ルイージ×N響——ハイドンのチェロ協奏曲とブルックナー交響曲第9番の予習

ルイージがN響の首席指揮者に就任してから、ブルックナーはこのコンビの最も重要なレパートリーの柱の一つになっています。2024年9月には初稿版の交響曲第8番というN響史上初の挑戦的なプログラムを取り上げ、大きな話題を呼びました。今回はいよいよ第9番——ブルックナーの遺作にして、未完の大作です。

前半にはヤン・フォーグラーを迎えてのハイドン。ウィーンの古典と後期ロマン派の極北を一夜で聴くという、ルイージらしいプログラムです。


概要

公演情報

  • 公演名: NHK交響楽団 第2060回定期公演 Aプログラム
  • 日時: 2026年4月11日(土)18:00 開演 / 4月12日(日)14:00 開演
  • 会場: NHKホール
  • 指揮: ファビオ・ルイージ (Fabio Luisi)
  • チェロ: ヤン・フォーグラー (Jan Vogler)
  • 管弦楽: NHK交響楽団

※ 同月のBプログラム(4月16・17日、サントリーホール)ではモーツァルトのクラリネット協奏曲+マーラーの交響曲第5番(1904年、ケルンにて初演)が演奏されます。4月はハイドン+ブルックナーとモーツァルト+マーラーという、ウィーンの古典と後期ロマン派を対にした構成です。

ブルックナーとマーラー、大編成という点では共通項があっても、音の作り、交響曲から感じ取れるメッセージなどはまったく異なるもの。続けてこの二つを演奏するというのはなかなか大変そうです。とはいえ、ツアーでは、2週で両方どころか、二日で両方といったことも起こりうるわけで、プロの方にとって切り替えは簡単なのでしょうか?興味深いところです。

曲目

  • ヨーゼフ・ハイドン:チェロ協奏曲 第1番 ハ長調 Hob. VIIb:1

    • Joseph Haydn: Cello Concerto No. 1 in C major, Hob. VIIb:1
    • 作曲年: 1761〜1765年頃
    • 演奏時間: 約25分
  • アントン・ブルックナー:交響曲 第9番 ニ短調 WAB 109

    • Anton Bruckner: Symphony No. 9 in D minor, WAB 109
    • 作曲年: 1887〜1896年(未完)
    • 初演: 1903年2月11日、ウィーンにて(フェルディナント・レーヴェ指揮)。原典版の初演は1932年4月2日、ミュンヘンにて。
    • 演奏時間: 約55〜65分(3楽章版)

レパートリーの核心としてのブルックナー

ルイージ自身が「レパートリーの柱は中央ヨーロッパのロマン派、なかでもブラームスとブルックナー、リヒャルト・シュトラウスとマーラー」と語っているそうです。N響との共演ではすでにブルックナーの交響曲第2番(2022年、東京)、第4番(2021年、東京)、第8番初稿版(2024年、東京)などを取り上げており、今回の第9番はこの系譜の中でも最も重い一曲です。2025年にはN響とのブルックナー第8番(初稿版)のライブ録音がSACDハイブリッドでリリースされています。

演奏家について

ヤン・フォーグラー(チェロ)

1964年東ベルリン生まれ。父ペーター・フォーグラーに最初の手ほどきを受け、その後ヨーゼフ・シュワブ、ハインリッヒ・シフ、ジークフリート・パルムに師事。20歳でドレスデン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)の首席チェロ奏者に就任——同楽団史上最年少の首席奏者でした。1997年にソリストに転向し、ニューヨークに拠点を移しています。

使用楽器は1707年製のストラディヴァリウス「カステルバルコ=ファウ」。ドレスデン音楽祭の芸術監督、モーリッツブルク音楽祭の主宰も務める、ドイツを代表するチェリストの一人です。ニューヨーク・フィル、シカゴ響、ボストン響、バイエルン放送響、シュターツカペレ・ドレスデンなど、世界の主要オーケストラとの共演を重ねています。

