R.シュトラウス:交響詩《ドン・ファン》Op.20
Richard Strauss: Don Juan, Tondichtung für großes Orchester(1888/初演 1889) 単一楽章・約18分
枠の地図:全曲はおおむねホ長調に発する。
出典・底本
主な分析ソース:英語版 Wikipedia「Don Juan (Strauss)」(形式=ロンドとソナタの融合/編成/初演/出版)、Houston Symphony プログラムノート「Insatiable: Strauss's Don Juan」(houstonsymphony.org・主題の筋と順序)、orchestraexcerpts.com「Horn: R. Strauss: Don Juan」(ホルンの英雄主題のリハーサルレター [E] 前後)。位置の準拠:テンポ・性格と一部のリハーサルレター([E] 等)で区切る。小節番号は付けない。この曲を小節単位で通した信頼できる資料は本ガイド作成時に確認できなかったため、推測の小節番号は書かない(一部の概説が小節番号を挙げるが、出所が AI 生成で未検証のものは採らない)。
底本(楽譜の版)は未確認。初版は J. Aibl(Leipzig, 1890)。実際の演奏譜の版は特定していない。テーマの物語的な結びつき(誰の情景か)は諸説あり、本ガイドはレーナウの詩に基づく一般的な読みを採る。
参照録音(時間目安の基準):ケンペ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン/EMI(R.シュトラウス管弦楽作品全集、1970–75 所収)。区分ごとの「≈mm:ss」は本盤での目安として今後実際に計測して追記する(現時点は空欄)。なお小節番号を挙げる資料(Browne 2008 の未刊行アナリーゼ)は単独・未査読でリハーサルレターに内部矛盾があり、本ガイドは採らない。
曲全体の俯瞰(単一楽章・4区分)
| 区分 | 性格・テンポ | 調 | 主な主題 | 聴きどころ |
|---|---|---|---|---|
| A 生の突入 | Allegro molto con brio・奔流 | ホ長調 | ドン・ファンの生の主題/第1の愛(独奏ヴァイオリン) | 前奏なしで、駆け上がる弦がいきなり突入する。この勢いが全曲の推進力になり、区切りごとに形を変えて戻る。続く独奏ヴァイオリンの控えめな歌が最初の女性。 |
| B 愛の情景群 | ゆるやかに・抒情 | 転調(ホ長調を離れる) | オーボエの大きな愛の歌 | チェロ・ヴィオラの陰りある旋律からフルートの吐息、そしてオーボエが長い愛の歌を歌い出す。全曲でいちばん静かな、心に触れた女性(アンナ)の場面。 |
| A' 英雄主題・乱舞 | sehr energisch・高揚 | ホ長調へ戻る | 4本ホルンの英雄主題/謝肉祭(グロッケンシュピール) | 4本のホルンが斉奏で新しい英雄的な主題を突きつける。そこから乱舞へ膨らみ、グロッケンシュピールの輝きが加わる。生の絶頂。 |
| 終結(死) | pp・失速して消える | ホ長調の輝きが翳る | 生の主題の残響/トランペットの不協和 | 最強奏の頂点のあと、音楽がふっと途切れる。トランペットの刺すような不協和音を経て、静かな諦めのうちに消える。 |
曲を貫く糸:レーナウの詩では、ドン・ファンは理想の女性を求めて次々と情熱を燃やすが、燃え尽きると生が空虚になり、決闘でわざと剣を下ろして死を選ぶ。音楽もその弧をなぞる——生の主題が輝き、愛の情景を渡り歩き、英雄主題で絶頂に達し、最後は燃料の尽きた炉のように冷えて閉じる。ホ長調で始まりながらホ長調の凱旋では終わらない。
交響詩《ドン・ファン》Op.20
自由な単一楽章(ロンドとソナタ形式の融合・レーナウの詩による)
A 生の突入・第1の愛
B オーボエの愛の歌
英雄主題(4hn)
乱舞・回想
死・終結
※ 弧線は区分の相対的な配置を示す概略(小節数の出典がないため目盛りは付けない)。flex 比は演奏時間の目安であって正確な尺ではない。
