予習ノート

ノット×都響——《フィンガルの洞窟》/ブルッフ《スコットランド幻想曲》/ストラヴィンスキー《葬送の歌》/スクリャービン《法悦の詩》

この記事の目次
  1. 公演情報
  2. 今日のプログラムの特徴
  3. メンデルスゾーン 序曲《フィンガルの洞窟》op.26
  4. ブルッフ スコットランド幻想曲 op.46
  5. ストラヴィンスキー 葬送の歌 op.5
  6. スクリャービン 法悦の詩(交響曲第4番)op.54
  7. 演奏家について
  8. 録音メモ
  9. 今回確かめること

ジョナサン・ノットの都響初登場です。前半はメンデルスゾーン《フィンガルの洞窟》とブルッフ《スコットランド幻想曲》、スコットランドを題材にしたドイツ人の2曲。後半はストラヴィンスキー《葬送の歌》とスクリャービン《法悦の詩》、1908年前後のロシアで生まれた2曲です。コンサートマスターは、東響でノットの隣に長く座っていた水谷晃。4曲とも楽曲ガイドを作ったので、ここでは手がかりに絞ります。

公演情報

  • 日時・会場: 2026年10月3日(土)14:00開演、東京芸術劇場コンサートホール(第1052回定期演奏会Aシリーズ)
  • 指揮: ジョナサン・ノット
  • ヴァイオリン: 辻彩奈(ブルッフ)
  • ハープ: 吉野直子(ブルッフ)
  • コンサートマスター: 水谷晃(月刊都響 2026年10月号)
  • 曲目(演奏時間は月刊都響の目安):
    • メンデルスゾーン:序曲《フィンガルの洞窟》op.26(Die Hebriden / Fingals Höhle、1830、1832・33年改訂)約11分
    • ブルッフ:スコットランド幻想曲 op.46(Schottische Fantasie、1879–80)約30分
    • ストラヴィンスキー:葬送の歌 op.5(Погребальная песнь、1908)約12分
    • スクリャービン:法悦の詩(交響曲第4番)op.54(Le Poème de l’extase、1905–08)約20分

都響は10月9日(B定期、サントリーホール)と10日(都響スペシャル、すみだトリフォニーホール)にも、ノットの指揮でベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(アンヌ・ケフェレック)とブルックナーの交響曲第6番(ノヴァーク版)を演奏します。

今日のプログラムの特徴

都響の公演ページはこの回を「明朗なる歌/神秘なる詩」と題し、明るく華やぐ前半とダークでミステリアスな後半の対照として紹介しています。

前半の2曲は、どちらもドイツの作曲家がスコットランドの旅や文学から引き出した音楽です。メンデルスゾーンは1829年の旅の途中、マル島で冒頭の楽想を書き留め、翌日スタファ島の洞窟を訪れています。一方のブルッフは、BSO の解説(アレクサンダー・レーディング)によれば作曲の時点ではスコットランドを訪れておらず、民謡集とウォルター・スコットの文学を通して書きました。現地で書き留めた風景と、本で知ったスコットランド。同じ題材への入り方が逆なのは、聴き比べる材料になりそうです。

後半の2曲は、ほぼ同じ時期のロシアの作品です。《葬送の歌》は1908年6月に亡くなったリムスキー=コルサコフの追悼として6〜7月に書かれ、1909年1月にペテルブルクで初演されました。《法悦の詩》は、都響の解説では1905〜08年の作曲(総譜は1907年のうちにほぼ仕上がっていたとする資料もあります)で、1908年に出版され、12月にニューヨークで初演されています。師を悼む26歳の弟子の音楽と、法悦を掲げる30代半ばの作曲家の音楽が、数か月違いで初めて鳴らされたことになります。

調の流れを見ると、《葬送の歌》はイ短調で始まり、最後もイ短調の和音で終わります。続く《法悦の詩》は調号を一度も記さないまま進み、最後は低音 C の上のハ長調で閉じます。イ短調とハ長調は同じ音階を共有する平行調で、葬送の終わりの和音から、20分かけて同じ白鍵の世界の明るい側へ抜けていく並びとも読めます。都響がそこまで考えて並べたかどうかは分からないので、これは私が勝手に面白がっているだけですが、休憩をはさまず続けて演奏されるなら、境目の響きは確かめたいところです。

もうひとつ、東京芸術劇場にはパイプオルガンがあります。《法悦の詩》の総譜はやむを得なければハーモニウムでもよいとしていて、公演ページにも使用楽器の記載はありませんが、実機のオルガンが使われるなら、最後の響きはこのホールならではのものになりそうです。