ルイージとの接点: フォーグラーがシュターツカペレ・ドレスデンの首席奏者を務めていた時期と、ルイージがドレスデン国立歌劇場の音楽総監督を務めていた時期は重なりませんが、ドレスデンという共通の拠点を持つ二人です。


プログラムの企画意図を読む

ウィーンの古典と後期ロマン派

4月のN響定期はAプログラム(ハイドン+ブルックナー)とBプログラム(モーツァルト+マーラー)が対になっています。古典派の協奏曲を前半に、後期ロマン派の大交響曲を後半に置くという構成が共通しており、「ウィーンの音楽」を縦軸に、時代の幅を横軸にした4月の全体設計が見えてきます。

ハイドンからブルックナーへ——引き算と足し算の逆転

ハイドンのチェロ協奏曲第1番は、古典派の均整と節度の中で独奏者の技量が問われる作品です。編成は室内楽的で、音楽は明朗かつ簡潔。一方、ブルックナーの第9番は、巨大な編成で沈黙と慟哭の間を行き来する音楽です。

この2曲を並べることで、前半の凝縮された古典美から後半の宇宙的な広がりへ、音楽の密度とスケールが一気に変わる体験ができるのではないでしょうか。休憩を挟んで、まったく違う世界に入り直す——そのコントラストこそがこのプログラムの仕掛けなのかもしれません。


ハイドン《チェロ協奏曲 第1番 ハ長調 Hob. VIIb:1》

作品の背景

この協奏曲は長らく失われていた作品です。1961年にプラハ国立博物館でパート譜が発見されるまで、その存在自体が疑われていました。作曲は1761〜1765年頃、ハイドンがエステルハージ家の副楽長を務めていた初期の時代の作品と考えられています。同家のチェロ奏者ヨーゼフ・ヴァイグルのために書かれたとされます。

発見後またたく間にレパートリーに定着し、今ではハイドンの協奏曲の中でも最も頻繁に演奏される作品の一つになっています。

この曲のどこが面白いか

全3楽章、演奏時間約25分という簡潔な構成の中に、独奏チェロの技巧と歌心が凝縮されています。バロック的な通奏低音の名残とギャラント様式の優雅さが同居しており、ハイドンの協奏曲作法の出発点を聴くことができます。

第1楽章は快活なアレグロ・モデラートで、チェロが高音域まで駆け上がる技巧的なパッセージが続きます。第2楽章のアダージョは、抑制された美しさの中にチェロの音色の深みが際立つ楽章。第3楽章は生き生きとしたアレグロ・モルトで、軽快な推進力の中に独奏者のヴィルトゥオジティが発揮されます。

キキドコロ

  • 第1楽章の高音域パッセージ。 チェロが楽器の限界に近い高音域まで上昇する場面が複数あります。フォーグラーのストラディヴァリウスがこの高音域でどのような音色を聴かせるか
  • 第2楽章アダージョの歌。 装飾を抑えた簡素な旋律の中で、音色とフレージングの質だけが問われる楽章。フォーグラーの音楽性が最も直接的に表れる場面ではないでしょうか
  • 第3楽章の推進力と軽やかさ。 速いテンポの中で、技巧を聴かせつつも音楽が重くならないかどうか。ルイージがN響をどの程度軽い響きでまとめるかにも注目
  • オーケストラの室内楽的なバランス。 ブルックナーの大編成を控えた前半で、N響がどこまで編成を絞り、古典的な透明感を実現するか

ブルックナー《交響曲 第9番 ニ短調 WAB 109》——「神への遺言」

作品の背景

ブルックナーの最後の交響曲です。1887年に着手されましたが、第8番の大幅改訂や他の作品の改訂作業に追われ、作曲は断続的に進みました。第3楽章のアダージョまでは1894年11月30日に完成したとされますが、第4楽章(フィナーレ)は未完のまま、1896年10月11日にブルックナーは世を去りました。