主要主題・動機(凡例)
生の主題(ドン・ファン)
冒頭、前奏なしで駆け上がる弦の奔流。ホ長調、Allegro molto con brio。生への渇き・征服欲。全曲の推進力で、区切りごとに形を変えて戻る。
第1の愛(独奏ヴァイオリン)
最初の情景の控えめな独奏ヴァイオリン。「永遠に女性なるもの」の象徴とも呼ばれる。弦と管が絡み合い、思いのほか翳のある高まりに達する。
オーボエの愛の歌(アンナ)
第2の愛の情景の核。チェロ・ヴィオラの陰りある旋律とフルートの吐息に続き、独奏オーボエが長い旋律を歌う。のちにクラリネット・ファゴット・ホルンへ受け渡される。全曲で最も静かな場面。
英雄主題(4本ホルン)
4本のホルンが斉奏で突きつける、自負に満ちた新しい主題(sehr energisch)。愛を捨てて先へ進む意志。オーケストラの難所として名高い(リハーサルレター [E] 前後)。
乱舞・謝肉祭(グロッケンシュピール)
英雄主題から膨らむ高揚の場面。軽く弾む弦にグロッケンシュピールがきらめき、享楽の渦を描く。
死の翳り(トランペットの不協和)
終結。頂点のあと音楽が途切れ、トランペットの刺すような不協和音が差し込む。ホ長調の輝きが冷え、pp で消える。
| 区分 | 位置 | 調 | 主題 | 内容・性格・聴取ポイント |
|---|---|---|---|---|
| 生の主題の突入 | 冒頭 · con brio | E dur | 生の主題 | 前置きなしで、駆け上がる弦の奔流がいきなり始まる。24歳のシュトラウスの筆致は当時「過激なほど新しい音楽」と受け取られた。金管の合いの手が挿さり、征服欲に満ちた勢いが立ち上がる。 最初の数秒で全曲の勢いが決まる。この推進力を覚えておくと、区切りごとに形を変えて戻るのが分かる。 |
| 第1の愛(独奏ヴァイオリン) | 第1の情景 | 転調 | 第1の愛 | 勢いがいったん退き、独奏ヴァイオリンが控えめに歌う(最初の女性)。弦と管が絡み合う二重唱のように高まり、思いのほか翳のある頂点に達してから、また生の主題が戻る。 → 聴取:独奏ヴァイオリンの繊細さと、その先の翳った高まり。享楽一色でない陰りが早くも差す。 |
| 区分 | 位置 | 調 | 主題 | 内容・性格・聴取ポイント |
|---|---|---|---|---|
| 陰りの導入 | 移行部 | 転調(暗く) | 陰りの旋律 | チェロとヴィオラが物思わしげな旋律を奏で、フルートが吐息のように応じる。享楽の渦がひととき止み、内面へ沈む。 → 聴取:低弦の翳り+フルートのため息。ここから全曲でいちばん静かな場面に入る合図。 |
| オーボエの愛の歌 | 抒情の頂 | 転調 | 愛の歌(アンナ) | 独奏オーボエが長い愛の旋律を歌い出す。心に触れた女性(しばしばアンナと読まれる)の場面。旋律はやがてクラリネット・ファゴット・ホルンへと受け渡され、木管を渡り歩く。 オーボエの息の長い歌。この曲でいちばん流れが止まる箇所。旋律が次々別の楽器へ移るのを追う。 |
| 区分 | 位置 | 調 | 主題 | 内容・性格・聴取ポイント |
|---|---|---|---|---|
| 4本ホルンの英雄主題 | [E] 前後 | E dur | 英雄主題 | 4本のホルンが斉奏(sehr energisch)で、自負に満ちた新しい主題を突きつける。愛の場面を振り切って先へ進む意志。この斉奏はホルン奏者のオーディション定番の難所で、[E] 前後に置かれる(orchestraexcerpts)。 4本のホルンだけが揃って前へ出る。オーボエの歌の柔らかさと正反対の、硬く張った輝き。 |
| 乱舞・謝肉祭 | [E] 以降 | E dur 系 | 乱舞 + 生の主題 | 英雄主題を発火点に、音楽が制御を失うように膨らむ(享楽の渦とも読まれる)。軽く弾む弦にグロッケンシュピールがきらめきを添える。対比:冒頭の勢いが、ここでは一段大きな渦へ増幅される。 → 聴取:グロッケンシュピールの粒立った輝き。生の絶頂が、どこか焦りを帯びて上ずっていく感じ。 |
