カラビッツ×都響——ブラームス/サーリアホ《地球の影》日本初演/プロコフィエフ4番初版の予習

ブラームスのピアノ協奏曲第1番は、若い作曲家が師シューマンの自殺未遂の衝撃をそのまま音に叩きつけた作品。サーリアホの《地球の影》は、オルガンと管弦楽を競わせず二つの響きの生態系として並置する作品で、今夜が日本初演。プロコフィエフの交響曲第4番は、バレエ《放蕩息子》の素材から生まれた1930年の初版——のちに大幅拡張された1947年改訂版とはまったく別物の、軽やかで抒情的な顔を見せます。

カラビッツはボーンマス交響楽団とプロコフィエフの交響曲全集を録音し、第4番では初版を選んだ指揮者。ラトリーは《地球の影》の献呈的パートナーにして世界初演者本人です。また、久末航は2025年エリザベート王妃国際コンクール第2位の勢いで、自分より年長の指揮者・オルガニストに並んでドイツ協奏曲の最重量級に挑む——そういう夜です。


概要

公演情報

  • 公演名: 東京都交響楽団 第1043回定期演奏会Bシリーズ
  • 日時: 2026年4月24日(金)19:00 開演
  • 会場: サントリーホール 大ホール
  • 指揮: キリル・カラビッツ (Kirill Karabits)
  • ピアノ: 久末航 (Wataru Hisamatsu)
  • オルガン: オリヴィエ・ラトリー (Olivier Latry)
  • 管弦楽: 東京都交響楽団

曲目

  • ヨハネス・ブラームス:ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 op.15

    • Johannes Brahms: Piano Concerto No. 1 in D minor, Op. 15
    • 作曲年: 1854〜1858年
    • 初演: 1859年1月22日、ハノーファー(作曲者独奏、ヨーゼフ・ヨアヒム指揮)
    • 演奏時間: 約50分
  • カイヤ・サーリアホ:地球の影(2013)【日本初演】

    • Kaija Saariaho: Maan varjot (Earth’s Shadows)
    • 作曲年: 2013年
    • 委嘱: モントリオール交響楽団、リヨン国立管弦楽団、サウスバンク・センター、フィルハーモニア管弦楽団の共同委嘱
    • 世界初演: 2014年5月29日、モントリオール(オリヴィエ・ラトリー独奏、ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団)
    • 演奏時間: 約15分
    • 楽器編成: 独奏オルガン/フルート2(第2はアルト・フルート持ち替え)・ピッコロ/オーボエ2・コーラングレ/クラリネット2・変ホクラリネット/ファゴット2/ホルン4・トランペット2・トロンボーン3・テューバ/ティンパニ・打楽器3・ハープ・弦五部
  • セルゲイ・プロコフィエフ:交響曲 第4番 ハ長調 op.47(1930年初版)

    • Sergei Prokofiev: Symphony No. 4 in C major, Op. 47 (original 1930 version)
    • 作曲年: 1929〜1930年
    • 初演: 1930年11月14日、ボストン(セルゲイ・クーセヴィツキー指揮、ボストン交響楽団創立50周年記念委嘱作)
    • 演奏時間: 約25分

演奏家について

キリル・カラビッツ(指揮)

1976年キーウ生まれ。父は作曲家・指揮者のイヴァン・カラビッツ。キーウ音楽院で学んだのちウィーン国立音楽大学で指揮を修め、ヘルムート・リリング、ペーター・ギュルケらに師事しています。2009年から2024年まで15年にわたってイギリスのボーンマス交響楽団(BSO)の首席指揮者を務め、現在は同楽団の桂冠指揮者。ワイマール国立劇場/シュターツカペレ・ワイマールのGMD(2016〜2019)、OBE(大英帝国勲章オフィサー)受勲も経ています。

今回のプログラムとの決定的な関連

カラビッツは2013〜2015年にかけてBSOとプロコフィエフの交響曲全集をOnyxレーベルに録音しており、第4番では初版(op.47)を選んで収録しました(ONYX4147、第5番とカップリング)。つまり今回のプロコフィエフ4番初版というプログラムは、この指揮者の録音済みレパートリーの日本での再演にあたります。カラビッツのプロコフィエフはガーディアン紙などで「影と火花を的確に捉える」と評されており、粗暴な爆発に頼らず、書法の線と骨格を見せる方向性が特色です。

東方スラヴ圏のレパートリーの使徒としても知られ、ハチャトゥリアン(Onyx)、シチェドリン(Naxos)、旧ソ連圏の忘れられた作品を集めた「Voices from the East」(Chandos)などを録音。


久末航(ピアノ)

1994年、滋賀県大津市生まれ。フライブルク音楽大学、パリ国立高等音楽院、ベルリン芸術大学マイスターコースをすべて最優秀で修了。現在はベルリンを拠点としています。

