開部の冒頭でハ長調に置かれる。Kraus はここで属和音への継続がないことに注目し、終楽章の主要な調関係はホ調とニ調ではなくホ調とハ調だと読む。その伏線が提示部 mm.70–74 の C の持続音で、それが再現部にそのまま戻る。
  • 再現部への進入が変格的。展開部は区切りの属和音ではなく下属和音(A)で終わり、そのままホ調の再現部へ入る(Kraus)。第1楽章の「助走なしの再現」と同じ性格の書き方が、終楽章にも現れる。
  • m.471 の全休止。ホ短調の終結が fff で畳みかけられたあと、休符にフェルマータが置かれる。曲が終わったように聞こえるので拍手が起きることがあるが、その沈黙のあと調号が変わってホ長調のコーダが始まる。この小節番号を書いた公刊資料は見つからず、本ガイドの実測による。
  • 再現部に新しい対旋律が加わる。m.296 で主題の上に、提示部には無かった対旋律が重ねられる(本ガイドの実測)。「以後二度と現れない」とする記述も見かけるが、全曲を数えて確かめてはいないので本ガイドでは書かない。
  • 第1楽章の主題が長調の行進曲になって戻る。コーダ末尾(m.546)で拍子が 6/4 に変わり、第1楽章の 6/8・ホ短調の主要主題が音価を倍にして鳴る。全楽章に現れる動機だけでなく、第1楽章の主題そのものが終楽章に回収される。

参考文献

  • Joseph C. Kraus, "Tonal Plan and Narrative Plot in Tchaikovsky's Symphony No. 5 in E Minor", Music Theory Spectrum 13/1 (1991): 21–47(査読誌。JSTOR)— 動機を「Refrain」と呼び、全曲の調計画をホ調とニ調の弁証法として読む。第3楽章末の F♮ と終楽章のハ長調の指摘は本ガイドの骨格に使った。
  • Breighan Moira Brown, "Transforming Chaos": Modes of Ambiguity in Tchaikovsky's Symphony No. 5 in E Minor(シンシナティ大学音楽院 CCM・修士論文・2007)— 変格的な曖昧さと拍節のずれ。第2・第3楽章の区分。
  • Sarah Collins & Jonathan Fitzgerald(西オーストラリア大学音楽院), "Music ATAR Year 11 and Year 12 — Designated works 2019–2022. Year 12: Symphony. Tchaikovsky, Symphony No. 5, 1st and 3rd movements", 16pp.(西オーストラリア州教育当局 SCSA の指定作品分析。正規 URL 未確認)— 第1・第3楽章の小節単位の区分表。
  • Daniel Robert Wolfe, Popular But Disparaged: Sonata Structures In Tchaikovsky's Symphonies Four, Five, And Six(ヒューストン大学・DMA 学位論文・2020。UH Institutional Repository)— Hepokoski & Darcy のソナタ理論による第1楽章の読み。
  • "Symphony No. 5", Tchaikovsky Research(書簡・日記・自筆譜の所在を集めた研究アーカイブ)— 作曲時期・初演・献呈・出版の書誌。
  • David Brown, Tchaikovsky: The Final Years, 1885–1893(W.W. Norton, 1991), pp.159–179 — 第2楽章を「ロンドとの対話」と読む。本ガイドは Wolfe の学位論文の文献紹介を通じてのみ参照しており、原著は未確認。上の Breighan Moira Brown とは別人。
  • Jieun Oh, "Thematic Unity and Presentation of Conflict"(スタンフォード大学 Music 301B の授業レポート・2008。査読誌でも学位論文でもない。PDF)— 第1楽章の区分。m.115 の区切りの和音・提示部の末尾の読みで本文に登場する。
  • Ryo Hasegawa, "Exploring Emotions and Meanings in Tchaikovsky Symphony No. 5, movement 1"(指揮者の個人サイトの分析エッセイ・査読なし。記事)— m.115 を嬰ヘ長調と読む立場として本文に併記。
  • Matthew Steckler, "Expressing the Inexpressible: Tchaikovsky's Symphony No. 5 as Inner-Narrative"(ニューヨーク大学の授業レポート・2006・未公刊。newforestcentre.info に自己ホスト)— 第2楽章をロンド形式とする立場として本文に併記。
  • International Horn Society, "Tchaikovsky – Symphony No. 5"(職能団体のオーケストラ抜粋集。学術資料ではない。ページ)— 第2楽章のホルン独奏を「練習記号 A の7小節前から」と表記。本ガイドの練習記号 A=m.16 の照合に使った。
  • Fort Worth Symphony, program notes by Ken Meltzer (2020)(プログラムノート)— 第2楽章 B 主題の和声の説明で本文に登場。同ノートは作曲年を1885年と誤記しているので、他の記述には使っていない。
  • "Symphony No. 5 (Tchaikovsky)", 英語版 Wikipedia(百科事典。分析節の小節番号は編集者が総譜から数えたもので、独立した学術出典ではない)— 主題の採譜(音名列)と一部の小節番号。
  • 楽譜(底本・第1・第3・第4楽章):Breitkopf & Härtel, Partitur, 図版番号 30388/Part.B. 3347(ca.1930。Dover 1979 が復刻)。
  • 楽譜(底本・第2楽章):Brandon Amaro 浄書版(2025)。IMSLP に自筆譜・ユルゲンソン初版(1888, 図版番号 13991)・ムズギズ全集版(校訂 Georgy Kirkor, 1963)とともに所収。
第1版 | 初版 2026-09-03 | 最終改訂 2026-09-03