| 墓場の場面・回想 | 回想部 | 翳る | 愛の主題(回想) | 渦がふいに引き、不気味な静寂のなかで、これまでの愛の主題が短く亡霊のように過ぎる。過去の女性たちの記憶。 → 聴取:さっき歌われた旋律の断片が、色を失って戻る。誰の情景だったかを思い出せるか。 |
| 区分 | 位置 | 調 | 主題 | 内容・性格・聴取ポイント |
|---|---|---|---|---|
| 決闘と最後の高まり | 終結手前 | E dur | 生の主題 + 英雄主題 | 生の主題が戻り、ドン・ペドロとの決闘へ向かう。英雄主題が痛切な憧れを帯びて最後にもう一度立ち上がる。 → 聴取:これが最後の炎。勢いが戻るが、以前ほどの確信はない。 |
| 途切れと死 | 結尾 pp | 翳り(長調が消える) | 死の翳り | 頂点で音楽がふいに途切れる。刺すようなトランペットの不協和音が差し込み、レーナウの詩どおり、ドン・ファンはわざと剣を下ろして死を受け入れる。輝かしいホ長調は凱旋せず、燃え尽きた炉のように冷えて、pp で消える。終わり方:凱旋の全奏で閉じず、pp の翳りへ落ちる。 → 聴取:最強奏のあとの「無音」と、そこへ落ちるトランペットの一撃。最後の弱音がどれだけ空虚に響くか。 |
形式上の特異点
- 前奏なしの突入。序奏を置かず、駆け上がる弦の奔流でいきなり本題に入る。「生への渇き」を最初の一撃で提示する構え。
- 凱旋で終わらない。ホ長調に発しながら、終結はホ長調の全奏で勝利しない。最強奏の頂点のあと音楽が途切れ、トランペットの不協和を経て pp で消える。レーナウの詩の断章の結び「燃料は尽き、炉は冷えて暗い」に対応する終わり方。
- 4本ホルンの斉奏。英雄主題を4本のホルンが揃って突きつける([E] 前後)。柔らかいオーボエの愛の歌と正反対の硬い輝きで、オーケストラの難所として名高い。
- 静止する第2の愛。オーボエの長い愛の歌は、推進力の強いこの曲のなかで流れがほどけて静止する例外的な挿話。旋律が木管を次々渡り歩く。
- 物語との対応は諸説。各主題が「誰の情景か」(アンナ/ツェルリーナ等)の割り当ては解説者により分かれる。本ガイドはレーナウの詩に基づく一般的な読みを採り、確定はしない。
形式の見取り図:ロンドとソナタの融合
この曲の形式はロンドとソナタ形式の融合とされる(Wikipedia)。主分析はレーナウの詩の筋に置き、形式面はこの融合の枠で見る:
ソナタ形式なら再現部で主調が確認され安定して閉じるが、ここでは主題が戻っても凱旋せず、空虚な終結へ向かう。主題は戻るのに解決しない、というずれが残る。
提示部にあたる
生の主題(E dur)+第1の愛。主題群の提示。展開部にあたる
愛の情景群(オーボエの歌・転調)と乱舞。緊張と逸脱。再現部・コーダにあたる
英雄主題のホ長調回帰 → 途切れて pp の死。主題は戻るが「解決」しない。参考文献
- Wikipedia, "Don Juan (Strauss)" — en.wikipedia.org(形式=ロンドとソナタの融合/編成/初演 1889 Weimar/初版 J. Aibl 1890)
- Houston Symphony, program note "Insatiable: Strauss's Don Juan" — houstonsymphony.org(主題の順序と物語的読み・4本ホルンの英雄主題・終結)
- orchestraexcerpts.com, "Horn: R. Strauss: Don Juan [3 Excerpts]" — orchestraexcerpts.com(ホルン英雄主題のリハーサルレター [E] 前後)
- Nikolaus Lenau, 劇詩「Don Juan」(未完)— シュトラウスがスコア冒頭に断章を掲げた標題の典拠。
- ※ 底本(スコアの版)と小節単位のリハーサルレター対応は今後追記する。小節番号を通しで確証できる一次資料があれば位置欄を更新する。
第1版 | 初版 2026-07-11 | 最終改訂 2026-07-12