2017年ミュンヘン国際コンクール第3位、2024年ゲザ・アンダ国際コンクールでベートーヴェン賞およびリスト=バルトーク賞受賞、そして2025年エリザベート王妃国際コンクール第2位——これは日本人最高位で、同年に日本製鉄音楽賞フレッシュアーティスト賞も受賞しています。バイエルン放送交響楽団、ブリュッセル・フィル、そして都響との共演歴もあり、2021年のデビュー盤「ザ・リサイタル」はレコード芸術誌で特選盤に選ばれ、2025年にはGENUINレーベルからパスカル・デュサパン作品集をリリースしました。

なぜこの人がブラームス1番か

ブラームス1番はピアニストにとって「若さで突破できない曲」の代表格です。技巧的な輝きで聴かせるタイプの協奏曲ではなく、独奏が長時間沈黙を引き受けたり、オーケストラの巨大な流れに巻き込まれながら耐えたりする場面が多く、弾き切ることよりも持ちこたえることが問われる曲だからです。ドイツで長く研鑽を積み、ブレンデル以後の世代のドイツ語圏のピアニズムを内側から受け継いできた久末にとって、これは「自分の中身を出す」というより「自分の中身が試される」勝負曲だと想像します。エリザベート王妃コンクールで選ばれた側の勢いではなく、選ばれてから何ができるかを聴かせる場になるはずです。


オリヴィエ・ラトリー(オルガン)

1962年、フランスのブーローニュ=シュル=メール生まれ。ガストン・リテーズに師事し、**1985年、23歳でパリ・ノートルダム大聖堂の正オルガニスト(titulaire)**に就任。当時任命された4人の正オルガニストのうち、現在も在職する唯一の人物です。パリ国立高等音楽院オルガン科教授(1995年〜)。2024年12月7日、火災からの再開式典で再建されたノートルダム大聖堂の大オルガンを最初に弾いた人物でもあります。

《地球の影》との動かぬ関係

今回の最大のトピックは、ラトリーが単に「サーリアホに詳しいフランスの名オルガニスト」として来日するのではなく、《地球の影》の世界初演者であり、献呈的パートナーだという事実です。2014年5月29日のモントリオール世界初演(ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団)、同年6月のリヨン・フランス初演、そして同年6月26日のロンドン・サウスバンクでのイギリス初演(エサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団)——すべてラトリーが独奏を務めています。さらに2024年にはフランス放送フィル、ハンヌ・リントゥ指揮との録音(Radio France FRF072)がリリースされ、2024年グラモフォン誌「コンテンポラリー・アワード」を受賞。つまり**《地球の影》という作品の演奏史は、ほぼそのままラトリーの演奏史**です。

サーリアホ自身は、この曲について「オルガンと管弦楽の競演ではなく、二つの礼節ある人格が陽の当たる場所を争わず共存する伴侶関係を作りたかった」「デシベルの決闘を作りたくなかった」と語っています。その構想を12年前から肌で知っているオルガニストの演奏を、日本初演として聴けるということです。


プログラムの企画意図を読む

三人の作曲家を「音楽の語法」で並べる

このプログラムは、一見すると時代もスタイルもバラバラに見えます。19世紀ロマン派の重厚な協奏曲、21世紀のフィンランド女性作曲家の色彩作品、20世紀前半ロシアのネオクラシシズム——。でも「作曲家が感情をどう音にするか」という語法のレイヤーで並べると、これが周到に設計されていることが見えてきます。

  • ブラームスは、感情を**「重さ」**として引き受け、崩れずに形にする(耐える精神)。
  • サーリアホは、感情を**「知覚」**に変換し、音色と空間を通して触れさせる(感じる装置)。
  • プロコフィエフは、感情を**「運動と輪郭」**に変換し、切り替えと推進で刻む(立てる意志)。

感情は曲の中に「入って」いるのではなく、音響が感情を作り出す——その作り方こそが作曲家の顔だ、という視点でこの三曲を連続して聴くと、休憩を挟んで異なる三つの「音の作法」に触れ続けることになります。

独奏者・オーケストラの関係が三段階で変化する

もう一つ、編成の観点からもこのプログラムは読みほぐせます。

  • ブラームス(ピアノと管弦楽)——独奏と合奏が同じ地面を踏んで闘う。「協奏曲なのに独奏が主役ではない」設計。
  • サーリアホ(オルガンと管弦楽)——独奏と合奏が対等に共存する。競わず、互いを侵食しない。
  • プロコフィエフ(交響曲)——独奏者が不在。オーケストラという集団の運動そのものが主題になる。

独奏者と集団の関係が「闘う/共存する/そもそも独奏がない」と段階的にほどけていくのは、このプログラムの隠れた骨格ではないでしょうか。ブラームスで苦闘を見たあと、サーリアホでその苦闘の枠組み自体が溶け、プロコフィエフで集団の意志そのものが立ち上がる——とまとめると、少し図式的すぎるかもしれませんが、ひとつのものの見方ではあります。

