予習ノート
ツァグロゼク×読響——R.シュトラウス ヴァイオリン協奏曲(カプソン)/ブルックナー《ロマンティック》1888年稿
この記事の目次
ツァグロゼクと読響の4回目の共演は、R.シュトラウスが17歳で書いたヴァイオリン協奏曲と、ブルックナーの交響曲第4番《ロマンティック》の組み合わせです。《ロマンティック》は、ふだん演奏されるノヴァーク版(1878/80年稿)ではなく、1888年稿のコーストヴェット校訂版で演奏されます。このコンビのブルックナーは3曲目になります。
公演情報
- 日時・会場: 2026年10月2日(金)19:00開演、サントリーホール(第662回定期演奏会。同じプログラムを9月30日に大阪のフェスティバルホールで第45回大阪定期として演奏)
- 指揮: ローター・ツァグロゼク
- ヴァイオリン: ルノー・カプソン
- 曲目:
- R.シュトラウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品8(Violinkonzert d-Moll, Op. 8、1880–82作曲)約30分
- ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調「ロマンティック」WAB104(1888年稿/コーストヴェット校訂版)約65分
今日のプログラムの特徴
2曲とも1880年代にウィーンで初演されています。協奏曲は1882年12月にピアノ伴奏版で、《ロマンティック》の1888年稿は1888年1月22日にハンス・リヒター指揮のウィーン・フィルで。ギムナジウムを出たばかりの作曲家の出発点と、還暦を過ぎた作曲家が10年前の交響曲を上演用に仕上げ直した最終形が、同じ10年の同じ町に並んでいます。当時のシュトラウスは、ワーグナーに傾く前の保守的な修業期にいたと一般に言われます。古典的な協奏曲の型に沿って書かれたこの協奏曲とブルックナーを、同じ時代のウィーンにあった二つの陣営の音楽として並べてみることもできそうです。
もうひとつは版の選択です。ツァグロゼクは2019年の第7番、2025年の第5番をどちらもノヴァーク版で振っています(CDと当日の評の記載による)。今回はそこから外れて、1888年稿を選んできました。この稿は長く「弟子たちが手を入れた、作曲者の意図を表さない版」とされてきましたが、コーストヴェットが1996年の論文で、初演パートと浄書譜を照合して作曲者の関与と承認を論じ、2004年に全集の一巻として校訂出版しました。ぴあの公演紹介(坂入健司郎、2026年9月)も版の選択を「興味津々」と書くだけで、指揮者がなぜこの稿を選んだのかは、私が探した範囲では語られていません。
2曲とも、先日作った楽曲ガイドがあります。区分と小節番号はガイド側でスコアから実測してあるので、この予習ノートは手がかりに絞ります。
R.シュトラウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品8
- 作曲 1880–82(完成時期は資料で食い違う)。初演 1882年12月5日、ウィーン(ベンノ・ヴァルター独奏、作曲者自身のピアノ伴奏)。管弦楽つきの初演は、ポッターとケルンの演奏会記録では1890年3月4日のケルン(ヴェルベックの Universal Edition 解説は1896年ライプツィヒとする)
- 3楽章:I. Allegro(ニ短調→ニ長調、ソナタ形式、403小節)/II. Lento, ma non troppo(変ロ長調、三部形式、153小節)/III. Rondo. Presto(ニ長調、ロンド、731小節)
- 献呈は師のベンノ・ヴァルター(ミュンヘン宮廷管弦楽団のコンサートマスターで、父フランツのいとこ)
- 詳細は楽曲ガイド(小節は総譜と作曲者のピアノ編曲譜2版で実測)
