メンデルスゾーン:序曲《フィンガルの洞窟》(ヘブリディーズ諸島)Op.26
Felix Mendelssohn Bartholdy: Die Hebriden (Fingals Höhle), Konzertouvertüre h-moll, Op. 26(1830/改訂1832–33, 四手版1833・パート譜1834・総譜1835) 単一楽章・約10分
調の地図:ロ短調の波の動機に始まり、第2主題はニ長調で低く歌う。遠いヘ短調を経た嵐のあと、再現部の第2主題はロ長調のクラリネットに移り、ロ短調のコーダで静かに消える。小節番号は総譜で実測した。
対象:作品全体(出版された後期稿。リーツ校訂の旧全集1874年版に拠る)
出典・底本
主な分析ソース:全268小節を小節番号・調・主題で区分した資料に、アリゾナ大学の授業教材(MUS 330B のページ。著者名の記載なし、査読なしの教材、brobeck.music.arizona.edu)がある。本ガイドの区分・小節・調はそれとは別に総譜から実測したもので、境界が食い違う箇所は下に併記した。主題の構成はスティーヴン・ヴァンデ・モールテレ(Steven Vande Moortele)の論文 “Turning Inward – Turning Outward – Turning Around: Strong Subordinate Themes in Romantic Overtures”(Res Musica 7, 2015、学術誌、PDF)を参照した。形式の呼び名と区分の性格づけは、指揮者ジャンマリア・グリッリオ(Gianmaria Griglio)による分析記事 “The Hebrides: a conductor’s analysis of Mendelssohn’s concert Ouverture”(指揮者の個人サイトのブログ記事・査読なしの二次資料、gianmariagriglio.com)を参照した。成立・稿・出版の経緯は、クリストファー・ホグウッド(Christopher Hogwood)校訂の批判校訂版(Bärenreiter, TP 395)の序文(出版社サイトで公開されている見本 PDF の英語序文のみ参照、barenreiter.co.uk)と、ジョナサン・デル・マー(Jonathan Del Mar)の Orchestral Masterpieces under the Microscope の当該章(Cambridge Core の章ページで読める範囲のみ参照)を主とし、補いに Wikipedia 英語版 “The Hebrides (overture)”、スティーヴン・カーペンター(Stephen Carpenter)のサイト Mendelssohn in Scotland(個人の解説サイト、mendelssohninscotland.com)、イェール大学の展示解説 “Art and Music in Britain: Four Encounters”(artandmusic.yale.edu)、IMSLP の作品情報と手稿写譜2点の書誌注記を使った。R. ラリー・トッド(R. Larry Todd)の論文(1979)と著書(1993)は稿の研究の基本文献だが、本ガイドは未参照。位置の準拠:本ガイドが総譜で実測した小節番号。底本はリーツ(Julius Rietz)校訂の旧メンデルスゾーン全集 Serie 2(Breitkopf & Härtel, 1874、版番号 M.B.8)の IMSLP #122244。スキャンの実物は、同じ版番号 M.B.8 を刷った「Breitkopf & Härtels Partitur-Bibliothek Nr.199」を VEB Breitkopf & Härtel が後年に刷ったもの。総譜は小節番号を刷らず、練習記号 A–I を刷る(A=m.41/B=m.77/C=m.93/D=m.138/E=m.165/F=m.178/G=m.226/H=m.244/I=m.255)。位置欄に練習記号を併記した。全42頁の小節を頁ごとに数えて総小節数 268 を得た。グリッリオが本文で挙げる小節番号(m.27/m.43/m.45/m.176/m.217 Animato/m.226 の non legato)は、いずれも本ガイドの数えと同じ箇所を指す。調号は実音の段(フルート・オーボエ・ファゴット・弦)で読んだ。初版総譜(Breitkopf & Härtel、版番号 5543、IMSLP #683560)は表題と冒頭頁だけを確かめ、小節の突き合わせはしていない。IMSLP のファイル情報はこの総譜を n.d.[1834] とするが、角括弧は推定の年で、IMSLP の作品情報、ホグウッド、デル・マーはいずれも総譜の出版を1835年とする。