独奏者本人の「重み」の配分

独奏者側の配役も、意図的にバランスが取られているように見えます。ブラームスでは若い久末が重量級の協奏曲に体を張り、サーリアホでは《地球の影》という作品の運命そのものを背負ってきた巨匠ラトリーが登場する。前半だけで「これから伸びる若手」と「すでに作品史そのものである巨匠」が並列されることになります。この対比そのものが、夜の前半の見どころです。


ブラームス《ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 op.15》——「勝つ」より「耐える」音楽

作品の背景——血に濡れたD音

1854年2月27日、ロベルト・シューマンはライン川に投身自殺を図り、引き上げられた後エンデニヒの精神病院に送られます。その報を受けて駆けつけた20歳のブラームスは、妊娠中のクララを支えるためにデュッセルドルフに留まりました。この曲の冒頭、ティンパニ・ホルン・低弦がD音を重苦しく叩き続ける中で、ヴァイオリンとチェロが変ロ長調の旋律を「刺すようなアクセントと二重トリル」で叩きつける——その激烈さは、友人たちの証言によればシューマンの投身未遂への直接的な音楽的反応です。

作品の生まれ方そのものも苦闘に満ちています。1854年3月に2台ピアノのためのソナタとして着手され、同年7月に4楽章の交響曲として構想し直されたものの、ブラームスは管弦楽化の手応えを得られず、1855年2月にふたたびピアノ協奏曲として再着想。ヨアヒムと20通を超える書簡で改稿を重ね、1857〜58年にようやく管弦楽化が完成。交響曲になり損ねた音楽がピアノを伴って歩き出した——この生い立ちが、「協奏曲なのにピアノが主役に見えない」という独特の設計を決定づけています。

1859年1月22日のハノーファー初演(作曲者独奏、ヨアヒム指揮)は冷淡な反応、5日後のライプツィヒではブーイングの嵐。批評は「独奏が目立たず、交響曲にピアノ助奏を付けた(symphony with piano obbligato)ようだ」と揶揄しました。でもこれは誤解というより、むしろ本作の核心を正しく言い当てています。

この曲のどこが面白いか——「独奏より地面」

ピアノ協奏曲なのに、ピアノの派手さで聴かせる音楽ではありません。むしろピアノが何かを語るとき、オーケストラという巨大な地面がすでに語り終えている——独奏とオーケストラが同じ地平で主題を共有し、長時間かけて受け渡し合う設計です。「耐える精神」「重さ・抵抗・忍耐のリアリティ」。

第1楽章の最初の4分近くは独奏が一音も鳴らないこともポイントです。独奏ピアノが登場するのは第91小節あたりですが、その登場の仕方が驚くほど控えめ——冒頭の暴力とは対極の、ためらいがちな、つぶやくような、夜想曲風のpp新主題で入ります。技巧で前に出るのではなく、巨大な流れに巻き込まれながら自分の言葉を探す立場に、この曲のピアノは立っています。

楽章別構造

楽章 テンポ指示 形式 主調 演奏時間(目安) 核心的な特徴
第1楽章 Maestoso ソナタ形式(管弦楽序奏付き) ニ短調 約22〜25分 第1主題が変ロ長調でD音の上に侵入するという特異な開始。ピアノは第91小節付近にpp・夜想曲風の新主題で登場。提示部第2主題はヘ長調
第2楽章 Adagio 三部形式(A–B–A’) 変ロ長調 約12〜14分 調性が第1楽章第1主題の調性(変ロ長調)と一致——苦闘から祈りへの調性的な「回帰」。自筆譜に「Benedictus qui venit in nomine Domini」の書き込みあり
第3楽章 Rondo: Allegro non troppo ロンドソナタ形式 ニ短調 → ニ長調(終結) 約10〜13分 ピアノ先行でバロック的舞曲主題を提示。中間部に管弦楽フガート。終結でMaestosoに転じ、ニ長調で閉じる

楽譜上の主要フレーズ

  • 第1楽章冒頭動機(第1〜):D音ペダルの上で上声がB♭を鳴らし、Dと半音+完全4度上のBフラットがぶつかります。そこに長いトリル→半音階下行→オクターヴの大跳躍→二重トリルというジェスチャーが続き、6/4の重い拍節とシンコペーションが「巨大で原初的な音響」を作る。ティンパニが雷鳴のように割り込みます。旋律というより地震の揺れの記譜に近いものです。
  • ピアノ独奏第1主題(第91小節付近):冒頭の暴力と真逆の、ppのつぶやくような抒情。下降3度を中心とする素朴な旋律が、ためらうように提示されます。この「独奏の登場の仕方」そのものが、この曲の人格です。
  • 第2楽章Adagio主題(冒頭):弦楽器+ファゴットによる下降音型のコラール。ブラームスは自筆譜のこの5小節下に「Benedictus, qui venit, in nomine Domini!(主の御名によりて来たる者は祝福されん)」と書き込んでいます。クララ・シューマンは「全体に教会的な性格、エレイソンのよう」と評しました。ブラームスは亡きシューマンを戯れに「Mynheer Domine」と呼んでいたので、この「ベネディクトゥス」はシューマンへの鎮魂と、遺されたクララの肖像が重なる二重の献辞になっています。