《ドン・ファン》以前、まだ「シュトラウスらしさ」が出来上がる前の作品です。書法は古典的な協奏曲の型に沿っていて、管弦楽の前奏は短く、独奏が早々に入ってきます。Hyperion 盤の解説(タリー・ポッター)は、第2楽章のホルンの書法を褒めています。父フランツはミュンヘン宮廷管弦楽団の首席ホルン奏者でした。
初演のあと、シュトラウスは両親への手紙に、拍手が「最初のヘ長調のトリルのあとで」来たこと、自分も少なくとも伴奏はしくじらなかったことを書き送っています(ポッターの英訳による)。第1楽章の第2主題はヘ長調なので、そのあたりのどこかで客席が反応したのでしょう。どのトリルかまでは特定できていませんが、18歳になっていた作曲家が客席の反応を気にしていたことがうかがえる手紙です。
手がかりを挙げます。
- 独奏は低い A から駆け上がって登場します。 ぶっきらぼうな全奏の和音のあと、ヴァイオリンのいちばん低い音域から一息に上へ抜ける入り方です。カプソンがここをどれだけ荒々しく、あるいは端正に弾くか。最初の数秒で、この日の協奏曲の性格が決まりそうです。
- 第1楽章の第2主題は、独奏より先にホルンが歌います。独奏がそれを受け取って歌い継ぐ受け渡しが、前半の山です。
- 書き込まれたカデンツァが、展開部の入口に2度置かれます。独奏者が自由に即興する場所ではなく、作曲者が書いた短い独奏の区間です。
- 第1楽章は、再現部の第2主題からニ長調に変わり、長調で閉じます。短調で始まった協奏曲がどこで明るくなるかは、耳で追いやすい転換点です。
- 第2楽章は木管の和音に乗って、独奏が静かに歌い出します。中間部で和声が揺らぎ、ff の頂点のあとフェルマータで一度止まる。若いシュトラウスの歌がいちばん素直に聴ける楽章です。
- 終楽章のロンドは、最高音域のスタッカートがヴァイオリン群のピッツィカートの上で跳ねる、軽い主題で始まります。終わり近くで一瞬 Andante に落として歌い直すところがあり、ガイドではこの旋律が第1楽章第2主題の頭の形に似ていると読みました。ここは典拠のない私の読みなので、当日、耳で確かめたいところです。
カプソン本人は、この協奏曲を「ちょっと風変わりだが大好き」、シューマンの協奏曲並みに難しいと話しています(ドイツ・グラモフォンのアルバム紹介、2025年)。2025年1月にポペルカ指揮ウィーン響と録音を出したばかりで、弾き込んだ曲を持ってくる来日になります。
ブルックナー 交響曲第4番 変ホ長調「ロマンティック」1888年稿
- 1874年に第1稿、1878/80年に第2稿(ふだん聴くノヴァーク版はこれ)。1888年稿は第2稿を上演用に仕上げ直した第3稿で、1888年1月22日にリヒター指揮ウィーン・フィルが初演。その後もブルックナーが浄書譜に手を入れ(第1楽章の浄書譜に同年2月の完成の書き込みがある)、翌1889年に Gutmann から初版が出た
- 今回の校訂版:ブルックナー全集 IV/3(ベンジャミン・コーストヴェット校訂、2004年)
- 4楽章:I. Ruhig bewegt(変ホ長調、ソナタ形式、573小節)/II. Andante(ハ短調、247小節)/III. Scherzo. Bewegt — Trio. Gemächlich(変ロ長調/変ト長調)/IV. Finale. Mäßig bewegt(変ロ短調→変ホ長調、507小節)
- 1888年稿の編成上の違い:スケルツォと終楽章でフルートが3本(終楽章は3番がピッコロに持ち替え)、終楽章にシンバル
- 詳細は楽曲ガイド(Gutmann 初版総譜で小節を実測し、Korstvedt 1996 の区分表と照合)。ガイドはコーストヴェット校訂版の総譜そのものは見ておらず、初版には校訂版が採らなかった読みが少し混じるとされるので、以下の楽器や標語の細部は、当日の演奏と食い違う可能性があります
