ヴァンスカ×都響シベリウス・シリーズ第2弾——交響曲第1番と第4番の予習

2023年10月、コロナ禍での2度のキャンセルを経てようやく都響の指揮台に立ったオスモ・ヴァンスカは、シベリウスの交響曲第5番・第6番・第7番という後期3曲を一夜で演奏しました。あの公演が「第1弾」だとすれば、今回はその続編にあたる「第2弾」です。

今度は第1番と第4番。シベリウスの交響曲7曲のうち、若さと情熱が爆発する最初の一曲と、沈黙と孤独に向かう最も厳しい一曲を組み合わせたプログラムです。

ヴァンスカを聴くのは、今回がおそらく3度目か4度目になります。過去の記録をとっていないので定かではないのですが、ヴァンスカとラハティ交響楽団の組み合わせが注目を集めていた頃、このコンビでシベリウスを聴いたことがあります。演奏の細かいことなど今となっては何も覚えていないのですが、たゆたう水の揺らぎのような透明感の中に、何とも言えない静かで不思議な、しかし心にしみるような情感を感じて、ああ、これが北欧の音か、これがヴァンスカとラハティの音かと思った記憶だけが残っています。

その後、おそらく5年か10年してから、ミネソタ管弦楽団との組み合わせでも何曲か聴いたことがあります。この時は、確か「ラハティじゃなくてミネソタでも、ヴァンスカはそれっぽい音を出せるんだな、ミネソタの演奏も結構いいな」などと、とても失礼なことを思っていた記憶だけが残っています。あの頃は今にも増して、単に雰囲気だけで曲を聴いていたので、こんな感想になってしまったわけです。もしかしたら、ニューヨーク・フィルとの組み合わせでニールセンを聴いたこともあったかもしれません。

今回、また別のオーケストラでヴァンスカを聴けること、そしてあの頃より自分がどれだけちゃんと聴けるようになっているか——その意味でも、とても楽しみです。


概要

公演情報

  • 公演名: 都響スペシャル
  • 日時: 2026年3月27日(金)19:00 開演
  • 会場: サントリーホール
  • 指揮: オスモ・ヴァンスカ (Osmo Vänskä)
  • 管弦楽: 東京都交響楽団 (Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra)

※ 同一プログラムが3月26日(木)14:00に東京芸術劇場コンサートホールでも演奏されます(第1041回定期演奏会Cシリーズ)。

曲目

  • ジャン・シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 op.39

    • Jean Sibelius: Symphony No. 1 in E minor, Op. 39
    • 作曲年: 1899年(1900年改訂)
    • 演奏時間: 約38〜40分
  • ジャン・シベリウス:交響曲第4番 イ短調 op.63

    • Jean Sibelius: Symphony No. 4 in A minor, Op. 63
    • 作曲年: 1910–1911年
    • 演奏時間: 約35〜37分

演奏家について

オスモ・ヴァンスカ(指揮)

フィンランド出身の指揮者。1953年生まれ。ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団のクラリネット奏者として活動したのち、シベリウス・アカデミーでヨルマ・パヌラに師事して指揮に転向。1982年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝しました。

主要ポスト

ラハティ交響楽団の音楽監督を1988年から約20年間にわたり務め、この間にBISレーベルでシベリウスの交響曲全集を録音。さらにBBCスコティッシュ交響楽団の首席指揮者(1996–2002年)、ミネソタ管弦楽団の音楽監督(2003–2022年)を歴任し、ミネソタ管との間でも2度目のシベリウス交響曲全集を完成させています。

シベリウス指揮者としてのヴァンスカ

ヴァンスカのシベリウスは、「フィンランドの風景を思い起こさせる」と評されることがありますが、その実体は情感に頼った演奏ではありません。透明な音響バランス、明確なリズム感覚、鋭利なフレージングを武器に、シベリウスの音楽の構造を剥き出しにするタイプです。ラハティ響との全集では、峻烈な荒々しさと繊細なピアニシモの振幅が際立ち、交響曲第5番の初稿版(1915年版)を含めた点でも録音史上の意義がありました。

都響との関わり

都響への初登場は2023年10月。シベリウスの後期交響曲3曲(第5番・第6番・第7番)を一夜で演奏するという意欲的なプログラムでした。今回が2度目の共演であり、シベリウス交響曲シリーズの第2弾という位置づけになります。