強弱・発想記号はリーツ版の表示で読んだ。リーツ版は広く使われ、デル・マーもなお推奨版とするが、ホグウッドは作曲者が出版直前に加えた変更の一部をリーツが見落として古い読みを刷ったと指摘する。ジェイムズ・ガレット(James Garratt)によるホグウッド版の書評(Nineteenth-Century Music Review 3/2, 2007、hogwood.org に再掲)は、再現部の第2主題の tranquillo assai をリーツが加えた表情記号の例に挙げる。本ガイドはホグウッド版を見ておらず、個々の記号が作曲者の表示かどうかは確かめていない。
参照録音:クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団(Deutsche Grammophon、1985年2月ロンドン、ウォルサムストウ・アセンブリー・ホール録音)。録音日と会場は MusicBrainz の登録情報による。区分ごとの時間目安(≈mm:ss)は付けていない。本ガイドは録音を聴いて区分を計測していない。全体の長さは約10分半(MusicBrainz には、DG 471 467-2 のトラック長 10:29 と録音の長さ 10:24 の2値が登録されている)。推測の時間は書かない。
本文で言及する論:グリッリオ(区分の性格、展開部のヘ短調、再現部の短縮)/カーペンター(スケッチの日付と場所、スタッファ訪問との前後)。ソナタ形式の各部の境界(提示部 mm.1–95/展開部 mm.96–179/再現部 mm.180–216/コーダ mm.217–268)は本ガイドの読み。アリゾナ大学の教材は、再現部 m.180、再現部の第2主題 m.202、Animato の m.217 からの部分を本ガイドと同じ位置に置き、第2主題の再現をロ長調とする点も一致する。食い違うのは提示部の終わりで、教材は提示部を m.93 まで、展開部を m.94 からとする。m.93(練習記号 C)で弦が止み、ニ長調の終止が済んでいることを重く見れば教材の区切りになる。本ガイドは、C からの管の持続和音と m.95 のクラリネットの sf–dim. までを終結部の収めと読み、ヴァイオリンが p で新しく動き出す m.96 を展開部の始まりとした。
曲全体の区分の俯瞰(ソナタ形式)
| 区分 | 小節 | 調 | 主な素材 | 聴きどころ |
|---|---|---|---|---|
| 提示部 | mm.1–95(練習記号 A・B・C) | ロ短調 → ニ長調 | 第1主題(波の動機)/第2主題(低音の歌)/終結の ff | 低い弦とファゴットが同じ短い動機を何度も繰り返し、その上に和音が一つずつ積み重なっていく。やがてチェロとファゴット(クラリネットが重なる)が、ニ長調で息の長い歌を歌い出す。 |
| 展開部 | mm.96–179(D・E・F) | 転調(m.138 からヘ短調) | 第1主題の動機・付点のファンファーレ・第2主題の頭 | 静かな持続音の上で動機が遠く近く鳴る。遠いヘ短調へ流されたあと、スタッカートの細かい刻みから嵐のような高まりへ向かう。 |
| 再現部 | mm.180–216 | ロ短調 → ロ長調 | 第1主題(短縮)/第2主題(クラリネット) | 最初の動機が戻るが、提示部の半分ほどの長さで第2主題へ進む。第2主題は低音ではなくクラリネットが、ロ長調でごく静かに歌う。 |
| コーダ | mm.217–268(G・H・I) | ロ短調 | 第1主題の動機(ff) | Animato で急に波が立ち、全合奏の嵐になる。最後はクラリネットが動機を小さく振り返り、弦のピッツィカートで静かに消える。 |