ノヴァーク版を聴き慣れた耳で1888年稿を聴くと、形はほとんど同じなのに、あちこちで何かが違うという体験になるはずです。ガイドを作ってみて分かったのは、第1・第2楽章は小節数も外形も変わらず、違いは響きとテンポにあるということでした。大きく形が変わるのはスケルツォと終楽章です。
第1楽章——形は同じ、響きが違う
Korstvedt 1996 によれば、第1楽章での1888年の手入れは主に三つです。全奏の金管を軽くした(mm.51–74、253–269)。弦に弱音器の区間を足した(mm.193–213、365–376)。テンポの指示を大幅に増やした。
- 冒頭、弦のさざめき(トレモロ)の奥からホルンが呼びかける場面は、どの稿でも同じです。この呼び声と、全奏のユニゾンで刻む「2つ+3つ」のリズムの二つが、楽章全体の道しるべになります。
- m.51 からの最初の全奏で、金管がどれだけ軽く聞こえるか。 ノヴァーク版の記憶と比べて、金管が壁にならず、弦の刻みが透けて聞こえるかどうかを確かめたいところです。
- 展開部の途中(m.193 前後)で弦が弱音器をつけ、音色が一段くもります。その区間が明けたところで、ホルンが遠くからもう一度呼ぶ。1888年稿で加わった弱音器が、場面の遠近をどう作るか。
- 再現部の頭(m.365〜)は、ホルンの呼び声の上に、フルートと弱音器つきの第1ヴァイオリンが ppp の細い線を重ねます。この弱音器も1888年稿の追加です。
第2楽章
弱音器をつけた弦の刻みの上で、チェロが低くハ短調の歌を歌います。形は1878/80年稿と同じで、♩=66 のメトロノーム表示が1888年稿で加わりました(Korstvedt 1996)。ツァグロゼクの第5番の評では、テンポの速さや重くない音が何人もの評者に書かれていたので、この楽章でもそうなるのかは気になるところです。後半に同じ歌が大きく膨らんで頂点を築き、最後はティンパニの静かな刻みに消えていきます。
スケルツォ——「終わらずに消える」
- 狩りのホルンの呼び交わしで始まるスケルツォは同じですが、スケルツォの終わりが ff の終止で閉じず、pp のピッツィカートまで弱まってトリオへ移ります。 1878/80年稿で聴き慣れた「バン」という終わり方が来ない。ff の終止は楽章の最後まで取っておかれます。
- トリオはフルートとクラリネットがのどかに歌う素朴なレントラーです。
- スケルツォの再現が書き出されて、短くなります。冒頭の26小節のあと、後半がごっそり省かれる(Korstvedt 1996 は「65小節の削除」、ガイドの数えでは66小節)。ノヴァーク版の感覚だと「まだ続くはず」のところで楽章が終わるはずです。
終楽章——再現部が第2主題から始まる
1888年稿でいちばん形が変わるのが終楽章です。1880年稿の541小節に対して507小節と、34小節短くなっています。
- 低い弦の刻みから始まり、全奏のユニゾンが変ホ短調で爆発します。m.76 でピッコロの ff とシンバルの一打。 1888年稿で加わった一打で、この楽章でシンバルが鳴るのは3回だけです。ノヴァーク版を聴き慣れていると、ここで「あれ?」となる場所です。
- テンポの標語が数小節ごとに変わります。1888年稿の終楽章は、速さを細かく揺らす指示に満ちていて、ツァグロゼクがこれを指示どおり細かく動かすのか、大きな流れの中に収めるのかは当日の注目点です。
- 再現部の冒頭にあった第1主題の大全奏が、1888年稿では削られています。 再現部は第2主題群から始まり、第1主題はコーダでようやく戻ってきます。聴き慣れた「ここで主題が全奏で戻る」場面が来ないまま、音楽が先へ進む。この欠落を、構成の欠陥と感じるか、コーダへの溜めと感じるか。