メンデルスゾーン 序曲《フィンガルの洞窟》op.26

  • 1830年12月にローマで完成、1832年に改訂した稿で初演(1832年5月14日、ロンドン)、1833年にも出版前の改訂。四手ピアノ版1833年、パート譜1834年、総譜1835年の出版
  • ロ短調、ソナタ形式、全268小節(提示部 1–95/展開部 96–179/再現部 180–216/コーダ 217–268。境目は本ガイドの読みで、展開部を m.94 からとする分析もある)
  • 題名は、出版時にパート譜が《ヘブリディーズ諸島》、総譜が《フィンガルの洞窟》と別々に刷られた(都響の曲目解説、木幡一誠)
  • 詳細は楽曲ガイド(リーツ校訂の旧全集版で小節を実測)

序奏なしで、ヴィオラとチェロとファゴットが F♯–D–C♯–D–B–F♯ の短い動機を低く繰り返して始まります。この1小節ほどの動機が、主題にも伴奏にも終結にも使われ、全曲をほぼ覆っています。都響の解説は、ワーグナーがこの曲を「音による風景画として第一級」と評したことを紹介していました。

  • **第2主題(m.47)**は、チェロとファゴットにクラリネットが重なって、ニ長調で低く長い歌を歌います。波の動機の上に、はじめて息の長い旋律が乗る瞬間です。
  • 展開部で音楽は遠いヘ短調(m.138)まで流され、スタッカートの細かい刻みから嵐のような高まりへ向かいます。
  • 再現部(m.180)は提示部の半分ほどの長さで第2主題へ進み、その第2主題を今度はクラリネットがロ長調でごく静かに歌います。低い弦の歌が、高い木管の独り言に変わる。ここに付いている tranquillo assai は、作曲者ではなくリーツ版の校訂者が足した表示だとされるので、演奏がどこまで「静けさ」を強調するかは版と指揮者次第の場所です。
  • コーダ(m.217 Animato)で急に全合奏の嵐になり、最後はクラリネットが動機を小さく振り返って、弦のピッツィカートで消えます。

ノットは東響で長く古典派の交響曲を振ってきた人なので、この序曲を嵐の描写に寄せるのか、動機の積み上げとして端正に見せるのかは、冒頭の数小節でおおよそ分かりそうです。

ブルッフ スコットランド幻想曲 op.46

  • 1879–80年作曲。献呈はサラサーテ。初演 1881年2月22日、リヴァプール(ヨアヒム独奏、作曲者指揮)
  • 番号のない序奏(Grave、変ホ短調)と4楽章:I. Adagio cantabile(変ホ長調)/II. Allegro(ト長調の舞曲)/III. Andante sostenuto(変イ長調)/IV. Finale. Allegro guerriero(変ホ長調)。全637小節
  • 各楽章がスコットランド民謡を核にする:I「Thro’ the Wood, Laddie」(資料によっては「Auld Rob Morris」)/II「The Dusty Miller」/III「I’m a’ doun for lack o’ Johnnie」/IV「Hey tuttie tatie」(「Scots wha hae」の旋律)。同定はボロウスキーの博士論文(2018)とガイドの照合で一致
  • 詳細は楽曲ガイド(Simrock 初版総譜で小節を実測し、作曲者のヴァイオリン+ピアノ編曲と照合)

ハープが独奏者として名前を連ねている点が、この曲の編成上いちばんの特徴です。都響の曲目解説(本田裕暉)も、ハープを「第2の独奏楽器」と呼んでいます。今回その席に吉野直子が座るのは、この曲の書き方をそのまま演奏会の顔ぶれに映した配役で、ハープがオーケストラの中の1パートではなく、独奏ヴァイオリンの相方として聞こえるかどうかが、今日いちばん確かめたいことです。

  • 序奏はハープつきの重い金管のコラールで始まり、独奏が「叙唱のように」割り込みます。昔日を嘆く老いた吟遊詩人を思わせる、とされる場面です(ボロウスキーはフィフィールドの伝記を典拠に、ブルッフ自身の構想とする)。
  • 第1楽章で独奏は冒頭の1音だけ弾いて18小節休み、m.20 の弱起から民謡を重音で歌い出します。下で支えるのはハープの分散和音で、ハープとヴァイオリンの二重唱のような楽章です。
  • 第2楽章は、調号♭3つの全奏の導入からト長調の舞曲に入ります(都響の解説は変ホ長調と書いていますが、ガイドで総譜を見た限り、調号♭3のまま始まって舞曲はト長調で進みます)。ホルンと低弦の持続音がバグパイプの響きを作り、その上で独奏が「The Dusty Miller」を重音で踊る。ハープはこの楽章だけ休みです。
  • 第3楽章は変イ長調のいちばん素朴な歌で、中ほどでロ長調へ離れます。ハープの譜面はここを変ハ長調で書いていて、同じ響きを弦はシャープ5つ、ハープはフラット7つで読んでいることになります。第2楽章で休んでいたハープがここで戻ってくるので、その入りの色の変化は聴きどころです。
  • 終楽章は独奏とハープだけで始まり、「Hey tuttie tatie」の勇ましい旋律を独奏が重音で打ち鳴らします。終わり近くの Adagio で第1楽章の民謡がもう一度戻り、そこから一気に閉じる。