曲を貫く糸:開始の1小節の動機(F♯–D–C♯–D–B–F♯)が、主題にも伴奏にも終結にも使われる。グリッリオはこの数音に曲全体の主題素材が含まれると書く。ヴァンデ・モールテレは、冒頭の主題がはっきりした旋律を持たず伴奏に溶け込みやすいことが、第2主題の歌を際立たせると論じる。全曲が 4/4・Allegro moderato で、新しいテンポ表示はコーダの Animato(m.217)だけである(その直前 m.215 に un poco rit.)。
成立:1829年のスコットランド旅行中、8月7日にマル島のトバモリーで家族に宛てた手紙に、のちの序曲の冒頭にあたる21小節が書き込まれている(手紙はニューヨーク公共図書館の所蔵。書かれた場所と日付はカーペンター、小節数はイェール大学の展示解説と Wikipedia による)。手紙には「ヘブリディーズ諸島がどれほど私の心を動かしたかを分かってもらうために、そこで浮かんだものを送ります」という趣旨の一文が添えられている。ホグウッドは、このスケッチには楽器の指定まであり、のちに音価を半分にしたことと、長く伸ばすロ長調の和音の1か所を除けば、完成稿の冒頭とほとんど変わらないと書く(本ガイドは手紙の実物を見ていない)。編成は2管(フルート・オーボエ・A管クラリネット・ファゴット各2)、D管ホルン2、D管トランペット2、ティンパニ(H と Fis)、弦。トロンボーンはない(底本の編成表と総譜で確認)。
成立:1829年のスコットランド旅行中、8月7日にマル島のトバモリーで家族に宛てた手紙に、のちの序曲の冒頭にあたる21小節が書き込まれている(手紙はニューヨーク公共図書館の所蔵。書かれた場所と日付はカーペンター、小節数はイェール大学の展示解説と Wikipedia による)。手紙には「ヘブリディーズ諸島がどれほど私の心を動かしたかを分かってもらうために、そこで浮かんだものを送ります」という趣旨の一文が添えられている。ホグウッドは、このスケッチには楽器の指定まであり、のちに音価を半分にしたことと、長く伸ばすロ長調の和音の1か所を除けば、完成稿の冒頭とほとんど変わらないと書く(本ガイドは手紙の実物を見ていない)。編成は2管(フルート・オーボエ・A管クラリネット・ファゴット各2)、D管ホルン2、D管トランペット2、ティンパニ(H と Fis)、弦。トロンボーンはない(底本の編成表と総譜で確認)。
序曲《フィンガルの洞窟》(ヘブリディーズ諸島)Op.26
ソナタ形式(単一楽章・演奏会用序曲)
提示部
1–95
1–95
展開部
96–179
96–179
再現部
180–216
180–216
コーダ
217–268
217–268
※ 幅は小節数に比例(95/84/37/52、計268)。各部の境界は本ガイドの読み。
主要主題
第1主題(P)m.1
音の運びは F♯–D–C♯–D–B–F♯。8分休符のあとに入り、3度下がって細かく揺れ、もう一度3度下がってから4度跳び降りる1小節の動機(グリッリオは「下行3度、速い音でさらに3度、そして4度」と書く)。ヴィオラ・チェロ・第1ファゴットが p で弾く(第2ファゴットは m.1–5 が休みで、m.6 から加わる。底本と初版総譜の冒頭頁で確認)。この動機を含む2小節が基本の単位で、音の高さを変えて繰り返される(ヴァンデ・モールテレは2小節の基本単位とその反復と見る)。m.3–4 ではチェロがヴィオラから離れ、上行の分散和音型を弾く。寄せては返す波のように聞こえる。
第2主題(S)m.47
A から駆け上がって F♯ に着き、B へ跳んで戻る、低い音域の息の長い旋律。ファゴット2本とチェロが mf cantabile で歌い、m.48 からはクラリネット2本が同じ高さで重なる。上ではヴァイオリンが sempre pp の細かい音型で揺れ続ける。ニ長調。m.57 から第1・第2ヴァイオリンがオクターヴで同じ旋律を受け継ぐ。
終結の ff(K)m.77
練習記号 B で全合奏が ff に達し、フルートとヴァイオリンの高音に第1主題の動機の形(高い音から細かく降りる)がニ長調で現れ、低弦が16分音符で支える。管は付点のリズムで和音を打つ。この付点のリズムは展開部でファンファーレ風の断片として再び使われる。動機との対応は本ガイドの読み。
| 区分 | 位置 | 調 | 主題 | 内容・聴取ポイント |