プログラムの企画意図を読む

シベリウスの交響曲だけで一晩を構成するプログラムは、それ自体がひとつのメッセージです。前回の第5番・第6番・第7番が「到達点から始まる旅」だったとすれば、今回は「出発点と転換点」を並べたプログラムと言えそうです。

第1番と第4番——12年の距離

第1番(1899年)と第4番(1911年)の間には12年の距離があります。たった12年、しかしこの間にシベリウスの音楽は根本的に変わりました。

第1番は34歳の作曲家による、チャイコフスキーやボロディンの影響を色濃く残す、ロマンティックで雄弁な交響曲です。大きな旋律が弧を描き、オーケストラは厚く鳴り、感情が外に向かって開いています。

第4番は46歳のシベリウスが、喉の腫瘍という生命の危機を経て書いた、禁欲的で内向的な音楽です。旋律は断片化し、オーケストラは薄く、感情は内側に閉じていきます。同時代の聴衆にはほとんど理解されなかったとされています。

「足し算」から「引き算」へ

この2曲を続けて聴くことの意味は、シベリウスという作曲家が「足し算の音楽」から「引き算の音楽」へと向かった軌跡を、一夜で体験できることにあるのではないかと感じます。

第1番では、楽器が重なり、旋律が積み上がり、感情が増幅されていきます。第4番では逆に、すべてが削ぎ落とされ、沈黙が意味を持ち始め、音が鳴っていない時間が音楽の一部になります。

ヴァンスカという配役

このプログラムを振るのがヴァンスカであることにも意味がありそうです。シベリウスの交響曲全集を2度にわたり録音してきた指揮者だからこそ、7曲全体の中での第1番と第4番の位置づけを誰よりも深く理解しているはずです。

ヴァンスカの特質——透明な音響設計と構造への眼差し——は、第4番の禁欲的な書法との相性が抜群であることは想像に難くありません。しかし、むしろ気になるのは第1番のほうです。若々しい情熱が溢れるこの曲を、構造派のヴァンスカがどう扱うか。情熱を抑えて知的に処理するのか、それとも構造の骨格を見せながらも情熱を解放するのか。前半の第1番の響かせ方が、後半の第4番への落差を決めることになると感じています。


シベリウス《交響曲第1番 ホ短調 op.39》——若き日の情熱と野心

作品の背景

シベリウスの交響曲第1番は、彼が34歳のときに完成した作品です。1898年にベルリンでベルリオーズの《幻想交響曲》を聴いて強い衝撃を受けたことが直接の契機となり、翌1899年にヘルシンキで作曲者自身の指揮により初演されました。

この時期のシベリウスは、すでに《クレルヴォ交響曲》や交響詩《フィンランディア》で名声を確立していましたが、本格的な「番号付き交響曲」としてはこれが最初の作品です。チャイコフスキー、ボロディン、ブルックナーの影響が随所にうかがわれるロマンティックな作品ですが、同時にシベリウス独自の——北欧の自然を想起させるような——響きの萌芽もすでに感じられます。

この曲のどこが面白いか

標題のない交響曲でありながら、内容はかなり交響詩的です。旋律が大きな弧を描き、オーケストラが全身で歌います。後期のシベリウスを知ってから振り返ると、こんなに雄弁に語る音楽を書いていたのか、と驚かされるほどです。

構成上の面白い仕掛けとして、第1楽章の序奏と第4楽章の序奏に同じ主題が使われており、さらにどちらの楽章もピツィカートで静かに閉じられます。全曲を一つのドラマとして統一しようという若い作曲家の意志が見えるところです。

