予習ノート
ルイージ×N響——N響100年記念 特別演奏会 マーラー《復活》
N響の創立100年の記念日(10月5日)を前に、ルイージが《復活》を振ります。ぶらあぼのインタビュー(2026年8月号、取材・文:広瀬大介)によれば、この曲は「100年記念にぜひやりたいと私から提案しました」とのこと。首席指揮者就任前の2017年の第1番を経て、就任後は2023年の第2000回定期の第8番から始まったこのコンビのマーラーは、欧州ツアーのコンセルトヘボウを経て、今年4月の第5番へと続いてきました。首席指揮者として N響と一緒に積み上げてきた道筋の、ひとつの到達点として楽しみにしています。
公演情報
- 日時・会場: 2026年10月3日(土)18:00開演/10月4日(日)14:00開演、NHKホール(休憩なし)
- 指揮: ファビオ・ルイージ
- ソプラノ: イン・ファン
- メゾ・ソプラノ: タマラ・マムフォード
- 合唱: 新国立劇場合唱団(合唱指揮:冨平恭平)
- 曲目: マーラー:交響曲第2番 ハ短調《復活》(Symphonie Nr. 2 c-Moll、1888–94)約80分
N響公式は、この公演を創立100年を祝い「新たな100年への始まり」を象徴する作品として位置づけています。ルイージは同じ月にサントリーホールで《トスカ》(演奏会形式、N響で初めてのオペラ)も振り、先月はフランツ・シュミットの《7つの封印の書》でした。記念シーズンの秋に、ルイージの得意とする大編成の声楽つき作品が続いています。
このコンビのマーラー
ルイージは15歳のときにジェノヴァで第5番を聴いてマーラーにのめり込んだと語っています(Cleveland Classical、2013年のインタビュー)。N響とのマーラーは次のとおりで、《復活》は6作品目になります。
| 年 | 公演 | 曲 |
|---|---|---|
| 2017年4月 | 第1858回定期A(NHKホール) | 第1番《巨人》 |
| 2023年12月 | 第2000回定期A(NHKホール) | 第8番(ファン投票で選曲) |
| 2025年4〜5月 | 第2036回定期A/第2037回定期B、欧州公演(アントワープ、アムステルダム、ウィーン、ドレスデン) | 第3番、第4番 |
| 2026年4月 | 第2061回定期B(サントリーホール)ほか | 第5番(ソニーからライヴ SACD、2026年9月発売) |
| 2026年10月 | 100年記念特別演奏会(NHKホール) | 第2番《復活》 |
| 2027年1月(予定) | 第2080回定期A | 第9番 |
2023年のぶらあぼのインタビューでルイージ自身が「2017年の第1番が N響と演奏した唯一のマーラー」と話していて、首席指揮者になってからのマーラーは第8番が最初です。そこから、欧州ツアーでは2025年のアムステルダム・マーラー・フェスティバルに招かれ、コンセルトヘボウで第3番と第4番を演奏しました。マーラーゆかりの舞台に N響を連れていったのは、首席指揮者としての大きな仕事だったと思います。
これまでの評
2017年 第1番
藤原聡(ウェブ批評誌 Mercure des Arts)は、最近聴いたこの曲の演奏の中で最も強烈で「ファナティック」、振幅の激しい名演と書き、それでいて野放図ではなく響きは計算されていたと評しています。Eno の音楽日記(個人ブログ)も「本気度満点の演奏」と結んでいました。
2023年 第8番
宮嶋極(毎日クラシックナビ)は、ルイージと N響の「気迫、気合は凄まじい」ものだったとし、フレーズの隅々まで指揮者の意思が行き届き、大音量でも響きが濁らなかったこと、オペラ指揮者としての声楽の捌きを評価しています。長谷川京介(音楽評論家、個人ブログ)は、NHKホールで聴いてきたシノーポリ、デュトワ、パーヴォ・ヤルヴィの第8番と比べて「一番まとまりの良い演奏」と書きました。Eno の音楽日記は、2016年のパーヴォ・ヤルヴィの演奏と比べて音に優しさがあったと書いています。一方、「クラシック音楽徒然雑記帳」(個人ブログ)は、指揮姿の熱と聴こえてくる音楽の熱量に「少しずれ」を感じたとし、第1部はやや力押しで単調に感じたが、第2部はオペラ的でよかったとしていました。