辻彩奈は2019年にノット指揮のスイス・ロマンド管とジュネーヴと日本でツアーをしていて(月刊都響の英文プロフィール)、指揮者とは初顔合わせではありません。ガダニーニ(1748年)の艶のある音が、民謡の素朴さとどう折り合うのかも楽しみです。

ストラヴィンスキー 葬送の歌 op.5

  • 1908年6〜7月作曲。リムスキー=コルサコフ追悼。初演 1909年1月17日(新暦30日)、ペテルブルク音楽院大ホール(フェリクス・ブルーメンフェリト指揮)
  • その後パート譜が行方不明になり、2015年にペテルブルク音楽院の移転作業中に図書館員イリーナ・シドレンコが見つけた。長年探していた研究者ナタリア・ブラギンスカヤが1909年のパート譜と同定し、作曲家ユーリー・アクバルカンが総譜を復元。2016年12月2日にゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管で再演、2017年に Boosey & Hawkes から出版
  • Largo assai、約12分、イ短調で始まりイ短調で終わる
  • 詳細は楽曲ガイド(総譜が手に入らないため区分は場面単位。位置はブラギンスカヤの学位論文の譜例で取れたものだけ)

ストラヴィンスキーは後年の『自伝』で、この曲をオーケストラの独奏楽器が順に師の墓の前を通り、それぞれが自分の旋律を花輪として置いていく音楽だったと回想しています。背景には低いトレモロのざわめき。《火の鳥》の2年前の作品で、晩年の作曲者は「《火の鳥》以前の最良の作品」と振り返っていたと言われます。

  • 弱音器をつけたコントラバスのトレモロが、半音でうごめく7音の音型で始まります。この低いうごめきが全曲の土台です。
  • ゲシュトップのこもった音色のホルンが、臨時記号のない白鍵だけのイ短調の旋律を吹きます(m.18〜)。背景のトレモロがこの間も鳴り続けるのか、ホルンだけが残るのかは資料が食い違っていて、ガイドでも確かめられなかった点です。当日耳で確かめられる数少ない事実の一つです。
  • 同じ歌がイングリッシュホルン、オーボエ、フルート、テューバと楽器を渡っていきます(ロサンゼルス・フィルの解説)。渡るたびに半音が増えて、響きが暗く深い変イ短調の方へ沈んでいきます。
  • 第1ヴァイオリンが歌を取り戻す回帰(練習番号9〜10)では、F–F♯、D–D♯ と半音でずり上がる音が旋律に食い込み、最初の素朴さはもう戻りません。ブラギンスカヤはこの変形が《神々の黄昏》のブリュンヒルデの「絶望の動機」に近づくと読んでいます(葬送行進曲との近さは、冒頭の低音のうごめきや終盤の弦の噴出の方に結びつけています)。
  • 最後は弦の細かい音が急に吹き上がり、イ短調の和音で静かに終わります。

都響の曲目解説(増田良介)は、これとは違う区切り方をしています。主題 A と、それを5度下に移して後半を変えた主題 B が交互に現れる「序奏―A―B―A’―B’―A’’―展開部―コーダ」の二重変奏曲として読み、自伝の「楽器ごとに固有の旋律」は記憶違いだろうとしていました。ガイドは「一つの歌が楽器を渡る」という作曲者の回想側に寄せて区分しました。二つの読みは両立しうるもので、当日は別々に確かめたいと思います。主題が5度下で出てくる瞬間を聞き取れるか(増田の二重変奏曲の読み)と、独奏楽器の交替が花輪の行列のように聞こえるか(作曲者の回想)です。

スクリャービン 法悦の詩(交響曲第4番)op.54

  • 1905–08年作曲。初演 1908年12月10日、ニューヨーク(モデスト・アルトシューラー指揮)
  • 単一楽章、全605小節。総譜には調号が一度も刷られていない
  • 大編成:ホルン8、トランペット5、鐘、チェレスタ、オルガンなど
  • 区分:提示部 1–110/第1展開部 111–180/第2展開部 181–312/再現部 313–476/コーダ 477–605(トピーリン 2023 の読み)
  • 詳細は楽曲ガイド(Belaieff 1908 年版で小節を実測し、パート譜2種と照合)