|---|---|---|---|---|
| 第1主題の提示 | m.1 | h moll | P | ヴィオラ・チェロ・第1ファゴットが p で動機を弾き、2小節の単位が音の高さを変えて繰り返される。m.3–4 ではチェロだけが上行の分散和音型に分かれる。低音はロ音。ヴァイオリンが最初から持続音を伸ばし、クラリネット(m.3)、オーボエ(m.5)、フルートとティンパニのトリル(m.7)が順に加わって和音が厚くなる。 → 聴取:同じ動機の上に、楽器が一つずつ重なっていく。ヴァイオリンの F♯、クラリネットの A、オーボエの C♯ と、和音が下から積み上がる。 |
| 動機が高音へ | m.9 | h moll | P | 動機がヴァイオリンに移り、ヴィオラとチェロは32分音符の細かい揺れで伴奏に回る。m.15 で最初の f が来て、すぐに引く。m.16 では第1ヴァイオリンの下行に第2ヴァイオリンの上行が応える(グリッリオ)。 → 聴取:高いところで同じ動機が鳴り、下で水面が細かく揺れる。 |
| 最初の高まりと波 | m.19–40 | 揺れる | P | m.19 の f cresc. から m.20 で ff に届き、m.21 で pp に落ちてヴァイオリンの16分音符が波を立てる。m.27 ではフルート・オーボエ・ファゴットが別々の強弱で入る(グリッリオはここを指揮上の注意点に挙げる)。m.37 で mf cresc.、m.38 で ff になり、m.39 で再び pp へ落ちる。 → 聴取:強まっては引く、の繰り返し。大きな波が2度来て、2度とも急に静まる。 |
| 移行 | A · m.41 | h moll→ D dur | Tr | m.41 の p から m.42 で ff の頂点に達し、m.43 からクラリネットとファゴットが下行する旋律線を受け持つ。m.45 でトランペットが静かに加わる(グリッリオ)。ここで調がニ長調へ向かう。 → 聴取:頂点のあと、クラリネットの下り坂の線で景色が明るい方へ移る。 |
| 第2主題 | m.47 | D dur | S | ファゴット2本とチェロが mf cantabile で歌い出す(2拍目から。旋律の頭は m.48)。m.48 からクラリネット2本が同じ高さで旋律に重なる(ヴァンデ・モールテレも第2主題の担当をチェロ・ファゴット・クラリネットとする)。コントラバスは長く伸ばし、ヴァイオリンとヴィオラは sempre pp で細かい音型を続ける。m.57 から第1・第2ヴァイオリンがオクターヴで旋律を受け継ぎ、m.67 で dolce の句が続く。 低い音域の歌がこの曲のもう一つの顔。波の音型はやまず、その下で旋律が長く伸びる。 |
| 動機の回想 | m.70 | D dur | P | フルートが pp で第1主題の動機を吹き、続いてクラリネットが受ける。ヴァイオリンは高い持続音を保つ。m.75 から cresc. が始まり、m.76 でヴァイオリンが f non legato の上行に入る。 → 聴取:歌のあと、遠くで最初の動機が聞こえ、そこから一気に盛り上がる。 |
| 終結部 | B · m.77 | D dur | K | 全合奏の ff。高音に動機の形、低弦に16分音符、管に付点のリズム。m.89 で再び ff、m.90–92 は弦の16分音符に sf が並ぶ。練習記号 C(m.93)で管が和音を保ったまま弦が止み、クラリネットが m.95 の sf から dim. に収める。 提示部でいちばん大きな音はここ。再現部にはこの部分に相当する箇所がない(下の特異点)。 |
| 区分 | 位置 | 調 | 主題 | 内容・聴取ポイント |
|---|---|---|---|---|
| 静かな入り | m.96 | 転調 | P | ヴァイオリンが p から pp で細かい音型を続け、チェロとコントラバスが pp で動機の断片を弾く。m.105 でクラリネットが ff marcato の付点音型を打ち込み、m.107 でトランペットが mf marcato で応える。 → 聴取:静かな水面に、遠くから付点のファンファーレが割り込む。終結部の付点リズムの記憶。 |