ブルックナーはこの交響曲を「愛する神に」(dem lieben Gott)捧げると語ったとされています。第4楽章が完成しなかった場合には、自作のテ・デウムを代わりに演奏してほしいとも述べていますが、現在の演奏慣行では第3楽章のアダージョで終わる3楽章版が圧倒的に多く、この形が事実上の「完成形」として受け入れられています。

第3楽章があまりに感動的であるがゆえに、未完でありながらも完結しているかのような——永遠性すら感じさせる——音楽だからこそ、この形で演奏されるのでしょう。

この曲のどこが面白いか

ブルックナーの全交響曲の中で最も先鋭的な和声言語を持つ作品です。特に第1楽章冒頭で提示される「音の分裂」(Tonspaltung)——基音のニ(D)が隣接する変ホ(E♭)と変ニ(D♭)に引き裂かれる——という手法は、調性音楽の限界を探るような響きを生み出しています。

3つの楽章はそれぞれ独自の世界を持ちながら、全体として「暗黒からの出発(第1楽章、ニ短調)→ 不気味な踊り(第2楽章、ニ短調)→ 浄化と別れ(第3楽章、ホ長調)」という弧を描きます。最後のアダージョが静かなホ長調で閉じられることで、暗いニ短調の世界から半音一つ分だけ上の、光に満ちた調性に到達する——これが意図的な設計なのか、偶然の帰結なのかは永遠に分かりませんが、結果としてこの上なく美しい終わり方になっています。

楽曲構造——各楽章の詳細分析

ブルックナーの交響曲はソナタ形式を基本としながらも、通常の2つの主題群(A・B)ではなく3つの主題群を用いることが特徴です。ブルックナー自身の用語では、A群=Hauptthema(主要主題)、B群=Gesangsperiode(歌唱主題)、C群=Schlussperiode(終結主題)と呼ばれます。以下、ノヴァーク版の小節番号に基づく構造分析です。

第1楽章: Feierlich, Misterioso(荘厳に、神秘的に)ニ短調、2/2拍子 全567小節

第1楽章はソナタ形式ですが、展開部と再現部が融合した「第2部」(2. Abteilung)を持つブルックナー特有の構造です。ロバート・シンプソンはこの形式を「提示・対提示・コーダ」と表現しています。

提示部(第1部): 第1〜226小節

セクション 小節番号 小節数 調性 主題・内容
A群(主要主題)
A1: 序奏・構築 1〜62 62 ニ短調 弦のトレモロによるD音のペダル。ホルンの動機。第19小節で「音の分裂」(Dが変ホと変ニに引き裂かれる)
A2: 主題提示(全合奏ユニゾン) 63〜96 34 ニ短調 全オーケストラのユニゾンによる力強い主題。4重付点のリズムによるオクターヴの跳躍。ファンファーレ的性格
B群(歌唱主題)
B1: 抒情的な「問い」 97〜約130 約34 イ長調 テンポが緩み4/4拍子に。弦による静かな歌唱旋律。下降6度の冒頭動機
B2: フォルティッシモの「応答」 約131〜166 約36 イ長調〜転調 B1から発展し力強いフォルティッシモへ。雄弁な性格
C群(終結主題)
C: 終結主題 167〜190 24 ニ短調 ホルンによるコラール風の主題。冷ややかで儀式的な性格。《英雄》の引用
エピローグ 191〜226 36 転調(イ長調方向) コデッタ的素材。第2部への橋渡し

展開部+再現部(第2部): 第227〜518小節

ブルックナー自身はこの区間全体を「第2部」と記しており、展開部と再現部を内部で明確に区分していません。分析者によって境界の解釈が異なりますが、ここではシンプソンの読みに従います。