キキドコロ

  • 冒頭のクラリネット独奏。 ティンパニのトレモロの上で、クラリネットが長い旋律を孤独に歌い始めます。オーケストラの名刺代わりとも言える瞬間で、都響の首席クラリネットの音色がこの夜の第一印象を決めます
  • 第1楽章の弦楽の厚み。 クラリネット独奏に続いて弦楽器群が第1主題を提示する場面。チャイコフスキーを思わせるような重厚で情感豊かな弦の響きが求められます。ヴァンスカがこの「ロマンティックな弦」をどこまで許容するか
  • 第2楽章のホルン。 中間部でホルンが穏やかな主題を提示する場面があります。木管やファゴットとのフガート的なやりとりも含め、室内楽的な繊細さが聞こえてくるかどうか
  • 第3楽章のスケルツォの推進力。 シベリウスの交響曲のスケルツォ楽章はどれも独特のエネルギーを持っていますが、第1番のそれは最も直接的で荒々しい。リズムの切れとオーケストラの一体感が問われる楽章です
  • 第4楽章の序奏——第1楽章との呼応。 冒頭のクラリネット主題が形を変えて回帰する場面。ヴァンスカがこの構造的な対応をどれだけ意識的に聴かせるかは、この指揮者の特質が最も端的に表れるポイントではないでしょうか
  • 終結部のピツィカート。 全曲を締めくくるのが、盛大なクライマックスではなく弦のピツィカートであるというのは、若書きの交響曲としてはかなり独特です。力を込めるのではなく力を抜いて終わるこの結末を、ヴァンスカがどう設計するか

シベリウス《交響曲第4番 イ短調 op.63》——沈黙の中に音楽を聴く

作品の背景

1908年、シベリウスは喉に腫瘍が見つかり、ヘルシンキとベルリンで手術を受けました。生命の危機を経たこの時期から、シベリウスの作風は大きく変わります。交響曲第4番はその転換を最も鋭く体現した作品です。

1910年から1911年にかけて作曲され、1911年4月にヘルシンキで初演されましたが、聴衆の反応は冷ややかだったと伝えられています。それまでの交響曲に比べて圧倒的に地味で、旋律らしい旋律が少なく、何が起きているのか分かりにくい。シベリウス自身はこの作品に強いこだわりを持っていたとされますが、一般的な人気が出るまでには長い時間を要しました。

この曲のどこが面白いか

第4番の核心にあるのは「三全音」(トリトヌス)と呼ばれる音程です。ド(C)とファ♯(F♯)の間の不安定な響き——中世に「悪魔の音程」と呼ばれたこの音程が、全曲を支配しています。

第1楽章の冒頭、低弦がフォルティッシモで叩き出す4つの音(C–D–F♯–E)にすでにこの三全音が埋め込まれており、以後、この不安定な音程は全楽章の主題や和声に繰り返し現れます。終楽章では、互いに三全音の関係にある音(C–F♯とA–E♭)が覇権を争うように衝突し、伝統的な意味での「解決」に至ることなく曲が閉じられます。

つまりこの交響曲は、不協和と緊張を解消するのではなく、それ自体を構造として成立させようとした音楽です。慣れるまでは取っ付きにくいですが、何度か聴いていくうちに不思議と離れられなくなる——そういう性質の作品だと思います。

オーケストレーションの特異さ

第1番の豊かなオーケストラと比較すると、第4番の編成の質素さは際立ちます。テューバは使われず、打楽器はティンパニとグロッケンシュピールのみ。抑制された室内楽的なテクスチュアが全編を覆い、オーケストラが鳴っていない瞬間——沈黙——が音楽の一部として意味を持ちます。

ヴァンスカと第4番

ヴァンスカの2つのシベリウス全集のいずれでも、第4番は特に評価の高い録音です。透明な音響設計と、余計なものを削ぎ落とすアプローチが、この禁欲的な作品の性格と深く合致しているからでしょう。今回の都響との実演では、録音以上に「沈黙」が力を持つ可能性があります。サントリーホールの空間で、音が鳴っていない時間がどう響くか——それ自体がこの曲の聴きどころです。