  • 第3楽章ロンド主題:ピアノ右手が提示する、跳躍と付点リズムのバロック風舞曲主題。ベートーヴェン協奏曲第3番終楽章の鋳型を借りながら、中間部ではオーケストラのフガートが立ち上がり、ブラームスのバッハ愛が前景化します。

カラビッツ+久末航でどう聴こえそうか

カラビッツは線の通った、騒音で包み込まず構造を見せるタイプの指揮者です。このブラームスで一番気になるのは、冒頭のD音ペダルをどれほどの「重さ」で保持するか。ここがふくよかすぎても軽すぎてもこの曲の「耐える空気」は立ち上がりません。久末航は、最近の若手ピアニストの中でもむやみにペダルで濁さない、骨格の見える音色を持つ奏者です。第91小節の独奏登場で音量ではなく息の深さを差し出せるか——ここに前半全体の第一印象がかかっています。

キキドコロ

第1楽章 Maestoso

  • 冒頭のD音と変ロ長調の衝突(第1小節〜)。ティンパニ・ホルン・低弦が固定するD音の上に、変ロ長調の第1主題が叩きつけられる瞬間——これは単なるフォルティッシモではなく、調性の根そのものにぶつけが入っている状態です。冒頭の数十秒で「この曲は解決しない」という宣言がすでになされます。サントリーホールの天井まで届く重量感でD音が持続するかどうか。都響の低弦セクションとティンパニの一体感に耳を澄ませたい場面です。

  • オーケストラの「語り終わり」を引き取るピアノ独奏の入り(第91小節付近)。約4分の管弦楽序奏の末に、ピアノが独奏を開始します。でもその主題は冒頭の暴力と無関係な新しいテーマで、ためらいがちにppで入ってくる。ここでピアノが「待ってました」と前に出ると、曲の設計が崩れます。久末がどれほど控えめに、しかも存在感を失わずに入れるか。「協奏曲なのに主役が控えめ」という逆説をどこまで実現できるか。

  • 第2主題(ヘ長調)の歌と沈潜。激しい第1主題群の後、ピアノがヘ長調で抒情的な第2主題を差し出します。カデンツァは置かれず、独奏と合奏が主題を分け合いながら進んでいく——「派手な独奏のショーケース」ではなく「独奏と合奏の対話劇」として書かれた楽章の性格が、この区間で最も露わになります。

第2楽章 Adagio

  • 「ベネディクトゥス」の時間。この楽章は盛り上がりの派手さではなく、息の長さ・間の取り方・和音が変わる速度に心情が宿ります。カラビッツがどこまで焦らずテンポを保持できるか。弦楽器の歌がどれほど深く呼吸するか——ここが演奏家の成熟度が最も問われる場所です。「音量ではなく時間を聴く」楽章といえるかもしれません。

  • 木管合奏とピアノの対話。中間部では木管楽器とピアノが交互に主題を受け渡します。「教会的な性格」が観念ではなく合奏の織り物として立ち上がるかどうかが鍵です。

  • 上行トリルの連鎖による再現への回帰。中間部の激情の末、ピアノが上行するトリルを連鎖させながら、冒頭の「ベネディクトゥス」へ戻ってくる瞬間。祈りへの回帰がどれほど自然に感じられるか。

第3楽章 Rondo: Allegro non troppo

  • ピアノ先行のロンド主題。冒頭はオーケストラではなくピアノがロンド主題を提示します。跳躍と付点のバロック的な舞曲主題は、第2楽章の祈りから一気に地上に戻ってくるような切り替え。この「現実への帰還」の手触り。

  • 管弦楽のフガート(C部)。中間部でオーケストラがフガート(フーガ的な対位法)を組み立てる場面。ブラームスがバッハから学んだ対位法が、若い手でまだ少し直接的に、しかし確信に満ちて響く瞬間です。都響の内声が聴こえるかどうかの試金石。

  • ニ長調Maestosoの終結。最終部、調性がニ短調からニ長調へ転じ、Maestosoのテンポで華やかに閉じます。「祝勝」ではなく「耐え抜いた後の体温」——軽薄にならないまま、それでも光が差す。ここがテンションを持って笑顔にならずに終われるかどうかが、この演奏全体の性格を決めます。


サーリアホ《地球の影》(2013)【日本初演】——「意味」より「知覚」を研ぎ澄ます音楽

作品の背景——父の思い出、デュティユーへの追悼、そして自らへの墓碑

《地球の影》は2013年、モントリオール交響楽団、リヨン国立管弦楽団、サウスバンク・センター(ロンドン)、フィルハーモニア管弦楽団の4団体による共同委嘱作として作曲されました。世界初演は翌2014年5月29日、モントリオールでオリヴィエ・ラトリー独奏、ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団によって行われています。