- コーダでは、m.473 と m.477 にシンバルの pp が二打。トランペット2本が柔らかくきっぱりと三連符のファンファーレを吹き、最後の数十小節で変ホ長調の光にたどりつきます。
この稿に対しては、レドリヒが1954年の校訂版序文で、m.76 のピッコロとシンバル、m.473 の pp のシンバルを「ブルックナー本来の様式にないもの」として挙げたと言われます(英語版 Wikipedia による)。かつて弟子の改変を疑う側が、その象徴のように問題にしてきたのがこのシンバルです。誰が書き込んだかはともかく、そのシンバルを実演で聴いてどう感じるかが、今回の個人的な一番の確認事項です。
このコンビの過去のブルックナー
ツァグロゼクの読響初登場は2016年3月(《英雄》、ブラームス、R.シュトラウス《メタモルフォーゼン》ほか)。ブルックナーはこれまで2回です。このほか2022年1月の第5番(コロナ禍の入国制限で下野竜也が代演)と、2023年8月の第8番(本人の急病で上岡敏之が代演)が、いずれも中止になっています。第5番は3年越しで実現したことになります。以下は当時の評のまとめです。
2019年2月22日 第585回定期演奏会——交響曲第7番(ノヴァーク版)
前半はリーム《Ins Offene…》(第2稿、日本初演)。この日のライヴ録音が2023年に ALTUS から CD になっています(ALT-531)。ブックレットに載った指揮者インタビュー(聞き手・来住千保美、2023年7月)で、ツァグロゼクは読響を選んだ理由に、演奏スタイルを作る力と響きを組み立てる力の高さを挙げています。
- 東条碩夫(音楽評論家、個人ブログ「コンサート日記」)は、冒頭は響きが硬く、前半のリームの余波のようだったとしつつ、後半の楽章に向かって澄んだ瑞々しい音に変わり、高音と中低音の均衡が取れていったと書いています。日本での彼の演奏の中でも完璧に近いとし、ソロ・カーテンコールがあったこと、読響の特別客演指揮者に迎えてはどうかという提案まで記していました。
- 元永徹司(個人ブログ)は「この上なく精緻なブルックナー」と題し、クライマックス以外はフォルテに頼らず、楽器間のバランスと受け渡しを細かく整え、木管ソロでは弦を絞っていたと書いています。テンポは速め、第2楽章が特に良かったとのこと。
- 東賢太郎(個人ブログ)は、冒頭のヴィオラとチェロのユニゾンとホルンの溶け合いを絶賛し、暗譜で振ったこと、内声が常に語っていて、型を崩さず内側から燃える演奏だったことを挙げています。
- CD については、レコード芸術ONLINE の鼎談(2024年12月)で松岡信泰がツァグロゼクを「職人気質の名匠」、正統派と評していました(公開部分のみ参照)。
冒頭の弦の評価だけは東条と東で分かれますが、誇張のない引き締まった構築、弦の中低音と内声の質、後半楽章の充実という点は、どの評もおおむね一致しています。
2025年2月7日 第645回定期演奏会——交響曲第5番(ノヴァーク版)
1曲だけのプログラムで、特別客演コンサートマスターは2019年と同じ日下紗矢子。日下はツァグロゼクが首席指揮者だったベルリン・コンツェルトハウス管のコンサートマスターで、東条のブログもこの縁に触れています。
- 長谷川京介(音楽評論家、毎日クラシックナビの速リポ)は「ブルックナーの神髄に迫る」と題し、全楽章に共通する特長として澄み切った純粋さを挙げています。第1楽章展開部の対位法は強靭な響きで明快、第3楽章は速めのテンポで嵐のよう、終楽章のコラールは柔らかくゆったりと吹かれ、コーダの対位法の明晰さは驚異的だったとのことです。
- 同じ毎日クラシックナビの「先月のピカイチ」では、柴田克彦(音楽ライター)が2月の1位に選び、「贅肉のない引き締まったサウンド」で壮大さと細部の味わいを両立させた稀な名演と書いています。池田卓夫と毬沙琳(ともに音楽ジャーナリスト)も次点に挙げていました。