| 持続音の上の断片 | m.109 | 転調 | K | m.109 から木管が付点の断片を f で交わし(m.112 以降は f con forza)、その下で弦は sempre pp の持続和音と細かい音型を保つ。m.123 でチェロとヴィオラが p で上行を始め、m.125 からヴァイオリンが第2主題の頭の形(A から駆け上がる)を弾く。 → 聴取:強い木管と弱い弦が同時に鳴る。後半は第2主題の出だしが聞き取れる。 |
| ヘ短調へ | D · m.138 | f moll | P | 調号が♭4つに変わり、全合奏の f の一撃のあとヴァイオリンが大きく下行する。グリッリオは、船が航路から外されるように「非常に遠い調のヘ短調」へ移ると書く。ヘ音はロ音から増4度(三全音)離れている。 調号が変わる瞬間に響きの色が変わる。主調からいちばん遠い場所へ連れ出される感覚。 |
| スタッカートの刻み | m.149 | f moll→ 転調 | P | 弦と管が pp staccato、e leggiero(m.150)の8分音符で動機を刻む。m.153 で調号が♯2つに戻り、m.154 から poco a poco cresc.、m.159 から cresc. sempre。 → 聴取:細かな刻みが少しずつ大きくなる。嵐が来る前の、ざわつきの増し方を追う。 |
| 嵐の頂点 | E · m.165 | 転調 | K | 弦が f の16分音符で波立ち、m.167 で più f、m.169 で管が ff con forza の付点音型を鳴らし、弦は ff non legato。m.176 でティンパニが ff のトリルに入り(グリッリオは3拍目のティンパニを管の合わせの目印に挙げる)、m.177 の半音階の駆け上がりを経て、練習記号 F(m.178)の sf で頂点に達する。 全曲でいちばん荒れる場面。ティンパニのトリルのあと、音階が一気に駆け上がって止まる。 |
| 区分 | 位置 | 調 | 主題 | 内容・聴取ポイント |
|---|---|---|---|---|
| 第1主題の回帰 | m.180 | h moll | P | ヴィオラとチェロが p tranquillo で動機を弾き、低音はロ音に戻る。ヴァイオリンは直前の頂点から p に落ちた持続音で和音を保つ。m.188 でヴァイオリンが動機を受け、m.190 の sf から m.194 の f へ一度だけ盛り上がり、m.198 から p に引く。差異:提示部の第1主題部は m.1–46 の46小節、再現部は m.180–201 の22小節。途中の2度の ff の波が省かれる。 → 聴取:冒頭と同じ動機が、嵐のあとの静けさの中で戻る。提示部よりずっと早く次へ進む。 |
| 第2主題(クラリネット) | m.202 | H dur | S | 弦の pp の持続和音(第1ヴァイオリンが D♯)の上で、第1クラリネットが pp で第2主題を吹く(2拍目から)。リーツ版はここに tranquillo assai と刷るが、ガレットの書評はこれをリーツが加えた表情記号とする。書評はその位置を bar 201 と書き、本ガイドの数え(m.202。アリゾナ大学の教材も第2主題の再現を m.202 からとする)と1小節ずれる。ずれの原因(ホグウッド版の小節の数え方の違いか、書評の表記か)は確かめていない。m.206 から第2クラリネットが加わり、m.210 の p を経て m.211 で2本とも dolce。m.211 からホルンが pp で和音を刻む。m.215 un poco rit.、m.216 dim.。差異:提示部=ニ長調、ファゴット・チェロ(クラリネットが重なる)、mf cantabile/再現部=ロ長調、クラリネット独奏から2本へ、pp。 低音の歌が、クラリネットの静かな歌に変わる。グリッリオはこのクラリネットを「憂いを帯びた」と形容する。 |
| 区分 | 位置 | 調 | 主題 | 内容・聴取ポイント |
|---|---|---|---|---|
| Animato | m.217 | h moll | P | テンポ表示 Animato・in tempo。ヴァイオリンが sf の16分音符で割り込み、オーボエとヴィオラがスタッカートで刻む。グリッリオは、展開部で溜まった力が静けさのあとヴァイオリンから噴き出す、と書く。 静かな第2主題の直後に、いきなり波が立つ。全曲で唯一の新しいテンポ表示。 |