タイトル “Maan varjot” はフィンランド語で「地の影たち/地球の影(複数形)」を意味します。典拠はパーシー・ビッシュ・シェリーのキーツ追悼詩『アドネイアス』(1821) の有名な一節——

The One remains, the many change and pass;
Heaven’s light forever shines, Earth’s shadows fly.
(一なるものは残り、多なるものは変わり去る。天の光は永遠に輝き、地の影は飛び去る)

複数形の「影たち」には、地上の儚いものたち、過ぎ去っていくものたちが込められています。サーリアホはこの作品を父の思い出に捧げ、またアンリ・デュティユー(2013年5月に逝去)への追悼の意味も重ねたと語っています。そして今、2023年6月に亡くなったサーリアホ自身への追悼としての響きも、この日本初演は抱え込むことになります。

この曲のどこが面白いか——「感情」ではなく「設計」

サーリアホは作曲にあたって「これはオルガン協奏曲ではない」と明言しています。目立つ独奏オルガン・パートを持つ作品ではあるが、作曲家が作りたかったのは**「二つの強いが礼節をわきまえた人格が、陽の当たる場所を争わず共存する伴侶関係」**。彼女はさらにこう述べています——「オルガンは管弦楽の上に立つために戦う必要はない。いつでも簡単にそうできる。だが私はデシベルの決闘を作りたくなかった」。

「呼吸するもの(オーケストラ)と呼吸しないもの(オルガン)の対置、光と影、永続と移ろいの共存」——は、この作曲家の言葉と完全に裏付け合っています。この曲を「何を言っているのか」と問いながら聴くより、**「何を感じさせる設計になっているのか」**と問いながら聴くほうが、作曲家の中身に近づけるはずです。

楽曲構造(3楽章、約15分)

  • 第1楽章 Misterioso, ma intenso(神秘的に、しかし強く/“Shadows Fly” とも呼ばれる) オルガンの明滅するアルペジオ音型で開始。バスドラム、ティンパニ、弓奏ヴィブラフォン(ヴィブラフォンをバチで叩くのではなく弓で擦る奏法)がこの音型にこだまし、**グリッサンドで彩られた分奏弦(divisi)**の繊細な殻がそれを包み込みます。ファゴット、フルート、トランペットが加わり、親密な身振りから広大な響きへ展開したのち、冒頭の和声に回帰。物体の表面を光が撫でるような、粒子状の響きで始まる楽章です。

  • 第2楽章 Lento calmo“Dome”) 瞑想的な中心楽章。独奏オルガンと管弦楽の色彩の漸進的変容による対話。サーリアホの十八番である「ほとんど気づかないうちに響きが変わっていく」書法が最も濃密に現れる楽章です。デュティユーへの追悼の念がこの楽章で最も強く響くとされます。

  • 第3楽章 Flowers, Ruins, Statues(花、廃墟、彫像たち) 壮麗なヴィルトゥオーゾ的トッカータ。高速の和音進行とクラスター(音塊)がオルガンの全音域で展開します。最終ページは冒頭楽章へ回帰し、Lento calmoの静寂へ蒸発するように消えていく——最後の音はピッコロで始まりオルガンへシームレスに引き継がれる、これがこの曲の象徴的な終わり方です。

サーリアホが使う「オルガンと管弦楽の区別を消す」技法

この作品の本当の核は、オルガンと管弦楽の音色の境界線が知覚できないほど混ざる瞬間をあちこちに仕掛けてあることです。代表的なのが第3楽章終結部の「ピッコロからオルガンへの受け渡し」——ピッコロが鳴らし始めた音がいつの間にかオルガンに置き換わり、息で鳴らす楽器と空気圧で鳴らす楽器の区別が、聴き手の耳の中で消滅します。これは「どちらが勝ったか」ではなく「どちらがどちらかわからなくなる」瞬間の設計です。

一方で、管弦楽は微分音(平均律より細かい音程)やグリッサンドによる柔軟性を持つのに対し、オルガンは平均律の固定された響きを持ちます。この不整合をサーリアホは隠さず、むしろ共存の条件として提示します。「呼吸するもの(微分音の揺らぐ管弦楽)」と「呼吸しないもの(パイプに空気圧がかかれば鳴り、抜ければ止まるだけのオルガン)」の対置がここにはあります。

キキドコロ——3つの聴覚モード

サーリアホの作品は、旋律や主題を記憶しようとすると外れやすい。以下の3つの「聴覚モード」を切り替えながら聴くと、曲の深部に入りやすくなります。

モードA:空間を聴く(オルガン)

  • 冒頭のオルガンが空間を変える瞬間。サントリーホールのオルガンは正面奥壁に鎮座する巨大な楽器です。オルガンの最初の音が入った瞬間、ホールの天井と壁の感覚が変わる——音程ではなく空間が変化する感覚を、身体で拾ってみてください。どこから鳴っているか、天井が高くなった気がするか。