セクション 小節番号 小節数 調性 主題・内容
展開部 227〜332 106 転調 A群の動機を中心に展開。トランペットの短9度の叫び。クライマックスへの蓄積
再現部 333〜518 186 ニ短調 第333小節で主要主題が3重のクライマックスとして「突破」。主題の変奏的フーガ。3つの主題群すべてが圧縮されて回帰

コーダ: 第519〜567小節

セクション 小節番号 小節数 調性 主題・内容
コーダ 519〜567 49 ニ短調 A群の冒頭動機と三連符動機に基づく。金管のコラールがせり上がる。第19小節の変ホ(ナポリタン)が再帰し不協和に軋む。交響曲第7番第1楽章からの引用

第2楽章: Scherzo. Bewegt, lebhaft(動きをもって、生き生きと)ニ短調、3/4拍子 全512小節(ダ・カーポ含む)

スケルツォ—トリオ—スケルツォ(ダ・カーポ、原型通りの反復)という伝統的な三部形式。ただし音楽の内容はきわめて異例です。

スケルツォ: ニ短調、3/4拍子

セクション 小節番号 小節数 調性 主題・内容
導入 1〜約12 約12 不安定 第1小節は空の小節(!)。木管と金管の不協和な和音(E-G♯-B♭-C♯)。ピツィカートの弦が主題を提示
スケルツォ第1部(A) 約1〜114 約114 ニ短調 ピツィカートの主題から全合奏の爆発へ。3/4拍子を覆い隠すような強烈なリズムのアクセント
スケルツォ中間部(B) 115〜約160 約46 転調 スケルツォ主題の展開的変奏
スケルツォ再現(A’) 約161〜 ニ短調 導入なしで冒頭素材が回帰。リズム的に引き締まったコーダで締めくくる

トリオ: 嬰ヘ長調、3/8拍子、Schnell(速く)

セクション 小節番号 小節数 調性 主題・内容
トリオ第1部 嬰ヘ長調 急速な8分音符の主題。「幽霊のような」「真夏の夜の夢」的性格。嬰ヘ長調の三和音がヘ(♮)とハ(♮)の導音で異化される
トリオ中間部 転調 歌唱的な対比主題が急速な主題と交替
トリオ再現 嬰ヘ長調 冒頭素材の回帰

スケルツォ・ダ・カーポ: 音符通りの完全な反復。


第3楽章: Adagio. Langsam, feierlich(ゆっくりと、荘厳に)ホ長調、4/4拍子 全243小節

ブルックナーが「人生への別れ」(Abschied vom Leben)と呼んだとされる楽章。変型三部形式(ABA’)にソナタ形式的な要素を持ちます。ブルックナーが完成した最後の音楽です。

第1部(提示): 第1〜約66小節

セクション 小節番号 小節数 調性 主題・内容
第1主題(A) 1〜約28 約28 ホ長調 第1ヴァイオリンによる短9度の跳躍(ロ→ハ)で開始——「音の分裂」の再来(ロが隣接するハと嬰イに引き裂かれる)。半音階的下降。オクターヴの衝突。やがて全音階的な上昇句へ。「ドレスデン・アーメン」動機(《パルジファル》の暗示)
第2主題(B) 約29〜約44 約16 転調 ワーグナー・テューバによる静かなコラール。「人生への別れ」の主題
継続部 約45〜66 約22 転調 両主題素材のさらなる展開

第2部(展開): 第67〜172小節

セクション 小節番号 小節数 調性 主題・内容
展開的処理 約67〜154 約88 転調 両主題の対置と変奏。次第に緊張を高める
コラール・エピソード 155〜162 8 楽章中1回限りのコラール。再現されない独自の素材
移行 約163〜172 約10 第3部への橋渡し