| 低弦の動機 | G · m.226 | h moll | P | ヴィオラ・チェロ・コントラバスが ff non legato で第1主題の動機を弾き(グリッリオが non legato を指摘する箇所)、ヴァイオリンが16分音符で荒れる。管は ff の持続音。m.241 で弦に con fuoco。 → 聴取:冒頭の静かな動機が、同じ形のまま全力で鳴る。 |
| 最後の高まり | H · m.244 | h moll | P | 弦が ff で上行し、m.248 から管が f の付点音型で加わる。練習記号 I(m.255)で全合奏がトリルを伴う ff に達し、m.261–263 で8分音符の短い和音が続く。 → 聴取:音階の駆け上がりと付点の和音。ここで終わりそうに聞こえる。 |
| 消えていく終わり | m.264–268 | h moll | P | m.264 から第1クラリネットが p で動機を振り返り、dim. から pp へ下りていく。その間、m.265 と m.266 に全合奏の ff の短い和音が割り込む。m.266 でフルートが p で駆け上がって高い持続音に着き、dim.・pp。m.267 で弦がピッツィカート pp に変わり、ティンパニとともに短い音を置いて、m.268 のフェルマータで終わる。 ff の和音の間を縫って、クラリネットが動機を小さく吹き続ける。最後は静かに消える。 |
提示部 ↔ 再現部の対比(調性軸)
提示部(第2主題・m.47)
ニ長調(平行長調)。ファゴットとチェロの低い音域(クラリネットが重なる)、mf cantabile。短調の主調から、短3度上の長調へ移って歌う。短調のソナタ形式でよく使われる運び。
再現部(第2主題・m.202)
ロ長調(同主長調)。クラリネット、pp(リーツ版では tranquillo assai も付くが、ガレットはリーツの追加とする)。主音はロに戻るが、調は短調ではなく長調で、楽器も強弱も変わる。
対比の軸は調性。長調のソナタ形式なら第2主題は属調から主調へ戻るが、短調のこの序曲では、提示部の平行長調(ニ長調)が再現部で同主長調(ロ長調)に置き換わる。主音はそろうものの、長調のまま歌われるので、短調の解決はコーダ(ロ短調)まで持ち越される。調の判定は本ガイドが総譜から読んだもので、再現部はクラリネットの旋律の実音と、弦の持続和音(チェロのロ音、第1ヴァイオリンの D♯)による。
形式上の特異点
- 冒頭の着想は、洞窟を見る前に書かれた。カーペンターによれば、冒頭のスケッチを書いたのは1829年8月7日(金)、マル島のトバモリーで、スタッファ島を訪れてフィンガルの洞窟を見たのは翌8月8日である。ホグウッドも、トバモリーに着いた晩に家族へ書いた手紙にスケッチがあり、スタッファ訪問はその翌日で、冒頭主題は洞窟を見る前に着想されたと書く。題名は洞窟を指すが、動機そのものは洞窟を見る前にできていた。
- 稿は少なくとも3段階ある。最初の稿はローマで1830年12月に仕上がった(Wikipedia と IMSLP の作品情報は12月16日とする)。ホグウッドの序文が引く作曲者の手紙では、このころの題名は《孤独な島への序曲(Ouvertüre zu der einsamen Insel)》で、この「ローマ稿」は作曲者がピアノで弾いて紹介しただけで、管弦楽では上演されなかったらしい。作曲者はパリから、ニ長調の f の中間部は「かなり滑稽」で、展開部は「鯨油とカモメと塩ダラより対位法の匂いがする」と書き送り、1832年にこの中間部を削って展開部の模倣を減らした(ホグウッド)。この改訂稿は《フィンガルの島々への序曲(Overture to the Isles of Fingal)》として1832年5月14日にロンドンのフィルハーモニック協会で初演された。協会のプログラムに載る指揮者はトマス・アトウッドだけだが、ホグウッドは当時の証言をもとに、本番はメンデルスゾーン自身が指揮したらしいとする。ただし1832年の改訂も最終形ではない。IMSLP の作品情報は改訂の時期を1832年6月6日〜20日と1833年11月29日とし、ホグウッドは作曲者が出版社に原稿を送る際の11月の手紙(「またいくつか変えた」)を引く。デル・マーは1832年の自筆譜を拘束力のある本文とは見なさず、出版前にさらに改訂されたとする。IMSLP には1830年12月16日付の第1稿の写譜(ロンドン王立音楽大学図書館 MS 378、グローヴ旧蔵)と1832年6月付の改訂稿の写譜(同 MS 379)が登録されている。本ガイドは稿どうしの小節単位の比較はしていない。