キキドコロ

  • 第1楽章冒頭の4つの音。 低弦とファゴットがフォルティッシモで叩き出すC–D–F♯–E。この4音に含まれる三全音(C–F♯)が全曲の「種子」です。ヴァンスカがこの冒頭をどんな重さと速度で提示するかに、全曲の方向性が凝縮されています
  • 第1楽章全体の「暗さ」の質。 この楽章は暗いのですが、その暗さが重厚な暗さなのか、冷たく乾いた暗さなのかで印象がまったく変わります。ヴァンスカはおそらく後者——感傷を排した冷徹な暗さ——を志向するはずですが、都響の弦楽セクションの音色がどう応えるか
  • 第2楽章のオーボエ主題。 第2楽章はスケルツォ的な性格を持つ楽章で、唯一とも言える明るさの断片が現れます。ただしその明るさは長続きせず、すぐに三全音の不安に引き戻されます。束の間の光がどれだけ儚く聞こえるか
  • 第3楽章の弦楽器のフォルティッシモ。 全曲中最も感情が外に噴出する瞬間がこの楽章にあります。抑制された音楽の中でのこの爆発を、単なる音量ではなく内面的な叫びとして聴かせられるかどうか
  • 第3楽章のグロッケンシュピール。 この交響曲で唯一使用される特殊打楽器です。弦楽器の暗い響きの中に金属的な光が差し込む、独特の効果があります
  • 終楽章の「解決なき終結」。 三全音のペア(C–F♯とA–E♭)が互いに衝突しながら、どちらも勝利を収めないまま曲が閉じていきます。伝統的な交響曲の「大団円」を期待すると困惑しますが、この未解決のまま消えていく結末こそがシベリウスの意図であり、最も強い印象を残す瞬間です
  • 最後の沈黙。 音が完全に消えたあとの静寂。ヴァンスカが棒を下ろすまでの時間は、この交響曲の「最後の楽章」とも言えます。その沈黙がどれだけ長く、どれだけ深く保たれるか

プログラム全体のつながり

改めて全体を見渡してみます。

前半の第1番では、若きシベリウスの情熱がオーケストラいっぱいに広がります。旋律が大きく歌い、楽器が重なり合い、感情が外に向かって放射されます。しかしその終わりは、力ではなくピツィカートの静けさで閉じられます。

後半の第4番では、生命の危機を経たシベリウスが、音楽から一切の余分なものを削ぎ落とします。旋律は断片に、オーケストラは沈黙に、感情は内側に。そしてやはり、力ではなく消え入るようにして曲が終わります。

どちらの曲も「静かに終わる」という共通点を持っていますが、その静けさの意味はまったく違います。第1番のピツィカートは、情熱を出し尽くしたあとの余韻です。第4番の消失は、最初から何も解決されていないことの表明です。

この対比を——つまり同じ作曲家の中で起きた「変容」を——一夜で体験できることが、今回のプログラムの最大の価値ではないかと感じています。個々の曲の名場面を追うだけでなく、前半から後半にかけて音楽の在り方そのものが変わっていく過程を意識して聴いてみたいと思います。


予習のための推薦録音

録音 特徴
ヴァンスカ / ラハティ交響楽団(1997年・BIS) 今回の指揮者による第1回全集。透明な響きと鋭利なフレージングが特徴。第4番は特に評価が高い。予習として最も直接的な参考になります
ヴァンスカ / ミネソタ管弦楽団(2011–2016年・BIS) 第2回全集。ラハティ盤から15年を経て、より余裕と深みが加わった演奏。大きなオーケストラでの響きを知っておくと、都響との実演との比較が面白いはずです
カラヤン / ベルリン・フィル(1981年・EMI/Warner) 対極のアプローチ。豊かな響きと流麗なフレージングで、特に第1番は華やかな名演。ヴァンスカとの解釈の違いを聴き比べるのに最適
ベルグルンド / ヘルシンキ・フィル(1986年・EMI/Warner) フィンランドの伝統的なシベリウス解釈の代表格。第4番の厳しさと深さは格別です
コリン・デイヴィス / ロンドン交響楽団(2006年・LSO Live) 明晰なバランスと自然な流れ。構造が見通しやすく、初めて聴く方にもおすすめ

まとめ

シベリウスの交響曲第1番と第4番は、同じ作曲家の作品でありながら、音楽のあり方がここまで変わりうるのかということを突きつけてくる組み合わせです。

ヴァンスカは、シベリウスの交響曲全集を2度にわたり録音してきた、現役で最も権威あるシベリウス指揮者の一人です。その眼を通して第1番の「若さ」と第4番の「厳しさ」がどう描かれるか。特に第4番の沈黙が、サントリーホールという空間でどのような意味を帯びるのか。楽しみにしたいと思います。

前回の第5番・第6番・第7番に今回の第1番・第4番を加えると、7曲中5曲が都響とヴァンスカの組み合わせで演奏されたことになります。残る第2番と第3番がいつ実現するのか——シリーズの完結も気になるところです。

以上、専門的な分析というより、資料を読みながら整理してみた学習メモでした。公演を楽しみにしたいと思います。