2025年 第3番・第4番(東京と欧州)
第3番の東京公演について、宮嶋極(毎日クラシックナビ)は「勢いで押す場面は皆無」で、細部までルイージの意図が具現化され、最強音でもバランスが崩れず、終楽章のコーダでも金管を突出させなかったと評価しています。Eno の音楽日記は終楽章を弛緩なく歌い上げたと称え、ルイージを個性派ではなく「正攻法の指揮」の人と総括しました。長谷川京介は、精妙なアンサンブルの点では言うことはないとしながら、マーラーの本質である「感情の震え、魂の吐露」はあまり感じられなかったと書き、髪を振り乱す熱のこもった指揮とは裏腹に、演奏は「冷静なコントロール下」にあるようだったと見ています。個人ブログ「コンセルトヘボウ主義」は、弦と木管の厚みと美しさを認めつつ、全体に硬さとぎこちなさが残り、その理由を「ルイージが手綱締めすぎ」、金管が「窮屈そうに吹いていた」と見ていました。この日は金管のミスが目立ったことを複数の評が書いていて、宮嶋はその原因を、前半の弱音部で細かなニュアンスを出すために唇を長く酷使したことに求めています。同じ現象を、指揮の締めつけと見るか、弱音への要求の高さの代償と見るかで、読みが分かれた形です。
第4番は、山田治生(毎日クラシックナビ)が「停滞しない快適なテンポ」と弱音の表現、終盤の美しさを評価し、長谷川京介は第3番よりルイージに合っていて、イタリアの「絹織物のような感触」があったと書いています(全体のまとまりはまだ一歩、という留保つき)。一方、個人ブログ「クラシック・ジャーニー」は、室内楽的に丁寧な音を紡いでいると認めたうえで、ダイナミクスの幅の小ささとテンポの切り替えのぎこちなさで心が揺さぶられず、深い洞察に欠けて表層的に聴こえた、と厳しく書いていました。
アムステルダムでは評が分かれました。Classical Voice North America(ローレンス・B・ジョンソン)は第4番を、軽やかさと控えめな表現を優雅に掌中にした「まったく魅力的」な演奏と称える一方、第3番には全体の統率の不足を見ています。N響が公式サイトに抄訳を載せている現地評では、de Volkskrant のデニス・バイラム(2025年5月12日)が第3番を聴いて「なんという色彩、なんという規律、なんという力強さ」と驚きを書き、同紙のメルレイン・ケルクホフ(5月13日)は第4番について、テンポを多彩に変える選択にオーケストラが滑らかに応え、楽章を追うごとに良くなったとしたうえで、第3楽章を一層ずつ積み上げた見事さを称え、「弦楽器奏者たちが普通に『美しく』演奏することを許されると、とても美しく響く」と書いています。ウェブ誌 De Nieuwe Muze のペーター・シュラミルヒは第4番について、第3楽章を「驚くほど静謐」で室内楽的な美しさと絶賛する一方、ソロの色の薄さと、第1楽章の歓呼の結びが事務的で「作り込みすぎ」て自然さに欠けたことを挙げ、客席から短いブーイングが出たことも記録しています。長所と短所を具体的に並べた評で、何が良く何が足りなかったかがよく分かります。
2026年 第5番
深瀬満(毎日クラシックナビ)は「シャープな造形」と、第4・第5楽章でルイージの指揮に N響が「強靭な歌謡性」で即応した一体感を挙げています。横浜公演を聴いた東条碩夫(音楽評論家、個人ブログ)は、陰翳の少ない屈託のない演奏で、後半2楽章に「ルイージの開放的な感覚美」が最もよく出ていたと書きました。一方で長谷川京介は、力演ではあるが感情より切り立った響きが前に出て醒めた視線を感じ、アダージェットも端正で客観的だったとして、客席の熱狂の中に自分は入れず「隔靴掻痒」を覚えたと書いています。
ライヴ SACD については、林昌英(ぶらあぼ2026年10月号)が「手綱を締めつつ熱くドライブ」と書き、内藤眞帆(音楽学、レコード芸術ONLINE)は冒頭2楽章の端正な運びと、終結部まで一貫する「造形の明晰さ」を挙げています。
評から見えるルイージのマーラー