- 《ヘブリディーズ諸島》か《フィンガルの洞窟》か。出版の媒体ごとに題名が違う。最初に出たのは1833年の四手ピアノ編曲で、ロンドンの Mori & Lavenu が《フィンガルの島々への序曲》、ライプツィヒの Breitkopf & Härtel が《ヘブリディーズへの序曲(フィンガルの洞窟)》の題でほぼ同時に出した。管弦楽のパート譜は1834年に《ヘブリディーズ諸島(Die Hebriden)》の題で、総譜は1835年に《フィンガルの洞窟(Die Fingals-Höhle)》の題で出た(年はデル・マーと IMSLP の作品情報。ホグウッドはパート譜を6月、総譜をその10か月後の4月とする)。本ガイドが IMSLP #683560 で確かめると、この総譜の表紙は「3つの演奏会用序曲」の第2番を “Die Fingals-Höhle” とし、プロイセン王太子への献呈を記す。ホグウッドは、フランス語の題は出版社の発案だろうとし、題名の揺れを作曲者の意図で説明し切ることはできないとする。底本のリーツ版は《ヘブリディーズ諸島(フィンガルの洞窟)》と両方を刷る。
- 再現部が短く、提示部の ff の終結部分が戻らない。第1主題部は46小節から22小節に縮み(グリッリオも再現部の短縮を指摘する)、提示部の終結部(練習記号 B からの ff)に相当する部分はない。その代わりに Animato のコーダが置かれ、全曲の ff はそこでまとめて鳴る。短縮はソナタの規則からの逸脱というより、嵐の頂点(展開部の終わり)から静かな回帰へ、そしてもう一度の嵐へという運びの結果と読める(本ガイドの読み)。
- ティンパニは H と Fis。底本の楽器欄は「Timpani in H, Fis」。主音ロと属音嬰ヘに合わせてある。冒頭 m.7 のトリル、展開部の頂点 m.176 のトリル、最後の m.267–268 の短い音が、この2音で鳴る。
参考文献
- 楽譜(底本):Felix Mendelssohn Bartholdy, Ouvertüre „Die Hebriden“ (Fingals-Höhle), op. 26, ed. Julius Rietz, Felix Mendelssohn-Bartholdys Werke, Serie 2, Leipzig: Breitkopf & Härtel, 1874, Plate M.B. 8(IMSLP #122244。スキャンは同版番号の Partitur-Bibliothek Nr.199、VEB Breitkopf & Härtel 刷り)— IMSLP(本ガイドの小節番号・練習記号・調号・楽器欄の典拠)
- 楽譜(初版総譜):Drei Concert-Ouverturen, No. 2: Die Fingals-Höhle, Leipzig: Breitkopf & Härtel, [1835], Plate 5543(IMSLP #683560。IMSLP のファイル情報は n.d.[1834]。出版年はデル・マー、ホグウッド、IMSLP の作品情報に拠る。表紙と冒頭頁のみ確認)
- 手稿写譜:“Ouverture zur einsamen Insel”(1830年12月16日付の第1稿の写し、Royal College of Music Library, MS 378)/“Overture to the Isles of Fingal”(1832年6月付の改訂稿の写し、同 MS 379)— IMSLP の書誌注記による(本ガイドは中身を照合していない)
- Christopher Hogwood (ed.), Mendelssohn Bartholdy: Die Hebriden / The Hebrides, Concert Overture op. 26, Urtext, Kassel: Bärenreiter, TP 395 — 序文(出版社サイトの見本 PDF。英語序文のみ参照。楽譜本文は未参照)(スケッチの経緯、ローマ稿と1832年の改訂、ロンドン初演の指揮者、出版の順序と題名、リーツ版の問題)