  • 終結部のピッコロ→オルガンの受け渡し。第3楽章の最後、ピッコロが細い糸のような音を鳴らし、その音が途切れないままオルガンの持続音に置き換わる瞬間。息で鳴る楽器と空気圧で鳴る楽器の境界線が知覚の中で消滅する、この作品の最も象徴的な瞬間です。

モードB:表面を聴く(オーケストラの質感)

  • 弓奏ヴィブラフォンの不思議な響き。第1楽章で、ヴィブラフォンを通常のマレットではなく弓で擦る奏法が使われます。金属の板が「歌う」ように鳴り、バスドラムやティンパニとともに、オルガンの持続音に影のような揺れを与えます。

  • divisi弦のグリッサンド。弦楽器が多声部に分かれて微妙に異なる音程をグリッサンドで行き来する場面。美しい/汚いではなく、硬い/柔らかい、透明/濁る、滑る/引っかかるという触覚的な基準で聴くと、サーリアホのサウンドが近づきます。

モードC:時間の伸縮を聴く(ドラマの正体)

  • 第2楽章の「ほとんど気づかないうちに変化する」時間。Lento calmoの中で、色彩が少しずつ変わっていきます。「いつ変わったのか」を特定しようとするのではなく、自分の知覚の中で時間がゆっくり広がっていく感覚を追ってみてください。サーリアホの本領はここにあります。

  • 第3楽章の突然の景色の変化。瞑想的な第2楽章の末に、第3楽章のトッカータが立ち上がります。ここでは時間の密度が一気に圧縮される——一気に景色が変わる経験をしたあと、その景色がまた冒頭の静寂へ蒸発していく構造です。

ラトリーと都響のオルガンの扱いに注目

  • ラトリー本人の音色設計。この作品は作曲時点でラトリーの演奏を聴きながら書かれた部分があるとされます。世界初演者が自ら選ぶストップ(音栓)の組み合わせ、レジストレーションが、どこまでこの12年越しの積み重ねを反映するか。

  • カラビッツが管弦楽をどこまで薄く保てるか。サーリアホの「共存」は、オーケストラ側が大音量で主張してしまえば崩壊します。カラビッツが管弦楽の響きをどれほど透明な織物として保つか。これは指揮者の耳の細やかさが最も出る部分です。


プロコフィエフ《交響曲 第4番 ハ長調 op.47(1930年初版)》——「皮肉」ではなく「骨格の強さ」

二つの版をどう考えるか

プロコフィエフの交響曲第4番には、1930年の初版(op.47)1947年の改訂版(op.112)という、規模も性格も大きく異なる二つのヴァージョンがあります。今回演奏されるのは初版で、これは重要な選択です。

初版 op.47(1930) 改訂版 op.112(1947)
演奏時間 約22〜25分 約37〜45分
編成 中規模 ピアノ・ハープ・小クラ・拡張打楽器を追加
性格 バレエ素材そのままの軽やかさ、抒情性 壮麗・英雄的、社会主義リアリズム寄り
両端楽章 簡潔で推進力重視 大幅に書き直され拡張
録音数 少ない(評論家には支持される) 多い(一般には優勢)

改訂のきっかけは1945〜46年の第5番・第6番の大成功で、プロコフィエフは「あのとき完成していたはずの交響曲を書き直したい」と願い、20年近く前の素材を「練られた交響曲様式」として書き直しました。ところが彼自身は晩年、初版のほうに愛着を持っていたとも伝わります(「素材の豊かさと騒音の不在」が初版の美点だったという発言)。

カラビッツがBSOとの全集で初版を収録したのは、この評論家的・音楽学的な立場——「スケール肥大以前の、30年に書かれたままのプロコフィエフを聴く」——を取ったからでしょう。今夜の都響B定期もその延長線上にあります。

バレエ《放蕩息子》との血縁関係

初版の第4番の最大の特徴は、ディアギレフの委嘱で1928〜29年に書かれたバレエ《放蕩息子》(Le Fils prodigue, 1929年5月21日パリ初演) の素材をほぼそのまま使っていることです。プロコフィエフはバレエと交響曲をほぼ並行して書いており、彼自身がこの二作を**「異母兄弟(half-brother)」**と呼びました。

楽章ごとの対応関係:

  • 第1楽章:場面1「ダンサーたち」の疾走主題と、場面2「略奪」の抒情的副主題
  • 第2楽章:終場「帰還」と、場面2「覚醒と悔恨」
  • 第3楽章:場面1「妖婦(Siren)」の主題をほぼそのまま転用
  • 第4楽章:場面1の諸要素を自由に再構成