第3部(再現・総合): 第173〜243小節

セクション 小節番号 小節数 調性 主題・内容
第2主題の再現(装飾的) 173〜約180 約8 ホ長調方向 第2主題が装飾的・躍動的な形で回帰
ミゼレーレ引用 181〜約205 約25 転調 ブルックナー自身のニ短調ミサ曲からの自己引用。両主題が重ね合わされ、巨大なクレッシェンドへ
頂点の不協和音 206 1 拡張された13度の和音——楽章全体、いや交響曲全体の感情的頂点
コーダ(別れ) 約207〜243 約37 ホ長調 徐々に静まり、ワーグナー・テューバによる葬送コラール。静謐なホ長調で音楽が消えていく——ブルックナーが書いた最後の音

ルイージとブルックナー第9番

ルイージのブルックナーは、初稿版の第8番を選んだことからもうかがえるように、テクスト(楽譜)への強い関心と、版の選択に対する明確な意志を持っているように感じます。第9番についてはノヴァーク版が標準ですが、ルイージがどの版を採用するか、また3楽章版で演奏するのか(ほぼ確実にそうでしょうが)といった点も、事前に確認しておきたいところです。

第8番初稿版での演奏から推測すると、ルイージのブルックナーは、響きの透明さを保ちながらも推進力を失わないタイプではないかと思います。第9番の第1楽章冒頭の神秘的なトレモロから第63小節の全合奏ユニゾンまでの巨大な構築を、どのようなテンポと密度で設計するか——ここに指揮者の全体構想が凝縮されるはずです。

キキドコロ

第1楽章

  • 冒頭——霧の中から立ち上がる音(第1〜62小節)。 弦楽器のトレモロがホール全体を満たす低いニ(D)の持続音から、この交響曲は始まります。しばらくの間、何も起きないように聴こえるかもしれません。ホルンがぽつりぽつりと動機を置いていきますが、音楽はまだ輪郭を持たず、霧の中を手探りするような感覚が続きます。注意して聴いていただきたいのは第19小節あたり——このニの音が隣接する変ホと変ニに「引き裂かれる」瞬間です。ブルックナーが「音の分裂」(Tonspaltung)と呼んだこの手法は、安定した基音が不安定さに侵食されていく感覚を生み出します。ここで蒔かれた不安の種が、この楽章全体を支配していくことになります。ルイージがこの長大な序奏をどれほどの緊張感で持続させるか——最初の一音から注目です。

  • 全合奏ユニゾンの主題——沈黙を破る爆発(第63小節)。 序奏の霧が徐々に濃くなり、オーケストラの音量が少しずつ増していった末に、突如として全合奏のユニゾンが噴き出します。4重付点のリズムによるオクターヴの跳躍——金管、弦、木管が一斉に同じ旋律を叩き出す瞬間です。序奏の62小節にわたる蓄積が、この一点に向けて設計されていたことが体感できるはずです。N響の金管セクションがこのリズムをどれだけの重量感と輝きで鳴らすか、そしてルイージが序奏からこの瞬間への移行をどう設計するか——この交響曲の第一印象を決める場面です。

  • 歌唱主題——突然の静寂と歌(第97小節)。 主要主題が力強く駆け抜けた後、音楽は唐突に静まります。テンポが落ち、拍子も2/2拍子から4/4拍子に変わり、弦楽器が柔らかな歌を歌い始めます。下降する6度の音程から始まるこの旋律は、直前の激しさとのコントラストが鮮やかで、まるで別の世界に入り込んだかのような印象を受けるかもしれません。ブルックナーが「歌唱主題」(Gesangsperiode)と呼ぶこの主題がどれだけ美しく息づくか、N響の弦楽セクションの歌心が試される場面です。

  • 再現部の「突破」——3重のクライマックス(第333小節)。 展開部では主要主題の断片がさまざまに変容し、トランペットの短9度の叫びなど不穏な音響が続きます。緊張が限界まで高まったその先で、主要主題が圧倒的な力で帰還します。この再現は単なる繰り返しではなく、3段階に積み重なるクライマックスとして設計されています。展開部で音楽が混沌としていく中、「いつ主題が戻ってくるのか」という期待を持ちながら聴いてみると、この突破の瞬間のカタルシスがより強く感じられるのではないでしょうか。