- Jonathan Del Mar, “Mendelssohn: Overture The Hebrides (Fingal’s Cave), Op. 26”, in Orchestral Masterpieces under the Microscope, Cambridge University Press — Cambridge Core(章ページで読める範囲のみ参照。出版の順序、1832年自筆譜の位置づけ、リーツ版の評価)
- James Garratt, review of Hogwood’s edition, Nineteenth-Century Music Review 3/2 (2007) — hogwood.org に再掲(リーツ版で加えられた表情記号の例として、第2主題の再現の tranquillo assai を「bar 201」として挙げる)
- Steven Vande Moortele, “Turning Inward – Turning Outward – Turning Around: Strong Subordinate Themes in Romantic Overtures”, Res Musica 7 (2015) — PDF(冒頭主題の2小節単位と m.3–4 のチェロ、第2主題の担当楽器)
- University of Arizona, MUS 330B, “Mendelssohn, Hebrides Overture Op. 26” — brobeck.music.arizona.edu(授業教材。著者名の記載なし。全268小節の区分・調・主題)
- R. Larry Todd, “Of Sea Gulls and Counterpoint: The Early Version of Mendelssohn’s Hebrides Overture”, 19th-Century Music 2 (1979), pp. 197–213 — 未参照(書誌は Duke University の業績ページで確認)
- R. Larry Todd, Mendelssohn: The Hebrides and Other Overtures, Cambridge: Cambridge University Press, 1993 — 未参照(成立・形式・管弦楽法の章を含むことは出版社の目次で確認)
- Gianmaria Griglio, “The Hebrides: a conductor’s analysis of Mendelssohn’s concert Ouverture” — gianmariagriglio.com(指揮者の個人サイト。動機の音程、m.27/43/45/176/217/226 の指摘、ヘ短調、再現部の短縮、クラリネットの第2主題)
- Stephen Carpenter, “Hebrides Overture”, Mendelssohn in Scotland — mendelssohninscotland.com(個人の解説サイト。スケッチの日付と場所、スタッファ訪問の日付、ロンドン初演、初版の表題)
- Yale University, “Mendelssohn Gallery 2: Letter to his family”, Art and Music in Britain: Four Encounters — artandmusic.yale.edu(1829年8月7日の手紙、冒頭21小節、ニューヨーク公共図書館所蔵)
- Wikipedia, “The Hebrides (overture)” — en.wikipedia.org(1830年稿の完成日と題名、1832年の改訂と初演)
- 参照録音:London Symphony Orchestra, Claudio Abbado, Deutsche Grammophon(1985年2月録音。録音情報とトラック長は MusicBrainz の登録値)
第1版 | 初版 2026-09-27 | 最終改訂 2026-09-27