評を並べてまず目につくのは、多くの評が認めている精度と構築です(第3番の統率や金管には反対の評価もあります)。大編成が鳴り切っても響きが濁らない、声部が埋もれない、最強音でもバランスが崩れない。第8番と第3番では、合唱と独唱を含む巨大な編成を、オペラの現場で鍛えた手つきで捌いていることも評価されています。マーラーの思考は明確なので構成と構造をはっきり示したい、という趣旨の本人の発言(ぶらあぼ2026年3月号、山崎浩太郎の要約)とも、よく符合します。
もうひとつは、取り組みの真剣さです。「ファナティック」「本気度満点」「気迫、気合は凄まじい」という言葉が、2017年から2023年まで繰り返し出てきます。欧州ツアーで N響とコンセルトヘボウの舞台に立ち、第5番をライヴ録音で残し、100年記念には自分から《復活》を提案する。首席指揮者として、このオーケストラとマーラーを一緒に育てようとしている姿勢が、公演の並びからそのまま見えます。N響をこれほど大事に扱ってくれる指揮者がいることを、ありがたく思います。
評が分かれるのは、その先です。熱のこもった身振りと、聴こえてくる音の冷静さの対比を、徒然雑記帳と長谷川京介が別々に書いていて、それを「コントロールの確かさ」と受け取るか、「感情の震えの少なさ」と受け取るかで評価が割れています。長谷川は第3番でも第5番でも同じ方向の留保を書いていて、精度は認めたうえで、その先の心の揺れを求める一貫した批評です。テンポの切り替えのぎこちなさ(クラシック・ジャーニー)や、結びの作り込みすぎ(シュラミルヒ)という指摘も、細部まで設計された演奏が、ときに音楽の自然な流れより設計の方を先に聴かせてしまう、という同じ一点を別の角度から言っているように読めます。「手綱締めすぎ」「窮屈そう」(コンセルトヘボウ主義)という見方もあれば、同じ第3番に「勢いで押す場面は皆無」(宮嶋)と、統御を美点として見る評もあります。2016年にサイトウ・キネン・オーケストラで《復活》を振ったときには、東条碩夫が「冷徹で明晰な音の構築」「醒めた理性」を感じさせる演奏で、そこが感動の度合いの分かれ目になるかもしれない、と書いていました。10年前の《復活》への評が、N響とのマーラーの評の分かれ方をほぼそのまま先取りしているのは興味深いところです。
その一方で、はっきり「開放」を称えた評もあります。東条碩夫は第5番の後半2楽章に「ルイージの開放的な感覚美」を聴き、ケルクホフは第4番の弦を、美しく弾くことを許されたときに美しく響いたと書き、シュラミルヒも同じ第4番の第3楽章を「驚くほど静謐」と絶賛しました。これらを並べると、精度の高い構築の上で音楽がふっと開放される場面に、このコンビのマーラーのいちばん良いところが出ているのではないか、と私は考えています。評者たちがそう言っているわけではなく、評を読んだうえでの私の仮説です。
《復活》で期待したいこと
- 楽曲データ: 5楽章、ハ短調→変ホ長調。第4楽章「原光」はアルト独唱、第5楽章後半にソプラノ・アルト独唱と混声合唱、オルガン。舞台裏(in der Ferne)に金管と打楽器
- 詳細は楽曲ガイド(1970年のラッツ校訂版で小節を実測。区分・小節番号はガイドに拠る)
《復活》は、ルイージの持ち味がそのまま生きる曲だと思います。第1楽章の葬礼は、鋭いリズムと構築で押し出す音楽で、終楽章後半は、大編成と合唱と独唱をひとつに束ねる仕事です。そして上で考えた「歌が開く瞬間」が、この曲では終楽章の合唱の入りという形で、最初から書き込まれています。
第1楽章 Allegro maestoso
冒頭、弦のトレモロの下から低弦が荒々しく駆け上がります。2016年のサイトウ・キネンで東条が「切り込むような鋭い力」と書いた入りを、N響の低弦でどう鳴らすか。展開部が212小節と全体の半分近くを占め、その中の m.304 では弦に「弓で弦を打つ」(mit dem Bogen geschlagen)奏法が指示されています。木部で叩く col legno とは別の打弦で、目でも確かめられる場所です(ただしガイドが見たのは1970年版で、今回の使用版は分かりません。見た目が違っても指示と違うとは言い切れません)。
楽章の終わりに総譜は「ここで少なくとも5分の休止をとる」と刷っています。演奏会でこの指示どおりに5分待つことは多くないようで、ルイージがこの楽章の後に独唱者の入場を置くのか、どれだけ間を取るのかは、当日の小さな楽しみです。