曲は小さな動機がたくさん出てきて絡み合う作りで、それぞれに「憧れ」「夢」「飛翔」「意志」といった呼び名が付いています。ただ、呼び名は資料ごとに違います。ガイドはロシアの研究(トピーリン、ミヘーエワ)の呼び名で整理しましたが、都響の曲目解説(相場ひろ)は、冒頭のフルートを「憂い」、トランペットの中心の主題を「肯定」、低い金管の主題を「抵抗」と呼んでいます。対応はおおよそ「憂い=憧れ」「肯定=自己主張」「抵抗=抗議」です。どの呼び名も作曲者が総譜に書いたものではなく、総譜に刷られているのはフランス語やイタリア語の発想標語だけです。

  • 冒頭の第1フルートは「けだるい欲望をこめて」(con voglia languido)と指示された短い句で、息の長い旋律にならず、何度も言いかけては止まります。
  • m.13 から第1トランペットが付点のリズムで同じ音を繰り返し、「命令的に」長い音に至ってすぐ消えます。のちの主要主題の予告です。
  • m.39 の Allegro volando(飛ぶように)で急に速くなり、軽い音型が駆け回ります。遅い部分と速い部分が短く入れ替わるので、その落差をそのまま楽しめる曲です。
  • m.103 で、トランペットが初めて中心の主題を f で、しかし ma dolce(柔らかく)で吹きます。 大きな音で柔らかく、という矛盾した指示が、この曲の性格をよく表しています。この主題は m.260 の弱起からは独奏トランペットが全奏の上に立って歌い、最後はホルン8本が引き延ばして鳴らす。同じ主題の三つの姿を追うのが、全曲を通して迷わない方法です。
  • その場面では、弦は 12/8、管と金管は 4/4 で書かれていて、拍の割り方が上下で食い違います。下の三連の揺れと上のまっすぐな旋律が重なる響きです。
  • m.552 の最後の拍からオルガンが入り、m.553 の Maestoso で鐘とともに最後の上昇が始まります。オルガンが鳴るのは終わりの54小節だけです。最後は低音 C の上に和音が積まれ、ハ長調の長い和音で閉じます。

演奏家について

ノットは2014年9月から2026年3月まで東京交響楽団の音楽監督を務め、今回が都響への初登場です(都響の公演ページ)。その前はバンベルク響の首席指揮者(2000–16年)、アンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督も務め、2026/27年シーズンからはバルセロナのリセウ大劇場の音楽監督に就きます。リゲティの録音が多く、東響でもプログラムの組み方に工夫のある人として知られてきました。今回も、定番の序曲と協奏曲に、再発見されて10年ほどの《葬送の歌》を挟んでいます。

10月は B 定期でブルックナーの第6番も振るので、都響の響きとの相性はそちらと合わせて見ることになりそうです。

この日のコンサートマスターは水谷晃です。水谷は2013年4月から2023年3月まで10年間、東京交響楽団のコンサートマスターを務め(東響の退団のお知らせ、ぶらあぼ)、2024年4月に都響のコンサートマスターに就きました。ノットの東響音楽監督就任は2014年9月なので、東響時代の大半をノットの隣で弾いてきたことになります。退団時の本人のメッセージは、スダーン前監督からノットへの過渡期と、2022年11月の《サロメ》に至る「蜜月の時」を振り返っていました。

つまり今日は、東響でノットの音楽づくりを内側から知っているコンサートマスターが、都響の側に座って初共演の指揮者を迎えることになります。初めての顔合わせのリハーサルで、指揮者の手の内を知る人がオーケストラの先頭にいるのは、双方にとって話が早いはずです。音の立ち上がりやテンポの揺らし方で、東響で聴き慣れたノットらしさがどこまで都響の音に乗るか。そこに水谷の存在がどう効くかは、外から聴いて分かるものではないかもしれませんが、つい想像してしまう組み合わせです。

辻彩奈は1997年生まれ、2016年のモントリオール国際音楽コンクールの優勝者。吉野直子は1985年のイスラエル国際ハープ・コンクールに17歳で優勝し、武満徹や細川俊夫の作品の初演を多く手がけてきたハープ奏者です。

録音メモ

楽曲ガイドの参照録音は、《フィンガルの洞窟》がアバド/ロンドン響(DG、1985年)、スコットランド幻想曲がリーベック/ブラビンズ/BBC スコティッシュ響(Hyperion、2013年)、《葬送の歌》がシャイー/ルツェルン祝祭管(Decca、2017年、世界初録音)、《法悦の詩》がブーレーズ/シカゴ響(DG、1995年)です。

今回確かめること

スコットランド幻想曲で、ハープが独奏ヴァイオリンの相方として聞こえる場面がどこか。とくに第2楽章で休んだハープが第3楽章で戻ってくるところで、響きの色がどう変わるかを聴き取りたいです。