プロコフィエフ自身は「バレエでは出来なかった交響的展開を可能にした」と書いており、バレエの素材を単に並べ直したのではなく、交響曲の論理で再構築した作品だという自負がありました。とはいえ、聖書の「放蕩息子」の物語——家を出た息子が放蕩の果てに帰郷し許される——という主題の弧は、この交響曲にも影を落としています。第1楽章の疾走、第3楽章のスケルツォ的な「誘惑」、第2楽章・第4楽章の「帰還」の温かさ。**悲しいから泣く音楽ではなく、「世界はこう動く、だから心もこう揺れる」**というプロコフィエフ的な視点で書かれているのが見えてきます。

楽曲構造

楽章 テンポ指示 形式 主調 演奏時間(目安) バレエ《放蕩息子》対応場面
第1楽章 Andante assai – Allegro eroico ソナタ形式(緩徐導入付き) ハ長調 約7〜8分 場面1「ダンサーたち」(第1主題)・場面2「略奪」(副主題)
第2楽章 Andante tranquillo 三部形式 ハ長調 約7〜8分 終場「帰還」・場面2「覚醒と悔恨」
第3楽章 Moderato, quasi allegretto 三部形式(スケルツォ的) イ短調 約5〜6分 場面1「妖婦(Siren)」——主題をほぼそのまま転用
第4楽章 Allegro risoluto ソナタ形式 ハ長調 約6〜7分 場面1の諸要素を自由に再構成
  • 第1楽章 Andante assai – Allegro eroico(ソナタ形式) 沈思的なAndante assaiの導入——冒頭は世界の輪郭がまだはっきりしない曖昧な始まりです。そこから突然Allegro eroicoへの切り替えが起き、機械的なオスティナートが走り出す。フルートが提示する抒情的な第2主題が、硬い地面の上に束の間の歌として浮かびます。

  • 第2楽章 Andante tranquillo(ハ長調) 本作屈指の美しい緩徐楽章。木管ソロが主題を歌い、弦楽が応答する。バレエの「帰還」場面の素材を使っています。プロコフィエフの冷たい抒情——砂糖菓子にしない歌——が最もよく表れる楽章です。

  • 第3楽章 Moderato, quasi allegretto バレエ《放蕩息子》の「妖婦」主題をほぼそのまま使ったスケルツォ風楽章。コントラファゴットの低い諧謔が特徴的で、軽妙さの裏に皮肉が走ります。

  • 第4楽章 Allegro risoluto(ソナタ形式) 弦のピッツィカート(爪弾き)で始まるトッカータ風主題と、抒情主題が併置されます。ピアノを追加した改訂版と違って、ハ長調の響きが「意志の推進」だけで立ち上がるのが初版の特徴。

この曲のどこを聴くか——「プロコフィエフ語」の辞書

プロコフィエフの中身は「ロマン的に溺れる」ことより「形を立てる意志」にあります。それを聴くための三つのポイント:

  • リズム=人格:プロコフィエフではメロディよりリズムの硬さ・鋭さで性格が決まります。まず「歩き方」を聴く——重い足取りか、跳ねるか、機械か、人間か。

  • 切り替え=感情の表出:急に表情が変わるのがこの作曲家の本質。変わった瞬間に「なぜ?」と問うのではなく、変わること自体が言葉だと思うと腑に落ちます。

  • 叙情は「温度が低い」まま出る:歌う場面が来ても、砂糖菓子にはしない。その抑制された歌が、逆に胸に刺さることがあります。

キキドコロ

第1楽章

  • 曖昧な始まりから疾走への切り替え。Andante assaiの導入は、輪郭のはっきりしない影のような音楽です。そこからAllegro eroicoに切り替わる瞬間——「世界の照明が点く」瞬間を待ってみてください。この切り替えの鋭さが第1楽章の印象を決めます。

  • フルートの抒情的第2主題。機械的な推進の中で、フルートが束の間の歌を差し出します。これは「救い」ではなく、「こういう歌もあるよ」という提示——プロコフィエフが感情を抑えた温度のまま出す典型。

  • ソナタ形式としての骨格。バレエ素材の転用作品でありながら、ちゃんとソナタ形式として成立している楽章です。カラビッツが劇的効果に頼らず、展開部・再現部の輪郭をどう見せるか。

第2楽章

  • 木管ソロの「戻りたい場所」の感じ。この楽章でいちばん「人間が見える」のは、美しい旋律そのものではなく、戻りたい場所がある感じです。バレエの「帰還」場面の素材であることを知った上で聴くと、この楽章の温度の正体が見えてきます。

  • 弦楽と木管の織り合い。プロコフィエフは弦で泣かせない。弦が木管にどう応答するかに、感情の動きが隠れています。

第3楽章

  • コントラファゴットの諧謔。低い音域でゆっくり歩き回るコントラファゴットが、スケルツォの底で皮肉な笑いを漏らします。派手な主題ではありませんが、プロコフィエフの「冷たい笑い」の最たる例です。