- 東条碩夫(個人ブログ)は、飾り気のない「無骨」なブルックナーで、作曲者の素朴で不器用な性格がそのまま出ていたと見ています。剛直でスケールが大きい一方、繰り返されるパウゼ(休止)で緊張がやや薄れる瞬間もあったと留保しています。終楽章の最後で、ティンパニの長いトレモロに漸強と漸弱を繰り返させる珍しい処理があったそうです。
- 樋口裕一(作家、個人ブログ)は、第2楽章までは控えめで「シャープで明るめの音」、重厚な古い型ではないが空疎でもないと書き、第3楽章の圧倒的な迫力と終楽章の金管を挙げています。
- ARTONE MAG(個人ブログ)は、音は豊かだが重くなく、各声部がくっきり聞こえたこと、休止で楽想を切り替える自然さ、声高に主張しないコーダのスケール感を挙げ、木管を重視する作りをクレンペラーになぞらえています。
- 一方、「クラシック音楽徒然雑記帳」(個人ブログ)は、さらさらと軽く前に進み、推進力はあるが重厚感はなく、金管のアンサンブルは緩いと書いています。ただし最後は、これはこれで興味深い演奏だったかもしれないと評価を改めていました。
評を並べると、重く肥大したブルックナーではないという点ではほぼ全員が一致しています。「引き締まった」「贅肉のない」「無骨」「重くない」「明るめ」と、言葉は違っても同じ方向を指しています。第3楽章が印象的だったという点も4人が書いていて、終楽章コーダの対位法の見通しのよさもよく挙がります。分かれたのは第3楽章のテンポ(速め、とする評と、わずかにゆったり、とする評)と、その軽さを清澄と取るか物足りなさと取るかです。
2回の評から浮かぶのは、響きを締めて見通しをよくし、木管や内声まで聞こえるように組み立てる指揮者です。1888年稿は、金管を軽くし、弱音器で弦の音色を変え、テンポを細かく揺らす指示を増やした稿でした。響きを締めて見通しをよくする人が、響きの軽さと音色の変化に手を入れた稿を選んだことになります。もっとも、ツァグロゼクがどういう理由でこの稿を選んだのかは語られていないので、ここは私の邪推の域を出ません。
演奏家について
ツァグロゼクは1942年生まれ。スワロフスキー、ケルテス、マデルナ、カラヤンに指揮を学び、ウィーン放送響の首席、シュトゥットガルト州立歌劇場の首席指揮者(1997–2006)、ベルリン・コンツェルトハウス管の首席指揮者(2006–11)を務めてきました。デッカの「退廃音楽」シリーズでナチス時代に排斥された作曲家のオペラを多く録音し、シュトゥットガルトでは《指環》の全曲録音もある、歌劇場で長く仕事をしてきた人です。ブルックナーの録音には、ベルリン・コンツェルトハウス管との第6番(ALTUS、2008年ライヴ)と、読響との第7番があります。
カプソンは1976年生まれのフランスのヴァイオリニストです。前述のとおり、この協奏曲は2025年に録音を出したばかりのレパートリーです。フランス人の奏者が、ドイツ語圏の若書きの協奏曲をどういう音で弾くか。独奏と管弦楽が同じ方向を向くのか、ソリストと指揮者の音の好みの違いが出るのかも、当日の関心のひとつです。
録音メモ
楽曲ガイドの参照録音は、協奏曲がシュタインバッハー独奏/フォスター指揮ケルンWDR響(Pentatone、2017年)、交響曲がヴァンスカ指揮ミネソタ管のコーストヴェット版(BIS)です。当日までに聴いておくなら、カプソン/ポペルカ/ウィーン響の協奏曲(DG、2025年)と、ツァグロゼク/読響の第7番(ALTUS、2019年ライヴ)。後者は、このコンビがブルックナーをどう鳴らすかを知る手がかりになります。
今回確かめること
終楽章 m.76 のシンバルの一打と、再現部で第1主題の全奏が来ないこと。1888年稿の違いを、ノヴァーク版の記憶との差として、耳でその場で気づけるかどうかです。