第2〜第4楽章
第2楽章はゆったりした3拍子のレントラー。第1楽章の葬礼のあと、急に昔の思い出の中へ入るような穏やかさで、第4番で「絹織物のような感触」と評された弦の歌が、ここでいちばん生きそうです。第3楽章は歌曲《魚に説教するパドヴァの聖アントニウス》の器楽版で、途中(m.465)で全管弦楽が fff の叫びに達します。第3楽章から第5楽章までは切れ目なく続けるよう指示されていて、第4楽章「原光」はアルトが静かに「O Röschen roth!」と歌い出す、4分ほどの短い祈りです。
第5楽章
- 舞台裏の金管と打楽器が3つの局面で出てきます(m.43〜、m.343〜、m.448〜)。NHKホールの広い空間で「遠さ」をどう作るか。バンダの配置は、第3番で東京とアムステルダムを経験したこのコンビにとって、腕の見せどころのはずです。
- 静まり返ったあと、遠いフルートの鳥の声と舞台裏のホルンが重なる場面から、m.472 で合唱が無伴奏の ppp で「Aufersteh’n」と歌い出します。 ソプラノ独唱は「少しも目立たずに」合唱に混ざるよう指示されています。第8番で声楽の捌きを称えられた指揮者と、同じ新国立劇場合唱団の組み合わせなので、この入りの静けさには大きな期待を持っています。
- m.712 の Pesante でオルガンが全ストップで加わり、合唱と独唱が変ホ長調で「よみがえる」と歌い上げます。
独唱・合唱
イン・ファンは2025年の欧州ツアーで第4番のソプラノを4都市で歌っていて、このコンビのマーラーを知る歌手です。タマラ・マムフォードは今回が N響初共演ですが、ルイージとはメトロポリタン歌劇場とダラス響で共演歴があります(N響の公演ページ)。合唱は第8番と同じ新国立劇場合唱団です。
録音メモ
楽曲ガイドの参照録音はクレンペラー/フィルハーモニア管(EMI、1961–62年)です。このコンビのマーラーは、第5番のライヴ SACD(ソニー、2026年4月のサントリーホール公演)で最新の姿が聴けます。
今回確かめること
m.472 の合唱の入りで、音楽が「統御」から「開放」へ変わる瞬間を、ホールで感じ取れるかどうか。評を読んで立てた自分の仮説を、実演で確かめる場面です。
出典
- 公演:N響 公演ページ/ルイージのインタビュー:ぶらあぼ 2026年8月号(取材・文:広瀬大介)
- 2017年 第1番:藤原聡(Mercure des Arts、2017年5月13日、4月の定期A)
- 2023年 第8番:宮嶋極(毎日クラシックナビ、2023年12月27日、12月16日公演)/長谷川京介「ベイのコンサート日記」(2023年12月17日)/「クラシック音楽徒然雑記帳」(12月17日公演)/Eno の音楽日記(12月17日公演)
- 2025年 第3番(東京):宮嶋極(毎日クラシックナビ、2025年4月27日、4月26日公演)/長谷川京介(4月26日公演)/Eno の音楽日記(4月27日公演)/「コンセルトヘボウ主義」(4月26日公演)
- 2025年 第4番(東京):山田治生(毎日クラシックナビ、2025年5月2日、5月1日公演)/長谷川京介(5月1日公演)/「クラシック・ジャーニー」(5月1日公演)
- 2025年 アムステルダム:N響「ヨーロッパ公演2025 現地演奏会評」(de Volkskrant のバイラム、ケルクホフほか)/Lawrence B. Johnson(Classical Voice North America、2025年5月23日)/Peter Schlamilch(De Nieuwe Muze、2025年5月14日)
- 2026年 第5番:深瀬満(毎日クラシックナビ、2026年4月17日、4月16日公演)/長谷川京介(4月17日公演)/東条碩夫「コンサート日記」(4月19日横浜公演)/SACD 評:林昌英(ぶらあぼ 2026年10月号)、内藤眞帆(レコード芸術ONLINE、2026年9月11日)
- 2016年 サイトウ・キネン《復活》:東条碩夫「コンサート日記」(2016年8月21日公演)