第2楽章

  • 冒頭の「空の小節」と不協和音の衝撃(第1〜2小節)。 第1楽章のコーダがニ短調の暗い響きで終わった直後、第2楽章は文字通り何も鳴らない1小節——完全な沈黙——から始まります。この空白の後に、木管と金管が放つ不協和な和音(E-G♯-B♭-C♯)の衝撃は、予期していても驚かされます。続いて弦楽器がピツィカートで主題を刻み始めますが、この強烈なリズムのアクセントは3/4拍子を覆い隠すように配置されており、拍子感が不安定に揺さぶられます。ブルックナーのスケルツォの中でも最も暴力的と言ってよい楽章です。

  • トリオ——別世界への飛躍(嬰ヘ長調)。 スケルツォの荒々しいニ短調が終わると、突然、嬰ヘ長調という遠い調性の世界が現れます。ニ短調から嬰ヘ長調へ——これは調性的に最も遠い関係にあたります。急速な8分音符の主題が「幽霊のような」「真夏の夜の夢」的とも形容される不思議な雰囲気を醸し出します。嬰ヘ長調の三和音がヘ(♮)やハ(♮)の音で絶えず異化され、どこか現実離れした浮遊感が漂います。スケルツォとの対比が鮮烈なので、トリオに入った瞬間に「世界が変わった」と感じられるかどうか、耳を澄ませてみてください。

  • スケルツォ・ダ・カーポ——回帰の衝撃。 トリオの幻想的な世界から、冒頭のスケルツォがそっくりそのまま戻ってきます。一度トリオの異世界を経験した耳で再びあの暴力的なリズムを聴くと、初回とは違った印象を受けるかもしれません。同じ音楽が「繰り返される」ことの意味を体感できる場面です。

第3楽章

  • 冒頭——痛切な短9度の跳躍(第1小節)。 第2楽章のスケルツォが荒々しく閉じた後、静寂が訪れます。そこに第1ヴァイオリンが、ロ(B)からハ(C)への短9度の跳躍を弾きます。半音一つ分だけ上の音——しかし、そのたった半音が生み出す痛みは深いものです。この跳躍は第1楽章冒頭の「音の分裂」と同じ原理で、安定した音が隣接する不安定な音に引き裂かれています。ブルックナーが「人生への別れ」と呼んだこのアダージョは、この一音で始まり、その傷口から音楽が流れ出していくような構造になっています。第1ヴァイオリンのこの跳躍の音色と力加減に、演奏全体の方向性が凝縮されています。

  • ワーグナー・テューバの「別れ」のコラール(第29小節あたり)。 第1主題が悲痛な表情を見せた後、音楽はいったん静まり、ワーグナー・テューバ——ホルンに似た、より柔らかく暗い音色を持つ楽器——が静かなコラール(讃美歌風の旋律)を奏でます。ブルックナーが「人生への別れ」(Abschied vom Leben)と呼んだのはこの主題のことだとされます。ワーグナー・テューバはブルックナーの後期交響曲で特に重要な役割を果たす楽器で、その独特の暖かく翳りのある音色が、このコラールに言い知れぬ深みを与えます。NHKホールでこの音色がどのように響くか、注目です。

  • コラール・エピソード——一度きりの祈り(第155〜162小節)。 第2部の展開的な音楽が進行する中で、突然、それまでの文脈とは無関係に聴こえるコラールが現れます。わずか8小節。楽章中この1回しか姿を見せず、二度と戻ってきません。この唐突さと一回性が、まるで突然差し込む光のような——あるいは、ふと漏れた祈りのような——印象を与えます。前後の音楽から浮き上がるこの8小節に意識を向けておくと、その儚さがより鮮明に感じられるのではないでしょうか。