  • バレエ「妖婦」由来の誘惑の色。この楽章の主題がバレエの誘惑の場面から来ていると知っていると、音楽の表情がかなり立体的になります。

第4楽章

  • 弦ピッツィカートの疾走。改訂版と違ってピアノがいない分、弦の爪弾きが生々しく響き、止まらない意志として前に進みます。速さより「止まらなさ」を聴く場面です。

  • ハ長調の終結が何として響くか。この曲は最後にハ長調の響きに到達しますが、それが祝勝として響くのか、単にここまで来た事実の確認として響くのかは、演奏次第です。プロコフィエフは「泣かず・笑わず・立つ」作曲家。その立ち方が最後の数小節に凝縮されます。


プログラム全体のつながり——三人の魂を一夜で聴く

改めて、この夜の全体を見渡してみます。

ブラームスは感情を「重さ」として引き受ける。冒頭のD音の重力が全曲を支配し、独奏と合奏が同じ地面を踏んで耐えていく。第2楽章の祈り、第3楽章の光——それは勝利の笑顔ではなく、耐え抜いた後の体温です。

サーリアホは感情を「知覚」に変換する。オルガンと管弦楽が競わず共存し、音色と空間の変化そのものを体験させる。ピッコロからオルガンへの受け渡しが、息で鳴る楽器と空気圧の楽器の境界を消す。ここには語られる物語はなく、感じさせる設計だけがあります。

プロコフィエフは感情を「運動と輪郭」に変換する。バレエ由来の素材を交響的に再構築し、リズムの硬さ・切り替えの鋭さ・推進の意志で世界を描く。歌う場面でも温度は低いまま——だからこそ、その抑制された歌が胸に刺さる。

三つの作曲家が、それぞれ異なる**「感情を音にする作法」で一夜を組み立てる。コンサート当日、曲ごとに違う聴覚のモードに切り替えることが求められるプログラムです。ブラームスでは低音と時間を聴き、サーリアホでは空間と表面の質感を聴き、プロコフィエフではリズムと切り替え**を聴く。

独奏者と集団の関係も、闘う(ブラームス)→ 共存する(サーリアホ)→ そもそも独奏がない(プロコフィエフ)と段階的にほどけていきます。前半で久末航が重量級の協奏曲に体を張り、ラトリーが自身の演奏史そのものである日本初演を運び、後半でカラビッツが自身の録音済みテクストを都響で再演する——それぞれの演奏家にとって、この配役は偶然ではありません。


予習のための推薦録音

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番

録音 特徴
ポリーニ / ベーム / ウィーン・フィル(1979年・DG) 独奏とオーケストラが同じ地面を踏む、という設計を最も高い密度で実現した録音の一つ。「耐える」音楽としての性格が鮮明
ギレリス / ヨッフム / ベルリン・フィル(1972年・DG) 重量感と抒情性のバランスが取れた名盤。冒頭のD音の持続感が圧倒的
ツィメルマン / バーンスタイン / ウィーン・フィル(1983年・DG) 独奏と合奏の対話劇としての性格を最も明晰に聴かせる録音
アラウ / ジュリーニ / フィルハーモニア管(1960年・EMI) 古い録音ながら「交響曲に独奏が助奏する」性格を最もよく体現する演奏

サーリアホ:地球の影

録音 特徴
ラトリー / リントゥ / フランス放送フィル(2024年・Radio France FRF072) 唯一の市販録音。しかも独奏は今回と同じラトリー本人。当日の前にこれを聴いておくと、ラトリーの音色設計を事前に把握できる。2024年グラモフォン「コンテンポラリー・アワード」受賞盤

プロコフィエフ:交響曲第4番

録音 特徴
カラビッツ / ボーンマス交響楽団(2015年・Onyx ONYX4147) **今回の指揮者本人の録音。初版(op.47)を収録。**今夜の演奏の「下書き」を事前に把握できる必聴盤
ゲルギエフ / マリインスキー歌劇場管弦楽団(2006年・Philips) 初版・改訂版両方を含む全集。版による性格の違いを比較聴取できる
小澤征爾 / ベルリン・フィル(1992年・DG) 初版を選んだ名録音。精緻な響きで初版の透明感を引き出す
ネーメ・ヤルヴィ / スコティッシュ・ナショナル管(1988年・Chandos) 初版と改訂版の両方を収録した初期の全集。版選択の歴史的先駆

まとめ

この一夜で、感情を「重さ」に託す作曲家、「知覚」に託す作曲家、「運動」に託す作曲家の三人が、それぞれの固有の語法で並べて聴けます。聴きどころは多いですが、あれもこれもと追うより、曲ごとに聴覚のモードを切り替えることを意識すると、プログラム全体が三色の連作のように見えてくるかもしれません。

特にサーリアホの日本初演——しかも作品の演奏史そのものを背負うラトリーの独奏で、作曲家の没後に追悼として響く——という機会は、そう繰り返し訪れるものではありません。そしてカラビッツが自分の録音済みの初版プロコフィエフを都響で振る、という演奏家本人にとっての必然性の重さも見逃せない。前半で若い久末航が重量級のブラームスに挑むという、三者三様の「配役の意味」を味わう夜になりそうです。