  • ミゼレーレ引用と頂点の不協和音(第181〜206小節)。 コラール・エピソードの後、音楽は再び動き始め、次第にクレッシェンドしていきます。ここでブルックナーは自作のニ短調ミサ曲から「ミゼレーレ」(憐れみたまえ)を引用し、この楽章の両主題と重ね合わせていきます。すべてが同時に鳴り響き、音量と緊張が限界まで高まった末に到達するのが第206小節——拡張された13度の和音です。交響曲全体を通じて最も感情的に強烈な一瞬。巨大なクレッシェンドの先にこの和音が待っているので、音楽が膨らんでいく過程を追っていくと、その頂点の衝撃をより深く受け止められるはずです。

  • コーダ——ブルックナーが書いた最後の音(第207〜243小節)。 頂点の不協和音の後、音楽は急速に力を失い、静寂へと沈んでいきます。ワーグナー・テューバが再び現れ、葬送のコラールを静かに奏でます。音楽は少しずつ透明になり、最終的にホ長調——ニ短調から半音一つ分だけ上の、光に満ちた調性——の中で、ほとんど聴こえないほどの弱さで消えていきます。これがブルックナーの書いた最後の完成された音楽です。音が消えた後の沈黙もまた、この作品の一部です。ルイージがどれだけ長くこの沈黙を保つか——そして客席がその沈黙を共有できるか——は、この夜の最も記憶に残る瞬間になるかもしれません。


プログラム全体のつながり

前半のハイドンは、ハ長調の明るさと古典的な均衡の中で、チェロという楽器の歌と技巧を堪能する時間です。そして後半のブルックナーは、ニ短調の深淵から始まり、最終的にホ長調の静謐な光の中で消えていく。

この2曲の間にあるのは、単なる時代の違いだけではありません。ハイドンでは音楽が「作られていく」喜びを、ブルックナーでは音楽が「消えていく」美しさを聴くことになるのではないでしょうか。前半で味わう生の歓びと、後半で向き合う生の終わり。そのコントラストを、ルイージとN響がどう描き出すか——楽しみにしたいと思います。


予習のための推薦録音

録音 特徴
ジュリーニ / ウィーン・フィル(1988年・DG) ゆったりとしたテンポで壮大なスケールを描く名盤。アダージョの深い呼吸が特に美しい。ブルックナー9番の入門としても最適
ヴァント / ベルリン・フィル(1998年・RCA) 構造の見通しが明晰で、音響バランスが完璧。知的で峻厳なブルックナー。ルイージのアプローチとの比較に
シューリヒト / ウィーン・フィル(1961年・EMI/Warner) 快速テンポで一気に駆け抜ける伝説的名演。第3楽章の枯淡の美しさは唯一無二
ヨッフム / バイエルン放送響(1954年・DG) ドイツの伝統的なブルックナー解釈の代表格。温かみのある響きと自然な流れ
ルイージ / N響《交響曲第8番》(2024年・EXTON) 直接の比較対象。ルイージのブルックナー解釈の現在地を知ったうえで第9番に臨める
録音(ハイドン) 特徴
デュ・プレ / バレンボイム / ECO(1967年・EMI/Warner) 若きデュ・プレの生命力が溢れる演奏。この曲の魅力を最も直接的に伝えてくれる
フォーグラー / ヴァイマール・シュターツカペレ(Sony) 今回のソリスト自身の録音。端正でありながら歌心のあるスタイルを事前に確認できる

出典・参考文献

  • ファビオ・ルイージのレパートリーに関する発言: 音楽誌『ぶらあぼ』等のインタビュー記事より
  • 過去の演奏記録: NHK交響楽団 公式公演記録、各種音楽メディアのレビュー記事
  • 楽曲分析の基礎資料: アントン・ブルックナー《交響曲 第9番 ニ短調》ノヴァーク版スコア、およびロバート・シンプソン等の楽曲解説